●なぜ、マレーシアか? 私の場合、50年以上前から「花粉症」がひどく、春先は一日中 くしゃみ・鼻水に苦しんで いました。 そこで、定年退職後、その時期をスギ花粉の飛散しないところで過ごしたいと まずは、国内で適当な避難先を探したのでした。 北海道と沖縄がその候補地として見つかり ましたが、この時期は寒い所よりも暖かい所でと、沖縄でのロングステイ先を雑誌やネットで 真剣に探しました。 ところが、結構経費のかかることが分かり、決心がつかなかったのです。 そうした折に、大阪に「キャメロンハイランド・ロングステイクラブ」というグループがあることを 知り、コンタクトをとりました。 マレーシアの軽井沢といううたい文句のその場所では、すでに 数年前から、かなりの数のメンバーが、ロングステイ生活を楽しんでいることが確認できたので、 そういう人たちの紹介を受けて、2002年の春、単身、下見旅行をすることにしたのです。 キャメロンハイランドは、マレーシアの中央部の高原地帯にあります。 当時のマレーシア首相(マハティール氏)は大の日本びいきで、日本からのロングステイを歓迎 する雰囲気に満ちていました。 何よりも、治安の良さが魅力的でもあったのです。 大阪でのマレーシア観光紹介イベントが、ホテルを会場に、大きな規模で開かれた際、 ロングステイクラブのメンバーと共に招待され、下見旅行を決心したのでした。 ちなみに、マレーシアのみならず、東南アジアの国々にはスギ花粉の飛散はありませんので、 私の「花粉症対策」としては、適当な候補地であったということです。 ●クアラルンプールへ 2002年の復活祭の翌日(4/1 月曜日)関西空港からマレーシア航空機で出発。 機内では、大阪大学に留学中のバングラデシュの方(奥様とお子さん連れ)と隣り合わせに なり、バングラデシュの子守歌を覚えてしまいました。 これは後日、私の音楽作品の中で 利用させていただくことになります。 From the bottom of memory 第2楽章 すべての父性のための哀歌 クアラルンプールの上空は、ちょうどスコールの最中で、1時間近く、雨の上がるのを待って 旋回を続けるというアクシデント。 もっともこういうのも普通のことかもしれません。 ということで、予定よりだいぶ遅れてホテルに到着。 次の日は、クアラルンプールの市内観光。 偶然、音楽ホールで「カウント・ベイシー・オーケス トラ」の演奏会があるのを発見し、チケット購入。 ところが、ここではドレスコードがあり 上着着用が必要。 軽装で来ていた私は、クロークでジャケットを借りるという珍しい体験を することになったのでした。 3日目、文字通りのおんぼろバスで、キャメロンハイランドへ向かう。 4時間半の悪路には ほとほと辟易。 こういう体験は、やはり行ってみなくては分からないもの。 現在は、イポー経由のハイウェイを利用して、快適なバスの旅ができる由。 ●キャメロンハイランド滞在記 紹介されていたホテルは、ロングステイクラブのメンバーがよく利用するところで、フロント マネージャーの女性も親切に対応してくれます。 ロングステイクラブのメンバーは、この地で「日本語教室」を開催したり、盆踊り大会を 開くなど、地元の人々とも親しくしているという定着ぶり。 私の場合は下見訪問でホテル滞在ですが、ロングステイしている方は、マンションを借りて 自炊生活です。 そういう方を実際にお尋ねして、キャメロンハイランドでの過ごし方を伺い ました。 マンションは家具・調理器・食器など一通り揃っていて、身一つで入居 OK の由。 夫婦二人で、月15万円程で、やっていける。 ゴルフも毎週楽しんでいるといった話を 現場できくと本当に安心ができます。 私の場合、女房は東南アジアにほとんど関心を示さないので、来るとしても単身。 ホテルだと、一泊朝食付きで 90リンギッド( 2,700円程度:長期滞在の場合)ほど。 沖縄でのロングステイ(見積もり)よりは、かなり安価です。 松本清張の『熱い絹』の舞台となったこの地は、毎日の夕方のスコールを除けば、文字通り マレーシアの軽井沢との呼び名にふさわしい場所だと実感しました。 ![]() ちょっと驚いたのは、夜間、雷鳴が下の方から聞こえてきたこと。 それだけ高地にあると いうことです。 ジャングルの中のトレッキングコースが10数コースあり、クラブの人の作った 地図を頼りに、いくつか散策 ( というより、探検!という気分 ) しましたが、ちょうど復活祭の 休暇の時期だったことから、北欧などからの旅行者の方たちとも山中の展望&休憩場所で 歓談する機会が持てるなど、嬉しい体験もあり、大満足のロングステイ下見旅行でした。 マレーシア滞在中、私の花粉症の症状は皆無で、明らかに好条件の地であることも確認 できました。
●ロングステイ計画の頓挫 キャメロンハイランドの下見を終え、帰路はペナン島観光をして帰国したのですが、帰国後 腰の調子が悪くなり、だましだましの毎日にも耐えられなくなり、8月には椎間板ヘルニアの 手術で40日間の入院生活を余儀なくされました。 キャメロンへの悪路と、ペナン島でもひどい道路 ・・・ それはバスがバウンドするたびに、 つり革を持って踏ん張る私の頭が、バスの天井にぶつかる程の強烈なものだったのでした。 という訳で、私のロングステイ計画は消え失せましたが、マレーシアそのものへの親しみは 今でも持ち続けています。 マレー系、インド系、中国系の人々が共存しているあの国は、 普段、私たちが見ている日本とは異なる文化・生活です。 キャメロンハイランドでも、時間がくると屋外スピーカーから「コーラン」を唱える声が聞こえて いました。 イスラム教・ヒンズー教・仏教・キリスト教(私も、ホテルの近くの教会でミサに あずかりました)が共存している様子は、日本では日頃目にすることのない、新しい体験で あったと、懐かしく思い起こすのでした。 |
ベートーヴェンが書いた唯一のオペラです。 演奏される機会は少ない方の作品でしょう。 やはりオペラには、「お楽しみ」の要素が欲しいんですね。 その点、この作曲家は生真面目すぎます。 ちなみに序曲だけはよく演奏されます。 「フィデリオ序曲」だけでなく、「レオノーレ序曲第 ● 番」という 3つの管弦楽作品も、このオペラのための序曲です。
1970年のものは、ベートーヴェン生誕200年記念連続演奏会(全43夜)のひとつでした。 当時の私の日記には、次のように書き記してありました。 舞台装置と演出のよさに、まず驚く。 オーケストラやソリストにはムラがあるようにも思えるが、 全体としてはよかった。 それにしても本当にシリアスな作品で、いかにもベートーヴェンらしい。 まるで、管弦楽曲か器楽曲を聴いている感じだ。 それにしてもオペラ鑑賞は実にいいものだ。 1995年のものは、阪神淡路大震災の直後でした。 当時のプログラムに、次のような記載があります。 残念ながら、阪神間在住の楽団員の中で、家屋の倒壊、損傷、交通の途絶などの影響により、 演奏会への出演が不可能となり、前回1月17日の第285回定期演奏会を中止せざるを得ない 事態となり、又、その旨のご連絡も出来ず皆様に大変ご迷惑をおかけいたしましたこと、深く お詫び申し上げます。 ![]() ![]() さすがに、LPやCDでは、このオペラの全曲盤は持っていません。 |
今週の | ![]() | 便 利 ツール |
今更の話ですが、確定申告の時期に なると、お世話になるのが、国税庁の 確定申告サイトです。 今年も例年通りの作業を済ませ、 私は郵送で提出しました。 |
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