☆ 8月第3週 ☆    2014/8/14 〜 8/20

1945年15日の記憶

8月15日という日付は、私たちの世代にとって特別な響きをもつものだと思います。
私は小学4年生、10歳の真夏の日でした。 お盆の最後の日で、夕方には
先祖を見送りに墓地までいくのが慣例でした。 しかし、この日は大人たちの表情が
普段とは異なり、私たちにも「異常なできごと」のあったことは読み取れました。
「日本が戦争に負けた」という受け入れがたい大事の起こった・・・
忘れることのない・・・あの日なのです。


   8月15日は、「終戦の日」ではなく「敗戦の日」です。 これが私の認識です。
   日本は神の国、アメリカ(など)に負けるはずがない・・・・それが大日本帝国の少国民の意識だったのです。    
   その日本がアメリカに負けた、「無条件降伏」という言葉を聞いても、当時の私には<無条件>の意味など
   全く理解できなかったことを思い起こします。

   10歳の少年にとっては、これまでの大人たち・日本の指導者たちが、要するに大ウソつきだったということを
   決定的に認識させられた「忘れ得ない」一日でした。


   「平和憲法&第9条」

      日本は、米軍に占領され、神国日本はもろくも崩壊しました。 私の住んでいた別府市には
      はやい時期に、米軍が駐留し大規模なキャンプが建設されました。 オーストラリア軍も少数
      ですが駐留し、海辺の旅館を接収してキャンプ代わりに使用していました。

      そういう状況のもとでできた日本国憲法&第9条が、日本人の総意によるものとは、とても
      考えられないというのが、私の実感です。

      占領軍の指揮のもとに「武装解除され」「二度と戦争・侵略をしないよう」丸裸にされた・・・
      つまり、戦勝国によるお仕置きと考えても不思議はないというのが、第一の印象。

      もうひとつは、大日本帝国の指導者の中の「死に損ない」たちが、自分たちの命の身代わり
      として、戦勝国に「生贄」として、平和憲法&第9条を差し出して命乞いをした。

      そんな風にしか思えないのです。 決して、現在の人が想像するような「厭戦・反戦」の崇高な
      理念のもと、国民の総意に基づいて制定されたとは、当時の多くの・平均的な日本人は考えては
      いなかったと思います。 そんな余裕など全くない、苦しくて・貧しい時代だったのです。

      私の周囲でも、物資の不足を補うための「物々交換の集まり」や、借金の助け合いとしての
      「頼母子講」はしょっちゅう開かれていましたが、新憲法への意見集約などという集会はまったく
      聞いたことがありません。

      つまり、国民一般とは全く関係のないところで、平和憲法&第9条は準備されていたのです。
      平和憲法&第9条は、あくまでも戦後の為政者による「戦勝国へのおべっか」であり、戦禍で
      苦しみを味わった国民へのまやかしのイメージ刷り込みでしかなかったと私には思えます。

      本当に国民の合意の積み重ねの上に成立した新憲法であれば、あのようなスピードで成立する
      ことなど考えられません。 私たちは、大日本帝国指導者にかわる、新しい指導者(と占領軍)に
      よって、新憲法をいやも応もなく押しつけられたとしかいいようがないのです。

      これが、私の「戦後秩序」に関する認識のベースです。
      戦争中の皇国民意識の操作と同じことが、新憲法の制定においても繰り返されたのです。
      本当に日本国民の手で憲法を作るのであれば、時間をかけ・議論を尽くして行うべきであり、
      その間は、憲法ではなく、占領軍による軍政が相当の長期間にわたり行われるべきだったはず。

      占領軍の威力を見せ付けた最大のイメージ戦略は、「天皇のマッカーサー訪問」の写真に象徴
      されていたのでした。 占領軍には、それだけの権力があり、日本国民による真摯な議論抜きで
      新憲法があのスピードで制定されたのは、米軍の意図と、それにおもねる日本人政治家の国民を
      欺く身勝手さがあったればこそ・・・と考えてしまうのです。

         参考:マッカーサーの権力のすごさの一例としては、「二・一ゼネスト」への介入を参照。
            私はこの出来事を(ある事情から)はっきりと記憶しています。

      とにかく、新憲法は、当時の日本人の政治意識を前提に、議論され・納得のうえで制定されたもの
      とは、断じて言えないということ。 このことは抑えておくべきポイントだと思います。

      こうして私(たち)は、アメリカの文化と物質的な援助に依存する「戦後」をスタートさせたのでした。


   「占領軍と日本女性」

      別府の街には、米軍が闊歩し、それに群がる日本人の日常がありました。
      子どもたちは、「ギブ・ミー・チョコ」「ギブ・ミー・ガム」といってジープに乗った米兵に近づき、
      新しい味覚を喜んでいました。 街角には、「日本の子ども用に再生するので、ガムの食べかすは
      捨てずに、ここに入れてください」と英語で書かれた空き缶が、あちこちの電柱にくくりつけてあり
      ました。

