余りもの 2016年7月


《 2016年 7月 》

 7月  8日 ブログ読者の方へのメール
9日
10日
11日 ベルカントで歌う   参院選の結果  
12日
13日
14日 書籍「ふしぎなキリスト教」を読む   天皇陛下のご意向
15日 天皇のご公務とは? 
16日 日本シリーズ:大谷君はすごい!  
17日 「メディアの責務」
18日
19日 公民館パソコンおたすけ広場  
20日 「夏の夜の夢」 ゲネプロ鑑賞
21日
22日
23日 ル・コルビジュエ 顛末記
24日 フランシスコ吉 in NHK ドラマ「真田丸」  
25日 ベルカントで歌う : 個人レッスン   セミの抜け殻 
26日
27日
28日 「ふしぎなキリスト教」を読む A 平均寿命最新値 
29日 レクイエム:中村紘子さん
30日 今月の診療記録 
31日
 8月   1日 都知事選:都民の選択  
 2日
 3日 高校野球練習風景
 4日 「ふしぎなキリスト教」を読む B
 5日 《フリー・セル》で開眼! 
 6日 広島原爆忌&リオ五輪開幕 
 7日


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講談社現代新書 「ふしぎなキリスト教」 を読む



教会の側からの説明ではなく、比較宗教社会学という立場からの解説をしている書籍です。
ちょっと前のものですが、興味深い分析がありますので、その一部をご紹介いたします。

(以下、黒色部分は大澤氏、茶色部分は橋爪氏の発言です。)

「ふしぎ」の核心

   イエス・キリストというのは何なのか。 それをどういうふうに理解すべきなのか。
   あるいは、宗教社会学的にみて、それがどういうふうに理解されてきたのか。
   ここが「ふしぎ」の源泉です。

   福音書によれば、イエス・キリストは、ふつうに考えるとかなり超人的なことを
   たくさんしています。 現代人の合理主義の観点からすると、そこに書いてあることが、
   文字通りに起きたというふうには必ずしも思えない。

   最初に疑問に思うことは、「そもそもイエス・キリストって本当にいたの?」ということ。

   イエスについては、文書記録があります。 でもそれは、福音書に限られる。
   キリスト教の初期教会が伝える福音書がすべてだといっていい。

   別の記録、たとえば、ユダヤ教側の文書とか、イエスを十字架で処刑したローマ側の
   文書とかが見つかれば、イエスが実在した可能性がぐんと高まります。

   クロスチェックができないと、実在の人物だったという証明ができないことになってしまう。

   にもかかわらず、イエスが実在の人物だった、と私が思うのは、福音書がイエスの言葉を
   多く伝えているからです。 それを読むと、比喩が豊富で、生き生きした印象を受ける。
   ひとりの人間がそこにいるという手応え、ありありとした人格の一貫性を感じる。
   イエスが実在しないのに、福音書の著者たちがよってたかって創作したと考えるほうが、
   よっぽど不自然だと思うのです。

   キリスト教の信仰は、イエスについての歴史的事実を信じるということを根幹に据えています。
   つまり、二千年ほど前に、イエスという男が弟子たちを引き連れて、パレスチナあたりを
   放浪していたという出来事を信じるということを、キリスト教の信仰は含んでいます。

   これがいかに特殊なものであるかは、仏教と比較してみるとわかります。

   仏教は、ゴータマ・シッダルタが開いた。 シッダルタが悟りを開くまでの経緯や、彼の
   その後の人生については、いろいろ知られ、語られています。 しかし、仏教を信じ、
   覚りにいたるということは、仏教の教義に示される真理を納得し、受け入れることであって
   シッダルタをはじめとする仏教関係の歴史的な人物たちにまつわる語りを事実として
   受け取るということとは独立だと思います。

   それは、相対性理論とアインシュタインが別のものであるのと同じです。 相対性理論は
   アインシュタインが発見したから真理なわけではない。 他の人が発見しても真理です。
   同様に、仏教の真理は、シッダルタが言ったから、あるいはシッダルタが覚ったから真理な
   わけではない。

   しかし、キリスト教の場合には、そうはいきません。 イエスについての出来事とは独立に、
   イエスの言ったことだけを信じる、というわけにはいかないのです。 キリスト教の信仰とは、
   イエスについての歴史的な出来事にコミットすることです(中略)、イエスが生まれ、いろいろな
   ことがあった後に死んで、そして復活したという出来事は、キリスト教の真理の中心です。
   だからこそ、イエスの存在が歴史的な事実であるかどうかというのはすごく重要なことなんです。
   



