断捨離 の構成 | A.考察編 | 1.<自分史>考 | 6月第2週 | |
2.<社会への対峙>考 | @ 脱キリスト教・脱宗教 | 6月第3週 | ||
A マスコミとの関係 | 7月第1週 | |||
付記 佐村河内氏の報道 への感想 | 7月第3週 | |||
B.作業編 | * コンサートのケース | 6月第1週 | ||
* LP / CD コレクションのケース | 7月第1週 | |||
* <脱> 日帰りバスツアーのケース | 7月第2週 |
ここで私の好きな日本人作曲家:武満徹さんのことを付記しておきましょう。 ちなみに武満さんは音楽大学には入学しておりません。(^_^); 私が武満さんの作品に出会ったのは、1959年8月、軽井沢で開かれた <第3回現代音楽祭>でのことでした。 ここで「2本のフルートのためのマスク」の初演を、林リリ子さんと小出信也さん の演奏で聴いたのでした。 これは明らかに<現代>の音楽でした。 これまで聴いたことのないタイプの 響きでした。 東京に戻って、すぐに武満さんの出版楽譜を探し、「8つの弦楽器のための ソン・カリグラフィー」を求めました。 半年前に出版されたばかりのものでした。 交響曲のスコアには馴染んでいた私ですが、この楽譜の解読・解析には全く お手上げだったことを記憶しています。 ![]() つまり、それまで馴染んできた類の音楽とは、全く異なる響きで、わずか 31小節 のこの曲は、当時の私には難解すぎたのでした。 しかし、その響きの『厳しさ・研ぎ澄まされた緊張感』には、畏敬の念を抱いた のでした。 武満さんの作品をオーケストラで聴いたのは、1960年5月が最初です。 作曲者の名を一躍有名にした あの「弦楽のためのレクィエム」でした。 実はこの作品、1957年の初演当時はほとんど話題にならなかったのですが、 1959年に来日したストラヴィンスキーがそのテープを偶然聴き、賞賛。 世界的 評価の契機になったというのはよく知られた話です。 これも新しい響きの作品ですが、文字通りの弦楽合奏曲であり、大編成オーケス トラのためのものではありません。 手許の 1960年9月号「音楽芸術」に、そのスコアが掲載されていますが、75小節。 演奏時間は10分弱。 本格的なオーケストラ作品は、1967年11月 N響の特別演奏会で「テクスチュアズ」 という作品に出会ったのが、最初でした。 軽井沢から、実に8年後のことです。 ウィキペディア:武満徹 武満さんの作品リストを見ると、初期の作品は、1950年の「2つのレント」とか、 52年の「遮られない休息 T 」など ピアノ曲や、歌の曲ばかりです。 本格的な管弦楽作品の登場までの間、小規模な作品がたくさん書かれています。 管弦楽曲の作曲というのは、こういう小品の積み重ねの後に始まるものなのです。 この個所は、このページのために書き足したものです。 |
毎日新聞へのメールA 5月27日付け「記者の目:別人作曲問題が教えるもの」に対する感想 私は、先に3月14日付「検証 佐村河内氏報道」に対する感想・・・をお送りしました。 その中で、新聞社(記者)の姿勢を厳しく批判しましたが、今回の京都支局 野宮珠理記者の 「目」には、実に的確な視点から<ものごと>を整理していらっしゃると、心底感服いたしました。 ・ 大きな組織では、とかくヒエラルキーがものを言い、支局の記者が何を言っても、本社では ほとんど耳を貸さないという傾向があると推測します。 私自身、大企業でそういう状況を 数多く体験しているので、それはそれでよく理解します。 ・ ただ、今回のテーマは「クラシック音楽」というある意味で専門的なフィールドでの 出来事です。 こういう特定のテーマに関しては、本社のしかるべきポストにいる社員が 十分にこなせるという訳にはいかないはずです。 ある意味、「餅は餅屋」で、普段は本社の人間が見下しているような「支局」の中に、 むしろそのテーマを得意とするタレントがいるということは、十分にありうることです。 ・ 京都の野宮記者の社内での位置づけがどういうものかは知りませんが、少なくとも、前の 斎藤記者のとんちんかんな観察眼とは、まったく別次元の、クラシック音楽に対する鋭い 理解があることが伺えます。 社内の記者のこういうスキルを、本社はきちんと「データベース」化して活用することが 肝要でしょう。 ポストの上下を抜きに、このテーマなら、あいつにやらせろ! という 判断が、本社の方できちんと把握・決断でき、すぐにその記者を(すくなくともそのテーマ に関しては)担当に指名して、しっかりとした取材と記事をゆだねるという仕組みがあれば すばらしいのに・・と、私は思います。 ・ 今日の記事の内容には、十分に納得と満足がありました。 一点、違和感のある個所を記すなら・・・ そうした日の当たりにくい現代音楽の世界に、佐村河内氏は分かりやすさを 持ち込み、需要を刺激した。 という部分です。 佐村河内氏の「音楽」は、もともと「現代音楽」ではなく、あえていえば「後期ロマン派」 まがいの作品でしょう。 その CD が売れたからといって、「現代音楽」への需要が云々 というのは、見当違いだと思います。 もしかしてマーラーやブルックナーの CD などが、あたらしいファンを獲得するかも しれませんが、いわゆる「現代音楽」= 20世紀後半以降の、日の当たらない世界に目を向け させる効果があったとは、とても思えません。 しかし、この一点を除けば、野宮記者のレポートは、他のものに抜きんでたクォリティが あると思います。 立派なフォロー記事を拝見し、嬉しく思いました。 有難うございます。 |
今週の | ![]() |
残念! | 連勝記録を伸ばしていた ゲーム フリーセル ですが、 ついに不覚をとってしまい、 1,895連勝でストップ。 気を取り直しての再挑戦です。 |
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