☆ 6月第3週 ☆    2014/6/12 〜 6/18


断捨離 : <社会への対峙> から考える @
 
断捨離を、私は2つの側面から考えてみようと思っています。
第一は、前回とりあげた「自分史」の視点から。 
そしてもう一つは、自分と社会との関係から・・です。


社会との関係というと、えらく大げさな感じがするかもしれませんが、間違いなく自分と社会との
距離感といったものが、ある時は、包み込まれる関係であったり、また時には厳しく向き合う関係で
あったりという形で、自分の生活や、行動のスタイルを左右することも多々あったと思うからです。

今回は、そのひとつとして、信仰(私の場合は、キリスト教)との関係・向き合い方を
振り返り、それが私の生き様・ライフスタイルに齎したものを『総括』しておきたいと思います。


   私は、小学生の頃から教会に出入りしていて、16歳の 1951年秋にカトリックの洗礼を受けました。
   今でも毎日曜日には教会でミサに与り(参加し)、キリスト者として振る舞っています。
   では、その信仰の有り様が、60年間まったく変わっていないかといえば、そんなことはないわけで、外目とは別に、
   自分の意識のなかでは、《脱キリスト教・脱宗教》 の心境に到っています。

   なぜ、今も教会に行っているのか? と問われれば、「母校の同窓会に行くようなもの」というのが適切な表現かと    
   思います。
   そういう私の信仰の見直しを、次のサイトでまとめてありますが、

      
http://ilovejesus.minibird.jp/jesus.htm



   その要点を整理してみたのが今週のこのページです。
   慣習としての信仰ではなく、自分の意識を左右する要素としての信仰という視点で考えるなら、このテーマもまた、
   「断捨離」のテーマになってくると思っているのです。

  1.キリスト教との出会い
    1945年の終戦で、私の住んでいた九州の別府には、すぐに米軍キャンプができ、アメリカ兵が町中にあふれる
    状態になりました。 英語の歌や、外国映画など、欧米の文化が大波のように生活の中に入り込み、それまでの
    神国日本の少年であった私(たち)を圧倒するようになりました。
    そういう外国文化のひとつとして、以前から別府に存在していたカトリック教会が、少年たちに興味を覚えさせた
    のです。 娯楽の少ない時代に、教会で見る「幻燈」(現代風に言えばスライドでしょうか)の漫画や、聖書の
    物語は、少年たちの心を十分に惹きつけていったのです。

    この辺りの詳細は、こちらをご覧ください。

    1951年の秋、私は当時、勤務の関係で過ごしていた熊本で、洗礼を受けました。 16歳でした。

  2.カトリック教会の改革(第二バチカン公会議)
    当時のカトリックは、宗教改革の後に開かれたトリエント公会議(1554〜1563)の影響を引き継いでいて、
    プロテスタント教会との対立、ローマ教会の優位性の強調といった閉鎖性を保持し続けていました。
    カトリックのそうした保守的な姿勢は、どうかすると「反近代化」「反世俗化」といった傾向を生み出して
    いたのです。 私もまた、そういう教会の姿こそが、真のキリスト教の姿だと教え込まれていたのです。

    1960年代に入って、当時のローマ教皇ヨハネ23世は、第二バチカン公会議の開催を宣言します。
    高位聖職者ですら、教皇が何を意図していたのかを十分には理解していなかったと言われています。
    この公会議は、最終的に16の文書を発表します。 これはその後のカトリック教会を大きく方向転換
    させる重要な内容を含んだものです。
    ミサ典礼の自国語化(それまではラテン語中心)、プロテスタントを始め、諸宗教との対話強調路線、
    現代的な課題への取り組みに関する教会の姿勢などなど、教会の現代化に関する数多くの基本方針が
    話し合われ、世界に公表されたのです。 ヨハネ・パウロ2世など、その後の教皇の行動を見れば
    教会の現代化という歩みが確かなものになりつつあることが、はっきりと見て取れます。

  3.私の「信仰見直し」実践
    上記 16の公会議文書の中に「現代世界憲章」という一冊があります。
    私はこの文書を読んで、非常な衝撃を受けました。 そこには、それまでの「信徒を丸抱えする<母なる
    教会>」ではなく、「信徒の自立」を促す方向性が明確に示されていたからです。
    私はこれを、教会による「子離れ宣言」だと理解しました。 そして、私自身が、その期待に応えて、
    「親離れ」しなくてはならないのだと気づかされたのでした。

