☆ 7月第5週 ☆    2015/07/23 〜 07/29


 不思議な福音書 @ : イエス誕生 直後のなぞ 


イエス・キリストの生涯は、新約聖書の4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)で
知ることができます。 ところが、この福音書の記述を素直に読むと、いろいろな矛盾に
満ちています。 そういう疑問点を拾い出して考えてみようというのが、今回のテーマです。

こういう取り上げ方をすると、熱心な?キリスト教徒の方が、必ず『攻撃』を仕掛けてくるのです (^_^) ; が
このシリーズの目的はキリスト教批判ではなく、冷静に福音書を読みたいという私の願いからのものです。
大事なことは、イエスをどのように受けとるか・受け入れるかということであり、聖書の一言一句を
無批判に ありがた〜く 拝読することではない ・・・ という思いが、私にはあるからなのです。

福音書の興味深い読み方の一例として、しばらくおつきあいいただければ幸いです。


   ● マタイ福音書の記述

    2: 1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
 そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
    2: 2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
    2: 3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。 エルサレムの人々も皆、同様であった。

    2: 9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに
 幼子のいる場所の上に止まった。
    2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
    2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。 彼らはひれ伏して幼子を拝み、
 宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
    2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」 と夢でお告げがあったので、別の道を通って
 自分たちの国へ帰って行った。
    2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
 「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、
 そこにとどまっていなさい。 ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
    2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
    2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。 〜 (省略)
    2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。
 そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムと
 その周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

    2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
    2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。
 この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
    2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
    2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、
 そこに行くことを恐れた。 ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
    2:23 ナザレという町に行って住んだ。 「彼はナザレの人と呼ばれる」と、
 預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

    マタイ福音書によると、ヨセフ 一家は、生まれたばかりの幼子イエスの命を守るため、とるものも
    取りあえず、エジプトへの逃避行を余儀なくされ、王の死後、見知らぬナザレにひっそりと移り
    住んだということになります。


   ● ルカ福音書の記述

    2: 1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
    2: 2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
    2: 3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
    2: 4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、
 ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
    2: 5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
    2: 6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
    2: 7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所が
 なかったからである。

    2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を
 主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
    2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」 と書いて
 あるからである。
    2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえ
 として献げるためであった。

    2:39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤの
 ナザレに帰った。
    2:40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

    こちらの伝承は、おなじみのクリスマスの情景です。 飼い葉桶に眠るイエス、ユダヤの伝統に
    沿った宮参り、親子は無事に故郷ナザレに戻って行きました。



    冷静な目で読めば、2つのお話はまるで異なる伝承であることが素直に理解できます。
    どちらが本当・真実かを議論することは、それほど大事な問題ではありません。

    マタイは、『エジプト逃避』 を旧約聖書の預言の実現として納得しようとしています。
    ルカは、ユダヤの伝統に沿った聖家族の姿を提供しようとしているのです。
    ドキュメンタリーではないので、どちらが 《真実》 か? などと議論することは本質的な目線
    とはいえないでしょう。

    ところが、教会の中には、何が何でもこの物語を 『史実そのもの』 であると考える熱心な人々
    いるのが、不思議なところです。

    甲子園教会の主任司祭は、ルカ福音書の「故郷ナザレに帰った」 その後に、ヘロデによる嬰児
    殺害が起こり、ヨゼフ一家はエジプトに逃避したと、説教台から話しています。

    一方で、教会の暦からいうと、「クリスマス」 → 「嬰児殺害(幼児殉教者)」 → 「イエスの
    神殿奉献」 という順序で、一連のイベントを記念していますので、主任司祭の説明とは異なって
    いるのです。

    いずれのケースにしても、出来事の時間的流れに無理があるのではないでしょうか?
    なぜ、こういう無理な 『解釈』 をしなくてはならないのでしょう。
    教会の伝承と、歴史上の事実とを、何が何でも一致させて解釈しなくては ・・・ というスタンスに
    そもそもの 『不合理性』 があります。
    信仰は、そういう 『整合性つじつま合わせ』 を追求する世界ではないと私は考えます。
    単純に、マタイさんの属する信仰共同体は、ある伝承を有し、ルカさんの属する信仰共同体は、     
    それとは別の伝承を有していたという単純な理解をすれば済むことなのです。

    何が何でも、聖書の記述は 『事実そのもの』 であると信じ込むことがキリスト教の土台だとの
    『思い込み・錯覚』 に陥ってはならないでしょう。 イエスを信仰するとは、そんなことでは
    ない筈 ・・・ というのが、私の 《脱・宗教》 《脱・キリスト教》 のスタンスです。
    大事なことは、イエスとその教え・生き方・死にざまを、どう受け止めるか? ・・・ でしょう。

        もう一つ言えば、イエスの誕生が12月25日というのも「事実」というよりは「伝統」でしょう。
        福音書では羊飼いが野宿していたとありますが、いくらユダヤでも、冬の時期の野宿は
        ないんじゃない ・・・ ということ。     参考: エルサレムの年間気象データ







今週のブラボー!     地元兵庫県立文化センターでの、夏恒例の自主制作オペラ公演。
  今年は10周年記念で、10日間公演となっています。
  このチケットがほぼ完売状態になるのですから、芸文の果す音楽
  文化振興という理念は人々の間にしっかり定着といえそうです。

  ダブルキャストですが、私の観たのは森麻希、ルチアーノ・ガンチ、
  マーク・S・ドスの組。 というのもジェルモンを歌う ドス をぜひとも
  聴いてみたかったからです。


  お目当てのドスに加え、テナーのガンチも張りのある声で聴きごたえ
  があり、大満足。 森さんもラストが上々で、まずは好演。

  映像をうまく活かした舞台で、満足できる公演でした。

  当日は、高円宮妃がご来場で、県知事が案内役を務めていました。




    Top Page へ戻る     7月第4週へ     8月第1週へ