☆ 11月第2週 ☆    2014/11/06 〜 11/12


安楽死を考える : そのきっかけ

今月に入って、アメリカの末期がんの女性が、自らの希望を実現するため、オレゴン州に転居の上、
医師の処方した薬物を用いて、自宅で息を引き取ったという ニュース が報じられました。

安楽死に関して、アメリカでは州によって認めるところと認めないところがあるようですし、
西欧でも国によってまちまちのようです。
大変重いテーマですし、日本では俄かに結論が出そうにもないものだとは承知していますが、
私は若い時から安楽死に対して、ある種の期待のようなものを抱いてきました。

カウントダウン中の身としては避けて通ることのできないテーマです。
少々時間をかけて、ゆっくり考えてみようと思います。


   若い頃から、映画(特に洋画)はよく見てきました。
   手許に 1961年の一年間に見た映画のリストがあります。
   合計で 64本の作品を見たことになっています。 もっとも当時は、2本立てが一般的でしたので、    
   64日間映画館に通ったという訳ではありません。

   この年ではありませんが、アメリカ映画  「ソイレント・グリーン」  という作品がありました。
   時代と場所はまったく架空のものですが、主人公の友人が「安楽死センター」といった感じの
   施設に行き、最後の夕食を済ませ、死を迎える部屋に入ります。
   そこには大型スクリーンがあり、彼は自分の好きな音楽(ベートーヴェンの田園交響曲)と
   それに見合った映像(どこまでも続く美しいお花畑など)を鑑賞しながら、医師から薬物投与され、
   苦痛を覚えることなく死を迎える・・・というものでした。
   この後の話は、ひどく非現実的な・未来社会の出来事ですので、ここでは触れません。
   要するに、こういう「死」の選択が可能な社会という想定にたったストーリーです。

   私は、なぜかこの「安楽死」のアイディアに当時ひどく惹かれました。
   人の死・とりわけ身近な人の死に出会う体験はそれまでに「母」「祖母」「父」の三度あった
   のですが、それが非常に心に残っていたというほどの繋がりはなかったように思います。
   むしろ、やるべきことをやり遂げたという心境に到った暁には、こういう死に方をしたいものだと
   いう、ある種の願望だったのです。

   すでに「日本人男性の平均寿命まで、残り40週」の時期を迎えた今、それとのからみで、この
   映画のことがひどく思い起こされるようになったのです。
   ということで、一般的な意味での「安楽死・考」というものではないのですが、この際、あらためて
   このテーマを考えてみたいと思うのでした。



★ バチカン、安楽死を批判 ★


   やっぱりというか、バチカン(ローマ教皇庁)で生命倫理問題を担当する<生命アカデミー>の    
   カラスコ・デ・パウラ会長は、アメリカで 安楽死を選んだメイナードさんの行為を批判 しました。

   この点に関して、私は自分の信仰の立場から、次のように考えており、バチカンに気兼ねをする
   理由など全くないと考えています。

   第二バチカン公会議が発表した「現代世界憲章」43項には、次のような個所があります。

       信徒は霊的光と力を司祭から期待すべきであるが、司牧者 が何事にも精通していて、
       どのような問題についても、しかも重大な事がらについても、即座に具体的解決策を
       もちあわせているとか、それがかれらの使命であるかのように考えてはならない。
       むしろ 信徒はキリスト教的英知に照らされ、教権の教えに深く注意を払いながら、
       自分の責任を引き受けるようにしなければならない。

       キリスト教的なものの考え方に従って、ある状態におい て、ある特定な解決策を選ぶ
       ということがしばしば生ずるであろう。他の信者は同じくまじめに考えた結果、同じ
       問題について異なった判断を下すということもたびたびあり、それもまた当然なこと
       である。

