問い合わせに対し、丁寧な回答を頂戴することができました。 結論からいえば、外国人はもとより社外の建築家の関与はなかったとのこと。 あの宿舎は、1951年に 「東京電気通信第一学園」(当時の名称)の学寮として 作られ、当時の建築局メンバーが関わっていて、なかでも、内田祥哉氏が担当 した 《マルセル・ブロイヤー風の、水平に流した丸パイプの上に、段板を敷き 並べた鉄骨階段は、土嚢を吊り下げて構造の安全性を検証した》 という話が 伝わっている由。 この内田氏は、1956年、同じ場所にある「中央電気通信学園講堂」の設計も 担当なさっていて、ともに、氏の電電公社在職中のユニークな建築物として 広く知られている ・・・ ということも分かりました。 ![]() ![]() ![]() ということで、私の耳にした情報は「あやまり」であり、ちょっとだけ残念な 気もしますが、電電公社建築局の方々が、ユニークな仕事を現在に残して いることを、あらためて認識することとなったのでした。 こころよくご回答くださった NTTファシリティーズ のご担当者様にあつく 御礼を申し上げます。 有難うございました。 |