☆ 10月第3週 ☆    2014/10/09 〜 10/15


臨死体験 : 鈴木秀子  「死にゆく者からの言葉」  A


   この奈良での体験の直後から、私は、不思議というより、摂理としか思えない方法で、重症の
   病人のところへ招かれるようになりました。 そして病人のところへ行くと、誰に教えられたわけ     
   でもないのに、自然に手が伸びて、その人に触れながら呼吸を合わせ、静かな時を持つのです。
   病人のどこが悪いか、どんな痛みか、私は自分の体で感じ取りました。

   日常とはまったく次元の異なる時間帯の中へと入っていくのです。 それは病人と二人でともに
   味わう瞑想の極地のような状態です。 私は病人と一体となり、大宇宙の気が私の手を通って
   病人の中に流れていくのを感ずるのです。 それは深い静けさの充満した時間であり、病人とも
   宇宙とも、ありとあらゆるものとの一体感に満たされます。 そのような状態になると、もう
   病人が治癒したらいいとか、奇跡が起これはいいとか、そういう考えさえ浮かばず、思考は
   いっさい消えています。

   そこには、私が「生ける光」との一体感の中で味わった生きいきとした歓喜の感情は湧き
   あがってきません。 その代わりに、あの時体験した深い透明な静けさが病人と私を包んで
   くれます。 そしてこうした時間を共有すると、病人と私の間には深い絆が生まれます。
   私が病人にすることは、共にいることだけなのですが、一度訪れると、その人はいつでも私を
   待ちよろこんで迎えてくれます。 私が手を当てていると、心地よい眠りに入る人もいます。
   時には、深い心の底から噴き上げる思いを話し続ける人もいます。 私はただ一緒に呼吸して
   いるだけですから、その人たちは私に語るというより、むしろ自分の一生を振り返り、その人に
   とって、意味のあることを見つめ直し、死を前にして、大切であると思われることを取り上げては、
   自分自身の思いを整理しているのです。


        次の個所は、シスターがアメリカで出会ったメリーという「たくさんの死にゆく人を
        みとった」体験を持つ方から聞いたものだそうです。

   


   つい十五年ほど前まで、私たちは病人と話す際に、死については一切触れず、回復する
   ことだけに焦点を当てて励ましてきました。
   しかし今は、病人に対し、まったく違う接し方をしています。 死を身近に感じている病人が
   今ここで何を考え、どんな気持ちを味わい、どういったことを望んでいるのか、まずそこに
   中心をおいて接するようになったのです。

   死に向うという、それまでに体験したことのない状況の中で、病人は死に対する恐れや
   不安、そして今終わろうとしている自分の人生に対してさまざまな想いが胸をよぎります。
   中でも多くの人が、自分にとって家族がいかに大切であったかを思い、辛く淋しい別れを
   味わっているのです。 もちろん家族に感謝したい気持ちもあれば、自分が亡き後、家族が
   幸せに暮らしてほしいという望みもあるでしょう。 病人はこうした思いや希望をざっくばらん    
   に話して、あるがままに理解してもらいたいのです。 生き抜けなかった自分の人生や、
   切り捨てた部分への悔いや望みも話してみたいのです。

   とくにこの思いが強いのは、誰かに対して不和の感情を持っている時です。 どの病人も
   まず、仲直りをしたいと切に望みます。 そして多くの病人が、不和の相手に対し、自分が
   悪かったと素直に自分の非を詫び、許しを乞い、心の交流を持ちたいと望むのです。

       彼女によると、実際には家族をはじめ、こうした状況に対処できる条件を満たせる
       ケースは珍しいということです。

   したがって彼らが求めるのは、自分の心を安心して打ち明けられる家族以外の人であり、
   何を話しても動揺しない、自分の気持ちをあるがままに受け入れてくれる人なのです。
   それは友達かもしれませんし、遠い親戚の人かもしれません。 アメリカではカウンセラー
   や修道者がその役を果たすことがあります。

   話を受けとめてくれる聞き手にもよりますが、彼らが人生の最後と思われる時に語る言葉
   は、ある時は長く、ある時はただ一言に過ぎないかもしれません。 私は病人の傍に座り
   黙って息を合わせます。 深い沈黙の中に 二人の間の交流が始まったと感じるころ、
   病人は多くの場合、自分から話を切り出します。 そして病人が主導権を取って心の赴く
   ままに話し、私はそれに従って行くだけに過ぎません。 ある人は自分の一生を振り返り、
   ある人は他者のことを話題にします。 私は、その人が本当に伝えたいと思う気持ちを
   しっかりと受けとめようと努力します。 そして、『あなたの伝えたいことは、こんな
   気持ちなのですね』と、時々、確認していきます。 そうしているうちに、病人は自分で
   心の深みに入ってゆき、最も切実なことを把握しながら次々と表現するようになるのです。
   それは病人と聞き手である私とが、二人で共に辿る心の旅路なのかもしれません。
   そして病人が話すのをやめて沈黙し、安らぎが漂うのを感じた時、私はその人が、この世
   において為すべきことを完了したと理解するのです。

   こうした体験、つまりみずから語る話を、聞き手の誰かに受け入れてもらうことが、
   死にゆく人にとって最も大きな、そして人生最後の仕事となるのです。


       私は、この話を聞いて、あらためて『人間は、thinking amimal  しゃべりたがっている 』
       という 岸神父の言葉 を思い起こすのでした。






50年前の今週 : 東京オリンピック


   50年前のオリンピックを思い起こすイベントなどがあった今週でした。
   私は当時29歳、東京で勤務していました。 ただ仕事が忙しく、実際に競技を観戦したのは    
   ボクシングの試合だけでした。
   当時の日記を こちらで公開 しています。

   



今週の おめでとう    今回の物理学賞、テーマが     
   身近で素直に納得。

   お三方のキャラの対比も
   魅力たっぷりで、万々歳!!

   本当に嬉しいニュースでした。



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