      米兵の相手をする女性たちが、町の中でも珍しくはなく、人々からは侮蔑のことばを浴びせられて
      いましたが、まさに逞しく生きていました。 自宅に米兵を連れ込み、身を売って稼いでいるという
      姿も当たり前の光景でした。 親たちは、隣の部屋で声をひそめて・・・という風景も(10歳の私が
      知るほどの)日常茶飯事であったのです。

         私の住んでいた地域は、いわゆる遊郭街でした。 そこにはいたるところに OFF LIMIT の掲示
         が出されており、米軍MPの監視も厳しかったので、米兵が出入りすることはありませんでした。
         それだけに一般の地域では先に記したような風景が日常的だったのです。

      戦地・基地といった軍隊の居住地域では、女性がこのように扱われていた、あるいはそのように
      生きるしか術がなかったというのは、残念ながら、いつの時代・どの地域でも避けがたい状況だった
      ようです。 ただ、そういう中で OFF LIMIT の掲示版が、MPたちの監視のもと、私の知る限り
      では、そこの町でルールとして守られていたのは驚きです。 おそらく、日本人客と米兵とのトラブル
      を避けるのが目的だったのでしょう。


   「新憲法と天皇制」

      今の時点で、憲法をよくよく考えるとき、私には「天皇制」という個所の不合理さが最も気になるの
      です。
      私は「天皇ご一家」を敬愛していますし、「天皇家」の持つ歴史上の意義にも同意いたしますが、
      現行憲法で、あのように規定することが本当にベストなのかどうか? 大変、疑問に思っています。

      新憲法が、象徴天皇を取り入れたのは、当時の「人心掌握」の手段としては(為政者側からの)
      評価を得たものであったかもしれません。 しかし、現時点、憲法改正を考えるのであれば、
      まずは「天皇制の見直し」をこそ、最優先に取り上げて欲しいのです。

      「国民の尊敬を集める天皇ご一家」ということと、「憲法上の象徴天皇制」とは、同じものなので
      しょうか?
      一番気になって仕方ないのは、「皇室会議」なるものが、「天皇ご一家」の大事な問題を決定すると
      いう点。 天皇家の方々の結婚相手ですら、総理大臣を長とする「皇室会議」での承認を得た上で
      などという、とんでもなく非人道的・反人権的手続きのもとに進められているのです。 (形式的な
      ものでしかない・・・などとは言わないで欲しい!)

      天皇ご一家と皇族の方々が、この制度によってどのようなご苦労をなさっておられるかを、国民は
      本気で考えたことがあったのでしょうか?

      亡くなられた桂宮様は、一生を独身で過ごされました。 聞くところによれば、学生時代に学友から
      「税金泥棒」といった悪口を浴びせられ、同じ悩みを抱く「もう一人のご自分」を生み出したくはない
      とご決心なされたとのこと。 このような国民による皇族・天皇ご一家への非礼が、許されていいもの
      でしょうか?

      私は、天皇ご一家を、憲法やその他の法律によって、このように「ご不自由な状態」に留め置くこと
      には、どうしても納得がいきません。

      そこで、提案です。 憲法改正のトップに、まずは「天皇ご一家と皇族の方々」を、憲法等でしばる
      ことを止めましょう。 天皇家を、国民の敬愛する伝統の家系として、ご自由な立場に戻っていただく。

      もちろん、財政的な問題もありますから、
         ・ 現在、宮内庁が所管しているすべての動産・不動産は、天皇家のものとしてご自由に管理
           していただく。
         ・ 向う 100年とか、300年とかの期間は、現在の宮廷経費をベースに、国家財政から順次減額
           しながら歳出計上していく。
      といった経過措置をとることなどが必要でしょう。

      憲法に束縛されない「天皇ご一家や皇族方」が、100年とか、300年後でも、国民から敬愛されること
      こそが、本当の姿ではありませんか?

      ということで、私は憲法改正:その最初の項目は、
         「天皇制」という束縛で、天皇ご一家と皇族方にご不自由をおかけしている現状を改める
      ことだと思ってしまうのでした。

      こういう改憲の意見があってもいいのではありませんか?




今週の思い出   故郷 別府では 8/13〜15 がお盆でした。
  子どもの頃から馴染んだ盆踊り歌の数々。
  それをもとに室内オーケストラ風の作品を
  DeskTopMusic として制作しています。

    《豊後の盆踊り歌による狂詩曲》

  右の図をクリックしてお聴きいただけます。
  



レクィエム : 義弟 ( 8/9 )

8/14  妹からの電話で、義弟が亡くなり、家族葬で野辺送りを済ませたとのこと。
春先から、具合の悪いことは聞いていましたが、誰にも会いたくないとの本人の気持ちを
汲んで見舞いもしないままに終わりました。 本人の意向でこういう逝き方をするケースが
これからは多くなるのでしょうか。  合掌。



    
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