ル・コルビジュエ 顛末記
ル・コルビジュエ 顛末記

先般、東京・上野の「西洋美術館」を含む ル・コルビジュエ の建築物が
世界遺産に指定され話題になっています。 実は、私には20歳代なかばに
2年間を過ごした東京・調布市の会社の訓練施設に入った際、その宿舎が
ル・コルビジュエ の設計によるものだとの話を聞かされた記憶があります。

当時、この建築設計家の名前など全く知らず、名前の珍しさと、宿舎の
かなりユニークなデザイン(地中海あたりのコテージ風)に 『びっくり』 させ
られたという強列な記憶があり、半世紀を過ぎた今、それが蘇ったのでした。

それで、次のような投稿を FaceBook に行ったのです。





   問い合わせに対し、丁寧な回答を頂戴することができました。

   結論からいえば、外国人はもとより社外の建築家の関与はなかったとのこと。
   あの宿舎は、1951年に 「東京電気通信第一学園」(当時の名称)の学寮として
   作られ、当時の建築局メンバーが関わっていて、なかでも、内田祥哉氏が担当
   した 《マルセル・ブロイヤー風の、水平に流した丸パイプの上に、段板を敷き
   並べた鉄骨階段は、土嚢を吊り下げて構造の安全性を検証した》 という話が
   伝わっている由。

   この内田氏は、1956年、同じ場所にある「中央電気通信学園講堂」の設計も
   担当なさっていて、ともに、氏の電電公社在職中のユニークな建築物として
   広く知られている ・・・ ということも分かりました。





学園正門から講堂への並木道(↓) 講堂ステージからの会場全景(↑)



   ということで、私の耳にした情報は「あやまり」であり、ちょっとだけ残念な
   気もしますが、電電公社建築局の方々が、ユニークな仕事を現在に残して
   いることを、あらためて認識することとなったのでした。

   こころよくご回答くださった NTTファシリティーズ のご担当者様にあつく
   御礼を申し上げます。 有難うございました。