☆ 7月第1週 ☆    2015/06/25 〜 07/01


 老いは愉しみか ? 


ネットで検索すると、「老いの愉しみ」といったニュアンスのタイトルをもつ書籍が数多くヒットします。

曽野綾子 :  老いの愉しみ (PHP 研究所)
汲田克夫 : 晩節を生きる ― 老いの愉しみ方 (朱鷺書房)
城 夏子 : 愉しみ上手 老い上手 (海竜社)
中野孝次 : 老年の愉しみ (文芸春秋社)

など限りがありません。 しかし、本当に老いはそんなにも愉しみなもの ・・・ なのでしょうか?



   ● 体力の低下は否めない

     平均的な 80歳男性を考えてみてください。 この年齢で、毎日数キロのランニングをしているとか、毎月数回の    
     近場の山登り、あるいはゴルフ場でプレイするなどの<運動>をしている人・できる人が、何パーセントいるで
     しょうか?

     私の周囲あるいは同級生で、そういう人が皆無ではないまでも、きわめて珍しいケースになっています。
     故郷の中学校の最後の同窓会をするという話を耳にしたのですが、これまでずっと世話役をしてくれていた
     H君は、永年続けていた山登りも最近はできなくなった由。 他の同級生も似たりよったりの<体調不良>を
     抱えていることから、同窓会も今回で終わりにすることになったそうです。

     地元西宮で一緒にパソコン・ボランティアをしている同世代のメンバーが、先日亡くなりました。
     毎日、市内の 300メートルほどの甲山かぶとやまに登るのが日課だったとのこと。 テニスやバドミントンを楽しむなど
     見るからに健康そうな方でした。

     日本人の平均寿命は、世界でもトップ・クラス。 国際的な比較で言えば、日本のように健康な老人の多い
     状況は、欧米の諸国と比べてもむしろ高いレベルだと言えそうです。

     しかし、そういう日本でも、平均的な 80歳がすこぶる元気に ・ 自立した日々を送っているか? といえば、
     必ずしもそうとはいえない。 身の回りの世話を家族や、高齢者福祉に従事する方々に依存するケースも
     決して少なくはありません。 毎年、「介護保険料」 の通知を受け取ると 『 また増額か・・ 』 とため息が
     出ます。 先日受け取った通知でも、昨年より増額になっています。 (所得額は減少しているのに

     国民全体での相互扶助ということで、保険料の増額は仕方のないものと考えますが、それが、大きな負担
     になり過ぎてはいないでしょうか?
     政府は、高齢者を都市部から地方に・・・ということを検討している ようですが、そうまでして、日本人は
     長生きをしなくてはならないの? と、私には疑問に思えて仕方ないのです。


   ● 若い人の意見の芽を摘むケースも・・・

     先日の大阪都構想についての住民投票。 結果は「否決」でしたが、世代別の賛否比率を(出口調査で)
     見ると、年齢の高い世代での「反対」が多かったようです。 大阪市の高齢者優遇策(交通費補助など)が
     無くなるのでは? といった疑心暗鬼が、その理由の大きなものだと言われています。

          参考 : http://matome.naver.jp/odai/2143187054464327101

     こういう現象が起こると、高齢者は身勝手で、若い世代の意見や新しい芽を摘み取る役割しかしていない
     という見方をする人々が出てきても、無理からぬ話。
     昔の 『姥捨て山』 という話をついつい思い出してしまいます。


   ● 死にざまの選択ができる社会は・・・?

     多くの反論を覚悟してあえていえば、ある年齢以上の老人に関しては、「人生の幕引き」 の時期や方法に
     ついては、本人の選択 ・ 決定を社会が容認するということも 『あり』 ではないでしょうか。

     私はこのブログで、これまでも
映画 『ソイレント・グリーン』 のことを紹介しました。 あれはもちろん
     フィクションの世界でしたが、自分自身が平均寿命に達しそうな今、これをフィクションではなく、
     人生の幕引きの選択肢として、むしろ望ましいものではないかと強く思うようになっているのです。

     もちろん、いろいろなレベルでの議論、ルールと制約が必要なことは重々承知の上です。
     しかし、こういうテーマを避けて通るようでは、近づきつつある 『日本の閉塞状態 : 老害の時代』 を
     乗り切ることは難しいと考えますし、また、当の高齢者にとっても決して喜ばしいことではないと考えます。
     このテーマ、微妙な問題で扱いにくいことは言うまでもありません。 しかし、今やそういう時期が近づいて
     いるのだと私には思えますし、切実に実現を期待します。

     おそらく 『時限立法』 的な扱いで済むでしょう。 いずれは、大量の老人が姿を消し、「昔、そんな時期が
     あったなぁ」 と、21世紀後半の人々が記憶のどこかで思い出すような 『日本 ・ 人口構成』 に変化していく
     ものと推測されるからです。

     非難を覚悟の上で、あえてラディカルな提言をしたい心情の私 Jiji です。
     80年も生きてきたら、もういいでしょう。 そろそろ 『 機嫌よく 』 幕引きをさせて欲しいものです。 (^_^);