    こうして私は 「己の信仰の再点検、<イエス>の再発見」 という大きな課題に立ち向かうことになります。
    それまでの、教会の教え・神父の指導に「従順に付き従う」という信仰生活から、自分のこころと思考を用いた
    新しい信仰<神との新しい関係>を発見・再確認する作業が始まりました。

    この辺りの状況も、 先の参照サイト に、かなり詳しく記してあります。

    結果的に、私は次のような信仰に到達しました。

       イエスの教えの神髄 : 「神は人を裁く方ではない」、「目の前のひとりに本気で関わりなさい」

       イエスという生き方 : 「報いを求めず、誉れを欲しない」、「最後は野垂れ死をも甘受する」


    という2点です。 これは宗教としてのキリスト教とは、かなり異なる到達点でした。

   こうして、私は 「脱キリスト教」「脱宗教」 という心境に到りました。
   これは、キリスト教の否定とは違うのです。 キリスト教という学校で学んだ上で、その学校を卒業したという
   至極素直な結論なのです。 ですから、この結果を根拠にして「キリスト教批判・否定」をすることはありません。
   私にこういう神理解・イエス理解に到達するチャンスを与えてくれたのは、他ならぬ伝統的な教会そのもの
   であったからです。 第二バチカンを機に、教会は真の意味で、信徒の自立をはっきりと後押ししはじめたのです。

   今の私にとっては、葬式も墓も必要ないものだと思えます。 でも、残された家族は、カトリックの慣習に
   したがって、そういう手順を型どおりに進めることでしょう。 それに異議は申し立てません。 葬儀などは
   死んだ本人のためというよりは、残された人々のためのものです。 死んだ男 がそれについてとやかく文句を
   言うのは筋違いと言うべきでしょう。

   こうして、私は、キリスト教(宗教)を卒業(断捨離)し、宗教ではない「イエス信仰」という境地の中で最期を
   迎えようとしているのです。
   同じことを人様にお勧めするという気持ちは皆無です。 一人ひとりが自分で考え抜き、求めるものを掴む
   ことが肝要です。 どれが正しいと言い争うようなテーマではないと思うからです。




memento mori


今週は、ちょっと重たいキリスト教関係の話題ですが、ついでにもうひとつ。



   古代ローマには、memento mori という言葉があったそうで、それは一般的には
   「今を楽しめ」 という意味で使われていたとのこと。
   ところが、キリスト教の流布によって、逆のニュアンスで 「来世に思いを馳せる」 と
   いう風に用いられるようになったのだそうです。

   キリスト教の死生観・世界観の是非は脇に置き、こういう 「自戒の尊重」 という特性
   (徳性といってもよいでしょう)をもつ宗教的雰囲気は、捨て去ってはならない
   「人間の尊厳の基礎」 として、私は大事に考えておきたいと思っています。

   カトリックでは、黙想会と呼ぶ 「心を整える」 行事があります。 クリスマスの前
   (待降節)とか、復活祭の前(四旬節)などに行われることが多いのですが、
   説教と 沈黙のうちに祈る(=黙想) こういう習慣が伝統的に大切にされています。

     余談ですが、リオのカーニバルなどの名で有名なあの祭りは、四旬節の直前に、
     これから40日間の「黙想・苦行」の日々が始まる。 その直前に大騒ぎをして
     おこう! ・・・ という趣旨で始まったものです。

     まるで、古代ローマでの 「今を楽しめ」 と、中世キリスト教世界での 「自戒と
     節制」 との対比に似ているとは思いませんか?

   私が最初に通っていた別府の教会は、サレジオ会という修道会が運営している教会でした。    
   サレジオ会ではなぜか 「黙想会」 のことを 「善き死の練習」 と呼ぶことがありました。
   memento mori のイメージが、黙想会につながるのは、私のそういう少年時代が
   その理由かもしれません。

   いずれにしても、現代の 「快楽・娯楽」 志向の風潮に対して、対極の 「節制・克己」の
   こころを養うことは、忘れ去ってはならないテーマだと思っています。

   残り、47週 とカウントダウン中の私にとって、キリスト教的なこういう 「霊性」 は、
   脱宗教という立場にいる今であっても、やはり尊重すべきアイディアです。
   私の脱宗教は、そういう背景の中から実現したものだからです。





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