☆ 6月第2週 ☆    2014/6/05 〜 6/11


断捨離 : <自分史> 考
 


   実は、多くの先輩方・同窓各位から、「自分史」を頂戴しています。
   中には、いわゆる自分史の範疇をこえて、先祖探しで、江戸時代まで家系を遡るという     
   すごい作業をなさっている先輩もいらっしゃって、もうただただ驚嘆するばかり。
   こうなると<自分史>制作は、断捨離の視点ではなく、退職後の自由な時間を活用した
   「自分探し」の領域だと考えることもできそうです。

   ここでは、そういう視点ではなく、いずれ捨てるべき自分の歴史(時間)という視点から
   自分の過去を総括・清算し、人生への未練を無くす ・・・ とまではいえずとも、強い
   愛着・未練を抱いたまま、最期のときを迎えるのではなく、逆に、思い切りよく・機嫌よく
   「バイバイ」と言えるように準備しておきたいという視点で考えようと思います。

   余談ですが、聞くところによると、自分史制作にかかる手数はもとより、印刷・製本にも
   相当の金額を要するものだとのこと。

      参考: http://www.shimpu.co.jp/selfpublishing/charge/ 

   だからという訳でもないのですが、私は「自分史」制作をしないことにしています。
   別の方法で、自分なりの歩みの総括を手掛けているのです。

   それは、人生を振り返ってもっとも記憶に残る時期・後々の生き様に大きく影響を与えた
   時期について、集中的に「自分史」的なものを編纂すればそれで十分ではないか? と
   考えたからです。

   そこで、私の Web_site に 「27歳だった」 というページを 2012年に開設しました。
   これは 1962 〜 1964 にかけての私の日記を、当時の写真などと組わせた上で、
   現時点の目線からの若干のコメントを付して編集したものです。

          http://ilovejesus.minibird.jp/27sai/27top.html



   この3年間は、私の人生でもっとも生き生きとした時期であり、また同時に、負いきれ
   ないほどの困難に遭遇した時期でもあり、何よりも人生観に決定的な影響を齎した
   時期だった・・・からです。

   私にとっては、この時期を除いては、あえて「自分史」に収録するほどの日々はなかった
   つまり、流れの中で受け止めるしかない時間ばかりだった・・・ということになります。






6月8日に、79歳の誕生日を迎え、平均寿命まで、あと 0.94 年と、一年を切りました。
この際、10年前、20年前、30年前の6月8日を振り返ってみました。


  2004/6/8   

   火曜日

  早めに病院へ。 8:30 に手術室へ。
  3人で食事室で待つ。 3人だから気が紛れる。
  3時に執刀医より説明。 予定通りの由。 Thanks.
  4時病室に。 術後の体温低下。 
  二人で引き上げ、ホテル近くの店で、誕生祝をする。   

  13歳年下の弟が、大腸がんの手術を受けた日でした。
  私と妹とが関西から上京し、弟の嫁と3人で手術中の
  緊張した時間を病院の食事室で過ごしたのです。

  この手術は成功したのですが、がんはその後、全身に
  転移し、結局 2008年9月に同じ病院で亡くなりました。

  私が中学生の時に生まれた弟のことは、生まれた日から   
  亡くなった日まで、ずっと見続けてきた唯一の身内です。


  1994/6/8

   水曜日

  第3回用のレジメを作成。 夕方より梅田へ。
  大泉へお供えの送付。
  あとコンポホールでの激励会へ。
  今年あたりで止めにしても・・・
  DTM創刊号、ちょっとガッカリ。

  当時、私は「障害者支援グループ」で、パソコンのデータ
  ベースソフトの講座を担当していました。 その講座の
  翌週用のテキストを毎週作成していたのです。

  激励会は、元の会社のノンプロ野球部のもの。 現役
  時代、野球部長をしていた時期があったので、退職後も
  こういう付き合いがあったのです。

  当時の監督は、その後、NHK-TVで高校野球の解説を
  長らく務め、今はその後を、当時 捕手だった M 君が
  引き継ぎTV画面に顔を見せているのも嬉しいことです。

  DTM とは、デジタル音楽(コンピュータミュージック)の
  専門雑誌。 現在も発行されています。


  1984/6/8

   金曜日

  激しい雨。 メリケンロードの総会。
  あと機関長会議へ。

       ・・・・ (途中、省略) ・・・・  49歳!

  この頃、私は神戸のある職場を預かっていました。
  メリケンロードの会は、地元企業の連絡会です。
  夕方、職場に戻ると、問題が発生していました。
  いまさら紹介する内容ではありませんので、省略します。
  かなり怒り心頭の状況記録があります。
  その後、なじみの店で遅くまで飲んだとの記録も・・(^_^);



1984年の日記には、今更は取り上げたくもないトラブルのことが書いてあります。
これより前の日記を披露しないのも、同じような 「省略したい日々」 が多いからです。
40年ほどの現役時代は、あらためて「断捨離」の対象にするまでもない時期だった気がします。

16歳で就職し、とにかく食べるために仕事をするしかなかった・・・家計を助けることが
最優先の なすべき事柄 でした。 仕事の中身が好きとか嫌いとかは二の次。
あの時代を生きた人々のほとんどは、そういう境遇の中で仕事をしていたのだと思います。
27 から 29 歳の時期を過ごした研究所での、システム開発に従事した時期だけが、
私にとっては、唯一の「好ましく振り返る」ことのできる時期でした。

退職後、ある先輩から「橋口君が、いちばん生き生きとした定年後を過ごしているなぁ」と
言われたことを思い出します。 今回の 6月8日 の日記を振り返っても、そんな気がするのでした。




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