☆ 6月第2週 ☆    2015/06/04 〜 06/10


もう一度、日本国憲法を考える : その3




   《 憲法改正 》

    毎日新聞の特集では、最後に改憲をめぐる話題が扱われています。


   ・ GHQは憲法制定過程で、大日本帝国憲法(明治憲法)の改正はあくまで日本側の自発的な
     取り組みだという建前をとっていた。 民間有識者による憲法研究会(45年末に発表)が
     「公布後遅くも十年以内に国民投票による新憲法の制定をすべし」 という補則を設けていた    
     ように、占領下の憲法改正を暫定的と考える向きは当初からあった。

   ・ 憲法公布直後の46年10月17日、極東委員会は「憲法施行から1〜2年の間に国会で再検討
     されねばならない」 と政策決定した。 米国主導の憲法制定に、ソ連などほかのメンバー
     国が不満を抱いていたためだ。

     この方針のもと 48年8月、芦田内閣の鈴木義男法務総裁(現在の法相)は衆参両院議長に
     研究会設置を申し入れたが、国会は消極的で実現しなかった。

     しかも、芦田の後を受けた吉田茂首相は「憲法改正の意思はまったくない」と明言し、
     軽武装、経済成長重視路線で長期政権を築いた。

   ・ 1954年3月12日、当時の首相官邸で開かれた自由党憲法調査会の発会式で、岸信介会長は
     日本国憲法の全面改正を訴えた。 岸は、GHQの占領政策に強い疑問を持っていた。

     吉田に不満を持つ鳩山一郎や岸は自由党を飛び出して日本民主党を結成。 
     吉田内閣退陣後の55年11月、両党の「保守合同」で自由民主党が誕生し、首相の鳩山が
     初代総裁に就任した。 自民党は「党の政策」に「現行憲法の自主的改正」を掲げ、今に
     至るまで党是にしている。

   ・ しかし、56年参院選では、社会党など革新政党が改憲反対を正面から訴え、参院で改憲の
     発議を阻止できる 「3分の1」 以上の議席を占めることになった。
     岸は60年の日米安保条約改定で政権の体力を使い果たし、改憲には着手できなかった。

   ・ 日本は50年代半ばから高度成長期に入り、60年代以降、改憲論議は下火に向かう。



    戦争放棄は、以上見てきたようにGHQ主導で憲法に取り込まれたものであるにも関わらず、あたかも
    それは当時の日本国民が皆で話しあい、今後の日本の指針として成文化され、それを墨守することこそが      
    日本国憲法の本来の姿であるかのように多くの国民のメンタリティに受け取られました。

    同様に、憲法を改正することなど決して手掛けてはならない聖域であるとの思い込みが、
    これまた国民の思いの中に刷り込まれていったように思えてなりません。
    いささか乱暴な言い方をすれば、日本人の思考停止を企てた人々がいたということ。

             ケント・ギルバート氏は、GHQが戦後日本人に対して行った「ウォー・ギルト・インフォー
             メーション・プログラム(WGIP)というマインドコントロール」のことを紹介しています。

                http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150526-00000001-voice-bus_all


    いったん決めた法律などを、ただひたすらに守り抜くのが「正義・公正」 なのでしょうか?
    時代の動きに応じて、社会に不適合な課題に気づけば、憲法といえども改正するのが当然だという
    発想が日本人から失われていることに、私は大いに疑問を抱きます。

    改憲は、第9条に限られた問題ではありません。

    すでにこのブログでも触れた『第24条』の問題 は、憲法制定当時には誰からも関心を持たれては      
    いなかったテーマかと思います。
    まずはこういうところから、改憲を議論できる雰囲気が生み出されることを心から期待します。


       先日、アイルランドでは世界で初めて国民投票で同性婚を認める憲法改正 が支持されました。
       カトリックの強い国ですら、こういう動きが起こっているのです。 こういう世界の現実に
       しっかり目を開いていくことを日本の護憲論者は拒んでいるようで実に残念です。



後日(5月14日)、毎日新聞の『記者の目』欄に政治部の中田卓二氏が次のような文章を書いていました。
  

   朝刊で今月3日から計4回、「制定過程をたどる 日本国憲法」を連載した。

   憲法の制定にGHQが関与したことはほぼ常識だ。 ただ、詳しい経緯は専門家を除いて    
   広く知られているとは言い難い。

   GHQは、軍規定を残した政府の「憲法改正要綱」を一蹴し、46年2月13日に日本側に
   示した案には戦争放棄条項が盛り込まれた。

   憲法制定過程を巡ってはほかにも、9条の発案者が誰だったのかなど未解明の部分も
   少なくない。 それでも、GHQから政府への単純な押し付けでなかったのは確かだ。

   押し付け憲法論は学問の世界ではほとんど支持されていない。 だとすれば、学者も
   根拠の薄弱な見解を黙認するのではなく、今こそ積極的に憲法を語って欲しい。



同じ新聞社に勤務するといっても、いろいろな見解の人がいるのは別に不自然なことではありません。
連載記事を企画・執筆した人たちと異なる意見を持つ記者がいるのも当然でしょう。

中田記者の言う「押し付け憲法論は学問の世界ではほとんど支持されていない」という点を、
さらにフォローすることが、読者に対する新聞社の責任であろうと考えます。




今週のご報告     6月8日、とうとう 80歳を迎えました。 日本人男子の平均寿命は
  80. 21歳ですから、ここまで生きて来られたことで、もう十分に満足
  すべきだろうと、心底から感慨深く思う 《格別な》 誕生日です。

  夕方からの雨で外食は止し、自宅で普段はあまり嗜むことのない
  地元の日本酒で、ささやかに誕生日を祝いました。

  子どもの頃から痩せっぽっちの私でした。 21歳で、結核療養所に
  1年間入院するというザマでした。
  誰ひとりとして、今日のこの日を想像することはなかったでしょう。
  もう十分に生きさせていただきました。
  多くの方に助けていただきながらの 80年という永い年月でした。 

  唯一、褒められること?と言えば、『80:20』(80歳で    
  20本の自分の歯を保つ)という 歯医者さんの目標に 
  対し、私は『80:31』だという点くらいでしょうか。

  このブログも残り少なくなっています。
  もうちょっとだけお付き合い下さいますようお願いいたします。
  
  



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