プログラムで振り返るオペラ Part.3 B : ブリテン 「 ねじの回転 」 ほか



   先週のオペラ紹介の最後に、皇紀2600年奉祝曲のことを記しました。 実は、作曲を依頼したものの、演奏されずに
   お蔵入り(?)した曲があったのだそうです。  それが英国の作曲家ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂
   交響曲)」 です。 いろいろな事情があったようですが、タイトルが 「レクイエム」 つまり 「死者のための鎮魂ミサ曲」
   というのですから、縁起でもない ・・・ という要素もあったのかもしれません。


   ● ねじの回転

    そのブリテンが作曲したオペラ 「ねじの回転」 は、大掛かりな舞台装置を必要とするものでもなく、演奏会形式で
    上演しても、特段の違和感がない <室内オペラ> といった感じの作品です。
    1994/9/4 名古屋の愛知県芸術劇場コンサートホールで、外山雄三指揮・アカデミー室内管弦楽団、林誠と名古屋    
    二期会による上演を観賞する機会がありました。
    当日の日記には、

         ブリテン、とても面白い。 ただ日本語化には無理がある。
         このホール、椅子の心地悪さを除けば、とても響きのいいコンサートホールで、聴きやすい。

    と生意気な感想を記してあります。

          「日本語化」 が何を指しているのか? 今となっては不明です。
           日本語上演で物足りなかったということか? あるいは原語上演での「日本語字幕」の翻訳の拙さのことか?
           名古屋二期会にも問い合わせたのですが、不明のままでした。


    余談ですが、原作のヘンリー・ジェイムズの小説「ねじの回転」は、 映画化 もされています。


   ● カーリュー・リバー

    ブリテンの作品にオペラではないのですが、劇的要素の強い 「カーリュー・リバー」 という教会劇と呼ばれる
    ものがあります。

    前記の「ねじの回転」上演プログラム冊子に、次のような解説が記載されていました。(楢崎洋子さんのもの)

         「ねじの回転」の音楽を聴くと、ブリテンが日本の能の 「隅田川」 を観て、その無駄のない様式美に
         魅せられてオペラ 「カーリュー・リバー」 を作曲したというのもうなずける。

    「ねじの回転」は 1954年に作曲されたもので、「カーリュー・リバー」 は 1964年の作品ですので、前者の作風が、
    「隅田川」に触発されて、「カーリュー・リバー」 という作品を生み出した、つまりブリテンには 「隅田川」 を
    受け入れる素地が '54年当時、すでに芽生えていたと解釈することができそうです。

    私の鑑賞体験としては、「ねじの回転」に先立つ 1990/3/4 、その 「隅田川」 と 「カーリュー・リバー」 との
    同時上演に接する機会を持っていたのですが、そういう知識には、残念ながらまだ接していませんでした。

    《東と西:幽玄のかけ橋》 と題するそのコンサートは、

         能 : 隅田川 を、演出:観世栄夫、泉 泰孝・山田龍之介らによる上演。

         カーリュー・リバーを、音楽監督:林達次、演出:茂山千之丞、オペラ歌手と室内楽による上演。

    という、大変珍しい企画の演奏会でした。 会場:大阪、ザ・シンフォニーホール

    2つの作品は同じ筋書きです。 一人子を人さらいに攫われた母親が、その子の行方を探し求めて隅田川のほとり
    まで来ます。 渡し守とのやりとりの中で、探し求めるわが子は去年の今日、ここで命を終えたことを知ります。
    亡き子の塚の前で、わが子のまぼろしをみますが、やがて 「しののめの 空もほのぼのと明けゆけば跡絶えて、
    吾が子と見えしは塚の上の 草茫々として、ただしるしばかりの浅茅が原」 ・・・ に彼女は立ちつくすだけでした。

    ブリテンは、1956年、東京の能楽堂で「隅田川」を観て、「極度にきびしい簡素な様式、のどで発声する歌唱、鼓と
    笛による不気味なミックスチュア」にすっかり魅せられたということです。 (当日のプログラム冊子から)

    音楽を通じて、東洋と西洋とが出会いを果たす一例として、とても印象深い演奏会でした。

    もっとも演奏そのものにはすんなり入れなかった私だったようで、当日の日記には

         能は、地謡がききとれない。 鼓の音が煩すぎる。 最後の、手による「悲しみの表現」には凄さがある。
         ブリテンの方は、身振りでストーリーがよく分かる。 ただ、英語は聞きとれない・・・

    と書いてあり、より洗練された上演の機会が望まれるといった感じでした。

  




今週の返り討ち     地元芸術文化センターの第九合唱団のオーディションが、
  10年ぶりに行われました。

  10年前、すでに 20回以上の第九合唱参加経験があり、勇んで
  応募したものの、見事に篩われる口惜しさを味わったのでした。

  10年前の雪辱を果たすべく、真剣に準備して再挑戦したのですが、
  オーディションでは散々な出来で、まさに返り討ちの ドジ ぶり。

  もう合唱とは縁のない身と、割り切ることにしたのでした。 (*_*)
  



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