   つまり教会(聖職者)は、地上のすべての問題に関して「正解」を持っているわけではない
   という(至極当然な)ことを、はじめて『宣言』しているのです。
   ひとりひとりの信徒は、「自分の責任を引き受け」「同じ問題について異なった判断を下す」
   ことがあってもよい(それも当然だ)と宣言しているのです。

   アカデミーの会長が、その立場からの発言をすることは「職務」だとしても、それをもって
   「神がこう言っている」とか、「安楽死を選べば地獄行きだ」などと裁くことは、第二バチカン
   公会議以降のカトリック教会では、あってはならない立ち位置なのです。

   信徒には、上記の憲章にあるように、「自分の責任を引き受ける」ことが要請されているの
   です。 会長が発言する内容もひとつの見解であれば、同様に、ひとりひとりの信徒が
   彼なりに熟考して出した結論も、同じように尊重すべき見解だというのが、現代のカトリック
   教会の立場だと考えます。






プログラムで振り返るオペラ @ : ヴェルディ 「オテロ」

趣味の音楽鑑賞、今年4月の大阪フィル定期演奏会の会場変更を機に、大阪での演奏会を
大幅に減少させました。 また、CDコレクションを宝塚のボランティア団体のバザー用に差し上げ、
LPコレクションも先日、知人が引き取って下さって、すっかり身軽になりすっきりとした気持ちです。

手許には、コンサートのプログラムが、1200回分ほど残っていますが、これも処分しておかないと
死後、家人を煩わせるゴミとして迷惑をかけるだけの代物となるのは目に見えています。
そこで、一番好きなオペラ公演のプログラムから、もう一度、当時のことを思い出した上で、
廃棄処分していこうと考えました。


   ベルディのオペラ「オテロ」は、シェークスピアの「オセロ」のオペラ版です。
   これは、これまでに3回鑑賞しています。
   
1959/ 2/ 7  NHK 招聘のイタリアオペラ公演 : 東京宝塚劇場
2005/11/23  ソフィア国立歌劇場公演 : 兵庫県立芸術文化センター
2013/ 4/11  ヴェネツィア フェニーチェ歌劇場公演 : 大阪フェスティバルホール

   何といっても、1959年の最初のものが圧巻でした。 マリオ・デル・モナコのオテロ、ティト・ゴッビの
   イヤーゴという組み合わせは、20世紀最高のものではないでしょうか。
   このオテロ公演は、都合5回行われていますが、ゴッビは最初の2公演だけで、あとはアルド・プロッティが    
   歌っています。 私は運よく2回目を見ることができたのでした。
   さらにラッキー?なことに、当日の公演が、NHK からLPで発売されていて、それには私の拍手も収録され
   ているということになりましょうか。(^_^);  なお、DVDの方は 2/4 収録分とのこと。

   この時のイヤーゴに比べると、2013年のものは、ほとんど悪人面が伝わらないキャラクターになっていて、
   私には物足りない舞台でした。 やはり、イヤーゴ役は、憎ったらしいキャラでなくっちゃ・・・

   

   59年の公演でのデズデモナ役は、ガブリエルラ・トゥッチ。 先の二人に比べれば、当時はまだ若々しい
   ソプラノで、プログラムには歌手の大谷冽子さんが、彼女への期待のメッセージを寄せていました。
   昨年でしたか、トゥッチさんが、日本の音大生に 公開レッスン をなさるという記事を見かけました。
   大阪でのそれを聞きそびれたのは、ちょっと残念でした。

   私のコンサート&オペラ BEST 3は、

      この時の 『オテロ』
      1963/11  『ヴォツェック』   東京・日生劇場
      1989/11  『ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団
              ベートーヴェン交響曲 全曲演奏会』   ザ・シンフォニーホール

   オペラだけに絞れば・・・
      この時の 『オテロ』
      1963/11  『ヴォツェック』   東京・日生劇場
      2010/10  『トリスタンとイゾルデ』  びわ湖ホール

   順次、振り返ってみようと思います。




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