● マタイ福音書の記述
取りあえず、エジプトへの逃避行を余儀なくされ、王の死後、見知らぬナザレにひっそりと移り 住んだということになります。 ● ルカ福音書の記述
こちらの伝承は、おなじみのクリスマスの情景です。 飼い葉桶に眠るイエス、ユダヤの伝統に 沿った宮参り、親子は無事に故郷ナザレに戻って行きました。 冷静な目で読めば、2つのお話はまるで異なる伝承であることが素直に理解できます。 どちらが本当・真実かを議論することは、それほど大事な問題ではありません。 マタイは、『エジプト逃避』 を旧約聖書の預言の実現として納得しようとしています。 ルカは、ユダヤの伝統に沿った聖家族の姿を提供しようとしているのです。 ドキュメンタリーではないので、どちらが 《真実》 か? などと議論することは本質的な目線 とはいえないでしょう。 ところが、教会の中には、何が何でもこの物語を 『史実そのもの』 であると考える熱心な人々が いるのが、不思議なところです。 甲子園教会の主任司祭は、ルカ福音書の「故郷ナザレに帰った」 その後に、ヘロデによる嬰児 殺害が起こり、ヨゼフ一家はエジプトに逃避したと、説教台から話しています。 一方で、教会の暦からいうと、「クリスマス」 → 「嬰児殺害(幼児殉教者)」 → 「イエスの 神殿奉献」 という順序で、一連のイベントを記念していますので、主任司祭の説明とは異なって いるのです。 いずれのケースにしても、出来事の時間的流れに無理があるのではないでしょうか? なぜ、こういう無理な 『解釈』 をしなくてはならないのでしょう。 教会の伝承と、歴史上の事実とを、何が何でも一致させて解釈しなくては ・・・ というスタンスに そもそもの 『不合理性』 があります。 信仰は、そういう 『整合性』 を追求する世界ではないと私は考えます。 単純に、マタイさんの属する信仰共同体は、ある伝承を有し、ルカさんの属する信仰共同体は、 それとは別の伝承を有していたという単純な理解をすれば済むことなのです。 何が何でも、聖書の記述は 『事実そのもの』 であると信じ込むことがキリスト教の土台だとの 『思い込み・錯覚』 に陥ってはならないでしょう。 イエスを信仰するとは、そんなことでは ない筈 ・・・ というのが、私の 《脱・宗教》 《脱・キリスト教》 のスタンスです。 大事なことは、イエスとその教え・生き方・死にざまを、どう受け止めるか? ・・・ でしょう。 もう一つ言えば、イエスの誕生が12月25日というのも「事実」というよりは「伝統」でしょう。 福音書では羊飼いが野宿していたとありますが、いくらユダヤでも、冬の時期の野宿は ないんじゃない ・・・ ということ。 参考: エルサレムの年間気象データ |
今週の | ![]() | ブラボー! | 地元兵庫県立文化センターでの、夏恒例の自主制作オペラ公演。 今年は10周年記念で、10日間公演となっています。 このチケットがほぼ完売状態になるのですから、芸文の果す音楽 文化振興という理念は人々の間にしっかり定着といえそうです。 ダブルキャストですが、私の観たのは森麻希、ルチアーノ・ガンチ、 マーク・S・ドスの組。 というのもジェルモンを歌う ドス をぜひとも 聴いてみたかったからです。 ![]() お目当てのドスに加え、テナーのガンチも張りのある声で聴きごたえ があり、大満足。 森さんもラストが上々で、まずは好演。 映像をうまく活かした舞台で、満足できる公演でした。 当日は、高円宮妃がご来場で、県知事が案内役を務めていました。 |