『不思議なキリスト教』 を読む A



なぜ福音書が複数あるのか

   新約聖書に収められた(つまり公式に正典とされている)福音書は4つあるんです。
   それらは、ほぼ同じことを、つまりイエスについての一連の出来事について報告しています。
   しかし、厳密に言えば少しずつ違うんです。 とくにヨハネの福音書は、他の三つのとの
   相違がかなり大きい。 他の三つ・・・の間でさえも、かなり重大な違いがあって、イエスが
   十字架の上で何を言ったかとか、裏切り者とされるユダがどう行動したかとかがはっきり
   分かりません。

   新約聖書は、最も肝心な事件について、四つの違った証言があるような感じで始まっている
   わけです。 これはちょっと奇妙じゃないですか?

   これでいいのだと思います。
   なぜ福音書があるかというと、福音書は預言書(預言者の預言を記録した書物)ではない
   からです。 預言者は、本人が書いた(ということになっている)ので、二冊あったりしない。
   これに対して、イエスは自分で書物を書かなかった。 最後は十字架で死んでしまうという
   話ですから、本人がそれを記録するわけにはいかない。 別人がそれを記録し、証言すると
   いうかたちにならざるをえない。

   福音書は、イエス・キリストについて証言する書物なのです。 その作者は、イエスと
   会ったことのある人物か、その周辺の人物。 まあ、ふつうの人間が、初期教会の伝承を
   もとに、ギリシア語で編集したと考えられる。 証言は、複数あったほうがよいと言えるわけで、
   結果的に、4つの福音書が新約聖書に残った。

   もう少し補足すると、キリスト教は、福音書によって成立したのじゃないんです。
   福音書は、キリスト教が成立したあと、聖書に選ばれた。 では、いつキリスト教が成立したか
   というと、それは、パウロの書簡によってである。 パウロが書簡を書いたのは、福音書の
   成立時期よりも古いんです。 福音書を見ないで、パウロは書簡を書いている。 そのときもう、
   イエスはキリストであり 神の子だと確信していた。 パウロが、イエスの十字架の受難を
   意味づける教理を考えたので、ユダヤ教の枠におさまらない、キリスト教という宗教が成立した。
   それが、福音書の編纂をうながしたという順番なのです。

   なるほどね。 新約聖書というと福音書のイメージが強いかもしれませんが、言うまでもなく
   新約聖書の重大な部分はパウロの書簡です。 新約聖書の最も中心的な筆者はパウロです。

   おっしゃるように、福音書というのは神の言葉ではありません。 人間が、目撃体験や伝承を
   もとに書いたものです。 証言者であるところの福音書記者の視点や解釈の相違を反映して、
   どうしても互いの間に揺れや相違が出てしまいます。

   キリスト教における真理というのは、相対性理論とアインシュタインのようには分けられないと
   いうことです。 つまり、イエス・キリストがそこで伝道して、十字架の上で死んで、そして
   復活したという一連の出来事そのものがもうすでに真理である、ということになっている。

   ただその一番肝心なことについて、複数の福音書という形で微妙な不確実性があって、そういう
   立場の違いをはじめから認めているようなところが、キリスト教の奥深さだと思うんですね。




『不思議なキリスト教』 を読む B



キリスト教をつくった男 ・ パウロ

   考えてみると、キリスト教をキリスト教にしたのはパウロであると言ってまず過言ではない。
   実際、新約聖書の大半はパウロが書いていることになっています。 パウロがいなければ、
   キリスト教がひとつのシステムとして継承されることはなかった。 だから、もし、あえて
   キリスト教に対して、伝統的な意味での教祖という言葉を使うとすれば、イエスよりも
   パウロのほうがそれに近いかもしれません。

   しかし、パウロはペテロやユダなどど違って、最初からキリストに付き従った直弟子ではない
   んですよね。 パウロはあるとき急に回心してキリスト教徒になった。 それまではむしろ、
   徹底したキリスト教への弾圧派だったのに、ある日突然、考え方が変わって、今度はキリスト
   教を必死に擁護し、体系化していきました。

