この奈良での体験の直後から、私は、不思議というより、摂理としか思えない方法で、重症の 病人のところへ招かれるようになりました。 そして病人のところへ行くと、誰に教えられたわけ でもないのに、自然に手が伸びて、その人に触れながら呼吸を合わせ、静かな時を持つのです。 病人のどこが悪いか、どんな痛みか、私は自分の体で感じ取りました。 日常とはまったく次元の異なる時間帯の中へと入っていくのです。 それは病人と二人でともに 味わう瞑想の極地のような状態です。 私は病人と一体となり、大宇宙の気が私の手を通って 病人の中に流れていくのを感ずるのです。 それは深い静けさの充満した時間であり、病人とも 宇宙とも、ありとあらゆるものとの一体感に満たされます。 そのような状態になると、もう 病人が治癒したらいいとか、奇跡が起これはいいとか、そういう考えさえ浮かばず、思考は いっさい消えています。 そこには、私が「生ける光」との一体感の中で味わった生きいきとした歓喜の感情は湧き あがってきません。 その代わりに、あの時体験した深い透明な静けさが病人と私を包んで くれます。 そしてこうした時間を共有すると、病人と私の間には深い絆が生まれます。 私が病人にすることは、共にいることだけなのですが、一度訪れると、その人はいつでも私を 待ちよろこんで迎えてくれます。 私が手を当てていると、心地よい眠りに入る人もいます。 時には、深い心の底から噴き上げる思いを話し続ける人もいます。 私はただ一緒に呼吸して いるだけですから、その人たちは私に語るというより、むしろ自分の一生を振り返り、その人に とって、意味のあることを見つめ直し、死を前にして、大切であると思われることを取り上げては、 自分自身の思いを整理しているのです。 次の個所は、シスターがアメリカで出会ったメリーという「たくさんの死にゆく人を みとった」体験を持つ方から聞いたものだそうです。
私は、この話を聞いて、あらためて『人間は、thinking amimal しゃべりたがっている 』 という 岸神父の言葉 を思い起こすのでした。 |
50年前のオリンピックを思い起こすイベントなどがあった今週でした。 私は当時29歳、東京で勤務していました。 ただ仕事が忙しく、実際に競技を観戦したのは ボクシングの試合だけでした。 当時の日記を こちらで公開 しています。 ![]() ![]() |
今週の | ![]() | おめでとう | 今回の物理学賞、テーマが 身近で素直に納得。 お三方のキャラの対比も 魅力たっぷりで、万々歳!! 本当に嬉しいニュースでした。 |
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