私の所持する複数の「翻訳聖書」で、問題の個所を比べてみましょう。 ● ラゲ訳 : カトリックの古い翻訳聖書(初版発行 明治43年) 汝等之を如何に思ふぞ。 或人二人の子ありしが、長男に近づきて、子よ、今日我が葡萄畑に 往きて働け、と云ひけるに、彼答へて、否と云ひしも、遂に後悔して往きたり。 又次男に近づきて同じ様に云ひけるに、彼答へて、父よ 我往く、と云ひしも遂に往かざりき。 此の二人の中 孰か父の旨を成したるぞ、と。 ● 日本国際ギデオン協会 頒布版 : プロテスタント系のもの(1954年 日本聖書協会) あなたがたはどう思うか。 ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った。 『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』 。 すると彼は 『おとうさん、参ります』 と答えたが、行かなかった。 また弟のところにきて同じように言った。 彼は 『いやです』 と答えたが、あとから心を変えて 出かけた。 このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか。 ● バルバロ訳 : カトリックの口語体翻訳聖書(初版発行 1964年) あなたたちはどう思うか? ある人に二人の子があった。 その長男に ”息子よ、今日は私の ぶどう畑へ行って働きなさい” といった。 息子は ”行かない” と答えたけれど、あとで思い 直して出かけて行った。 それから次男にも同じように命令すると、次男は ”はい主よ、そう します” といったけれど、とうとう行かなかった。 この二人のうち、父の思いどおりに したのはどちらのほうか? ● リビング・バイブル : いのちのことば社(1975年) ところで、次のような話をどう思うか。 ある人に息子が二人いました。 兄のほうに 『今日、 農場で働いてくれ』 と言うと、『はい、行きます』 と答えたのに、実際には行きませんでした。 次に、弟のほうに、『おまえも行きなさい』 と言いました。 弟は 『いやです』 と答えましたが、 あとで悪かったと思い直し、出かけました。 二人のうち、どちらが父親の言うことを聞いた のだろうか。 ● 共同訳 : 日本における初めてのカトリック・プロテスタント共同訳(1978年) ところで、君たちはどう思うか。 ある人に息子が二人いたが、長男のところへ行き、『今日、 ぶどう園へ行って働いてくれ』 と言った。 長男は 『いやです』 と答えたが、あとで考え直して 出かけた。 次男のところへも行って、同じことを言うと、次男は 『お父さん、承知しました』 と 答えたが、出かけて行かなかった。 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。 ● フランシスコ会訳 : カトリックの口語体訳聖書(初版発行 1979年) ところで、あなたがたはどう思うか。 ある人に二人の息子があった。 彼は長男のところに行き、 『息子よ、きょうはぶどう園に行って働いてくれ』 と言った。 すると長男は 『いやです』 と答えた。 しかし、あとで思いなおして出かけた。 次に、次男のところに行き、同じことを言うと、次男は 『お父さん、承知しました』 と答えたが、行かなかった。 この二人のうち、父の望みどおりに したのはどちらか。 ● 佐藤研訳 : 岩波版新約聖書翻訳委員会(1995年) そこであなたたちはどう思うか。 ある人が二人の子供を持っていた。 そこで彼は長男の ところに行き、言った。 「子よ、今日、葡萄園へ行って働きなさい」。 しかし長男は答えて 言った。 『私はいやだ』。 しかし長男はその後で思い直して、行った。 ところでその人は 別の子のところに行って、同じように言った。 するとこの子は答えて言った。 『主よ、まいり ます』。 しかしこの子は行かなかった。 二人のうちのどちらが、父の意思を行ったか。 ● 田川建三訳 : 作品社刊(2008年) 「あなた方にはどう思われるか。 ある人が息子を二人持っていた。 そして、最初の息子の もとに行って、言った。 子よ、今日行って、葡萄畑で働きなさい、と。 彼は言った。 行きたくありません。 だが後になって気持ちを入れかえて、出かけて行った。 またもう一人の 息子のもとに行って、同じように言った。 彼は答えて言った。 はい、主よ。 そして行かなかった。 この二人のうち誰が父の意志を実行したのでしょうか」。 ● 新共同訳 : 共同訳委員会が、新バージョンとして発行しているもの(カトリックの標準版) ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、 『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』 と言った。 兄は 『いやです』 と答えたが、後で考え直して出かけた。 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は 『お父さん、承知しました』 と答えたが、出かけ なかった。 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。 いろいろな日本語訳があることに驚かれたかもしれません。 ここで注目すべきは、「最初いやだと言ったが、思いなおして畑に行った」 のを、兄とする翻訳と、 その逆のバージョンがある という点です。 実は、聖書(福音書)の原本は現存していません。 すべては「写本」と呼ばれる手書きの複写です。 加えて写本ごとに微妙な違いが存在します。 なにしろ手書きですから、書き間違いが起こっても それほど不思議なことではないでしょう。 しかし、この個所での2つのバージョンの違いを、単純に書き間違いということには無理があります。 佐藤研訳の中に、次のような脚注があります。 定本(ネストレ - アーラント校訂本27版)によっているが、同定本の旧版(25版)では 兄弟の振る舞いの順番が逆になっている。 つまり、兄の方は行くと言って行かず、弟の方が、行かないと言ったにも拘わらず、 心を入れ替え、行く、という順序である。 この箇所に関しては、写本の勢力はほぼ伯仲しているが、やや 27版の順序の方が 有利である。 さらには、歴史的にも、行くと言って行かない兄の像にユダヤ人を、行かないと言い つつも改心して行く弟に異邦人を 読み込む救済史解釈 の傾向が確認できるので、 やはり 27版の方を採るべきであろう。 ここで触れらている 「ネストレ - アーラント校訂本」 とは、現時点、最も信頼性の高いといわれる 聖書学者たちによる 『聖書原典研究作業の成果物』 です。 研究が進むにつれて、新しい『版』が 次々と発表され、各国での聖書翻訳の 『底本』 として利用されています。 聖書を読むとき、ただ有難がって読むのではなく、なぜそのような記述になるのだろうと 『問題意識』 を 抱いて読み進めると面白いのです。 そういう意味でも、複数の翻訳聖書を比較しながら ・・・ という 読み方は好ましいことです。 今回の個所から、その辺りに気づいていただければと思います。 |
今週の | ![]() | お陰様で ・・・ | 昨年の 《8月第2週》 から引き取り手を探していた 聖書学者 : 田川 建三さんの著書7冊。 この程、7冊纏めてお譲りすることができました。 いささか親しみ易さに欠ける書籍の数々ですが、 新しい持ち主の方のお役にたてれば嬉しいです。 ネット社会が、見知らぬ方との出会いを実現させた という点でも、有難いことでした。 |
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