   整理すると、まず、神の子か救世主のような人が登場した。 その神のような人の横には、
   十二人も直接の弟子がいた。 しかし、キリスト教という宗教を体系化するのに貢献したのは、
   その十二人の弟子ではなく、後から入ってきたパウロだった、という構造です。 パウロ自身は
   生前のイエスに会ったことすらなかった。

   パウロは、最初サウロという名前で、タルソという小アジアの町で恵まれたユダヤ人の家庭に
   生まれた。 ヘレニズム世界に育ち、ギリシア語が堪能で、ローマの市民権を持っていた。
   知識人で、聡明で、でもどちらかというと口下手で、熱心なユダヤ教徒で、パリサイ派に属し、
   青年行動隊長みたいな役割で、新興勢力のキリスト教徒を片っ端から捕まえては尋問し、
   弾圧していた。 彼のキリスト教についての知識は、こうした尋問を通じて得たろうと
   思います。

   あるとき、パウロは、馬に乗ってエルサレムからダマスコに移動する最中、突然、イエス・
   キリストに『会って』しまう。 目が視えなくなって馬から転がり落ちた。 しばらくすると
   目が視えるようになって、洗礼を受けてクリスチャンになった(回心)。 それから、福音を
   伝える宣教の旅をして、残りの人生を過ごすのです。


   パウロの回心は、何が大きな原因になったのでしょう。

   私の推測ですが、尋問しているうちに、自分よりもキリスト教徒のほうが、神に対する
   正しくて深い信仰を持っているのではという疑いが生まれたんだと思う。 それはつらいで
   しょう。 尋問の正当性が問われるから。
   そこで、意識できない深い罪責感と、自己処罰の感情が蓄積されて、それ以上その役目を
   続けられなくなった。 でも、退くに退けない幹部だったので、無理に続けるうちに、爆発的な
   回心(転向)が生じたのだと思う。

   パウロがいなければ、結局、イエスがやったことが教義にならなくて、そのときだけの出来事
   として終わったかもしれない。 イエスの言動に含まれている論理を取り出し、意味づけた
   おかげで、この出来事が、歴史全体を規定する構造にまでなった。 そう考えると、パウロの
   圧倒的な貢献というのを無視できません。

   なぜ、パウロという間接的な弟子のほうが、イエスに付き従って決定的な出来事を体験した
   直接の弟子よりも、圧倒的な冴えをもったのか。 考えてみるとふしぎです。

   12人の弟子の能力があまりに低かった。
   12人の弟子のなかで、まあまともだったのは、ユダだったと思う。 ほかの連中よりも学が
   あった。 と言うか、ほかの連中は学がなさすぎた。 シモン(ペテロ)がいちおう弟子たちの
   リーダーということになっているが、漁師というか、まあふつうの人びとですね。

   つぎに、言葉の問題があって、イエスと十二人の弟子たちはヘブライ語(ないしは、昔の説
   だとヘブライ語の方言であるアラム語)を話していた。 ヘブライ語では、ヘレニズム世界
   の人に伝わらないのです。 ユダヤ人コミュニティのなかでしか活動できない。
   キリシア語がよくできたパウロは、ヘレニズム世界にキリスト教を布教するチャンスがあった。
   初代教会では、ヘブライ語で活動する国内派と、ギリシア語で活動する国際派が、勢力を
   二分していたのですね。

   そのあと、政治情勢の変化によって、エルサレムの活動拠点が奪われてしまったこともあって、
   キリスト教は国際派、とりわけパウロの教義によって基礎づけられることになったのです。



以上、『ふしぎなキリスト教』から、イエスご自身と、キリスト教の誕生という出来事との関係を
考え直す意見を紹介してきました。  ここから分かることは、私が受けたキリスト教の教育内容と
歴史的な事実の展開とには違いがあるということ ・・・ でした。

そういう点を、私は、この著書が出版(2011年)される前に、私なりの感性でブログに表明して
いました。  以下に、その辺りのことをご紹介し、このシリーズを終わります。



私的 『パウロさんへの手紙』

実は、私にはパウロさんという人がどうしても好きになれないという傾向があります。
そもそも教会に出入りし始めた小学生の頃から、キリスト教の勉強は『公教要理』という
問答形式のテキストをもとに行うことと、福音書を読むという形式で実践してきました。

『公教要理』には、パウロさんに関する項目は、まったくありません。 聖書の引用個所に
パウロさんの書簡は取り上げられていますが、パウロさんその人に関する記述はないのです。

まったくの 《私的感想》 ですが、宗教改革以降のカトリック教会においては、教会の正統性と
いう観点からでしょうか、『ペトロの首位権 ・ 教皇位の継承』 という点が強調して説明されて
おり、キリスト教を知る基本情報としては、「聖書そのもの」 よりも、「公教要理」 の方が
より大切にされていました。 これは 『聖書のみ』 を主張する(?)プロテスタント教会とは
大きな違いのひとつでした。 (ついでに言えば、聖母崇敬ももうひとつの大きな違いです。)

今回とりあげた 『ふしぎなキリスト教』 では、キリスト教をつくった人物として、パウロさんを
紹介しています。 私も、今の立場から見て、それに同意できます。 これは、私がすでに
「脱キリスト教」 という立ち位置にいることから、自然に出てきたものですが、とにかく
パウロさんという人物に対しては、いろいろと 「もの申したいこと」 が多くあります。

その一端を、次のところに記してありますので、ご参考までに。

パウロさんへの手紙




メディアの責務



毎日新聞朝刊に、作家 中島京子さんの選挙報道をめぐる意見が掲載されていました。

マスコミの形式的な「中立姿勢」をズバリ批判する内容で、気持ちの良い文章です。

マスコミは中立というお題目を掲げて、選挙前には国民が関心を持つ事柄に関しては、
メリハリのある内容を報道しません。  実はちょっとした「電話アンケート調査」などを
行うことで、得票の見込み(少なくとも、有力候補と泡沫候補との見極めくらい)は容易に
可能な筈で、その旨を表明した「まえがき」を前提に、もっと突っ込んだ候補者分析などを
国民に提供する責務があると自覚すべきだと、私も実感します。 あたり障りのない選挙
期間中の報道と、投票終了時刻以降の「おなじみの万歳風景」など、ニュースとしての
本質に全く迫っていない陳腐な画面の連続ワンパターンなどを、毎度毎度繰り返すことで、おのれの
責務を結果的に棚上げにしてしまっているその感性には、本当にあきれるばかりです。

マスコミにはうわべだけの「公平性ありきたり」を墨守するのではなく、社の命運を懸けた責任ある
(自己主張のある)報道姿勢が求められていることを、あらためて考えさせられました。
そういう面では、先の大戦中、政府に迎合する記事ばかりで国民を欺いたことへの
反省の姿勢がまったく欠如していると非難されてもやむを得ないところでしょう。

そして、中島さんは最後にこう書いています。

『誰が何を言ってもかまわない。 けれども、発言が誰からどういう文脈で為されたのか、
そうした発言をする人たちが進めたい改憲とは何なのか、メディアはきちんと検証し、
報道してほしい。 それが責務だということを自覚していただきたい。』





ベルカントで歌う : 個人レッスン

今回は、「マンマ」 の全体を練習して臨み、二度目のチェックをしていただきました。

イタリア語の歌詞は、いつもそうですが、楽譜によってはミスプリントがあって、
今回も、それが発見されました。 2番の歌詞で、本来 La ninna nanna d'allor と
いう部分が、私の楽譜では、La minna nanna d'allor と誤植されていました。

また、いつものように私が正しく発音できていない個所として、stringere の後半は
ジェーレ と発音すべきところを、ゲーレ とローマ字読みしているとの指摘も。

あと数か所にある piu という単語、最後のフレーズでは「ピユ」ではなく、「ピオ」と
発音する方が、響きがきれいになることは承知していたのですが、他の個所でも
同様の歌い方をした方が好ましいとのこと。 ( u よりも o の方が口が開きよく響く)

あと、楽譜の譜割りを画一的にとらえるのではなく、イタリア語の語感の強弱・長短に
応じて、長めの四分音符や、短めの四分音符に歌い分ける方が自然なので、工夫する。
一例として、 vita non ti では、vi を長めに、 ta は短めに ・・・ など。

といった指摘を受けて、さらに練習をつづけ、最終的に、現時点での私なりの
歌唱を YouTube にアップロードしました。 少しはイタリア語らしくなったかな?







天皇のご公務とは

天皇陛下が、「生前退位」のご意向をお持ちだとの報道がありました。 陛下のご年齢とご公務の
多さを考えると、ごもっともなご意向だと思うのが、多くの国民の気持ちだろうと思います。 私もそう
いう気持ちでした。 ところが、今日 7/15 の毎日新聞に、学者の意見が掲載されており、なるほどと
思う内容でしたので、もう一度、ご公務について、原点に戻って認識しておきたいと思った次第です。




その要点は、1)天皇の憲法上の公務は、「国事行為」のみであり、その他のいわゆる公的行為は
          憲法でいう公務ではない。
         2)国事行為は、憲法や皇室典範に定められた摂政を置くことで代行できる。
         3)外国訪問や国体開会式などへの出席、災害被災者の見舞いなどは国事行為ではない。

つまり、私たちがイメージしている「ご公務」と、法律上の「国事行為」とは全く違っており、そこを区別
して 『皇室の国民への接し方』 に関しては、天皇家の内部で、ご無理のない分担の仕方を工夫して
いただくだけで、すぐにでも天皇陛下に偏りがちなご負担を改善できるということのようです。


国民の意識(皇室への期待)をリフレッシュすることで、天皇家の方々のご負担が大幅に軽減できる
のであれば、この際、そうした方向での改善を図り、時間のかかる・難しい法律的な措置は抜きに、
早急に陛下のご意向を実現できる方策を講じられては ・・・ と思うのですが、いかがでしょうか。

まったく別の発想ですが、私は次のような意見を以前、ブログに記しています。

http://ilovejesus.minibird.jp/katte/0803.htm




オペラ 「夏の夜の夢」 ゲネプロ鑑賞

地元、芸術文化センターの夏の恒例オペラ。 今年はめずらしい作品:ブリテン作曲「夏の夜の夢」です。
そのゲネプロ(リハーサル)が公開され、鑑賞してきました。 
4/21 にハイライト版を聴いたあの作品です。



ブリテンは、英国の現代作曲家で、オペラといっても、お馴染みのイタリア・オペラなどとは全く違う
タイプの音楽です。 また作品の素材もシェークスピア原作のおとぎ話的なもので、オペラ鑑賞という
には、若干の違和感があり、むしろ音楽劇として鑑賞するという感じでしょうか。 私には、第2幕が
アンサンブルを楽しむ点で、とても興味深く思えました。 舞台装置にも工夫がこらされていて、3つの
全く異なるタイプの場面がスムーズに転換されていき、作曲者の 『どうだ、面白いだろう』 という得意顔が
目に浮かぶような小気味よいものでした。 大いに楽しめたリハーサル鑑賞で、ラッキーな午後でした。




レクイエム 中村紘子さん

ピアニストの中村紘子さんが亡くなられた由。
日本を代表するピアニストのおひとりでした。



私は5回(それもオーケストラとの共演ばかり)しか聴いていませんが、
とても印象に残っています。 最初 ('67) と最後 ('10) は、ともに大阪フィルとの
「ショパン:ピアノ協奏曲 第1番」でした。 最初のものは、朝比奈隆指揮の
大阪フィル定期演奏会でした。 仕事で(東京から)大阪に出張中のことです。



矢代秋雄さんの「ピアノ協奏曲」は、珍しく現代作品。 ちょっと印象が薄かった
のは作品のせいでしょう。 チャイコフスキーは(大阪)シンフォニー・ホールの
開館記念演奏会の一環。 札幌交響楽団との共演で、これは大変華やかな演奏でした。

ご冥福をお祈りいたします。




《フリー・セル》で開眼!

Windows に搭載されているゲームソフトのうち、私が一番好きで、毎日遊んでいるのが、
フリー・セルです。 昨年8月に Windows 10 になって成績データがクリアされ、
ほぼ一年を経過しました。 これまでに、6000 ゲームほどこなし、その成績は日々向上し
今日現在、勝率 99.95 %という状態です。 これまでは 1ゲームあたりの所要時分に気を
配っていましたが、最近になって『いかに無駄な動きをせずに済ませるか』という視点に
切り替えています。 いわゆる「きれいな動き」を実現するという方針です。
その結果が、はっきりと実感でき、ストレスなく取り組めるようになったようです。



毎日のチャレンジの積み重ねが、一定の実を結ぶということを、ゲームの世界ではありますが
確実に実感しています。 これも私の『脳活性化のツール』として、継続したいと思っています。




今月の診療記録

7月13日 眼科  検査・診察 、投薬(2種) :  830円
7月21日 内科  血圧 130 - 72 、投薬(3種) & 無料老人健診:  700円
 合計1,530円