<b>余りもの 2016年3月</b>


《 2016年 3月 》

 3月  8日
9日 文化の違い=差別?  
10日 葬式の曲選び
11日 小節 『イエスの涙』 再読   3.11大震災追悼  
12日
13日
14日 ベルカントで歌う 
15日 公民館パソコンおたすけ広場  
16日
17日 センバツ甲子園練習
18日 自転車賠償保険に加入
19日
20日 高野連の Good idea !
21日
22日 センバツ観戦 & 甲子園歴史館  
23日 
24日
25日
26日 おおさか維新の改憲案  
27日 復活祭 自作の復活賛歌
28日 ベルカントで歌う 
29日
30日 今月の診療記録 
31日 センバツ優勝戦 & 閉会式
 4月   1日
 2日
 3日
 4日
 5日 公民館パソコンおたすけ広場  
 6日 買い取りショップを初体験 
 7日


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    文化の違い=差別?



最近、国連の委員会からの日本への批判・勧告がいやに目につきます。
日本こそが世界に冠たる ・・・ と誇る気はありませんが、ここまで細かな
指摘を連発されると、「一体、お前は何様なんだ?」と反発を覚えます。

夫婦別姓=正義 という発想には、大いに違和感を覚えます。
生まれ持った名前こそが、そののアイデンティティであり、
それを変えることは人格の否定以外の何ものでもない
いわんばかりの委員会の主張は本当に正しいのでしょうか?

   そもそも「生まれ持った名前」というのが、それほどに絶対的・不可侵な
   ものとはとても思えません。 実際、日本では、幼名 → 元服後の名前
    → 功なしてからの名前と変化していく事例が数多く見られます。

   一例として、「竹千代」 → 「元信」 → 「家康」など。 姓においても、
   家康は「松平」→「徳川」と変わっています。 これによってその人の
   アイデンティティが損なわれたとでも言いたいのでしょうか? 

   こういう改名あるいは改姓の習慣は、それぞれの国・それぞれの時代が生み
   出すものであり、異なる国・時代・文化の立場から、不正義だとか、不合理
   だと難癖をつけられたり・批判されるようなテーマではないのです。

   実際問題としても、私の周囲には結婚で奥さんの姓に変わった友人は
   何人もいますし、夫の姓を名乗ることが、女性蔑視のシンボルである
   という批判はとんでもない的外れなものだと実感しています。

   私は結婚では姓を変えていませんが、そもそも血筋という点でいえば、
   生まれて此の方の姓は、まるで血のつながりのない《姓》です。 
   祖父の姓を受け継いでいますが、子宝に恵まれなかった祖父夫婦は、
   私の母を幼い時期に養女に迎え、そこに婿をとり、私がさらにその姓を
   受け継いだというストーリーなのです。 母も父も私も、この姓は社会的な
   アイデンティティという以外に何の意味もなく、素直に受け取っただけの
   ことです。

姓は、社会の中で「あるグループ・集団」の識別記号という意味をもつものでは
ありますが、それにそれ以上の奇妙な意味を読み込むことはないと思います。
とすれば、姓という「社会生活上のマーク」でしかないものを、後生大事にする
必要などさらさらないことです。 それを一生保持することが「人権」そのものだ
というのであれば、いっそ、生まれた時点に、国家などが付与する一連番号
(マイナンバー)で一生暮らすのがベストだということになりかねません。
(呼びやすい通称を、役所に登録可能にする ・・・ という余地を残したうえで)。

生まれた子供に親の名乗る「姓」がそのまま使われるのは、きわめて自然な
ことです。 一家の中で、父と母が異なる姓を名乗り、子が知らないままに
どちらかの姓を押しつけられる社会の方が、はるかに不自然だと私は思います。

この国連の委員会、その他にも結構 けったいなこと を決めたがっており、
日本の天皇制が男系男子に限られていることまでも、俎上に載せたとのこと。 
結果的には、日本の抗議を受けて取り下げたとはいえ、やたら『他国の内情』に
無作法に手を突っ込む悪癖がある何ともおかしな組織です。

歴史や文化への認識が、時代とともに変化するのは当然ですが、「正義の味方」
ぶったこの委員会の姿勢には、鼻持ちならぬ思いを抱くのは私だけでしょうか?




葬式の曲選び




私の場合、すでに
ブログで書いた ように自分で選んであります。








小節 : 「イエスの涙」 再読



この小説、なんとも不思議な作品です。 一読後、捨てるに捨てられず、さりとて
文献的に貴重なものでもなく、扱いに難儀していたもの。 暇に任せ、もういちど
読み返し、処分しようと思いたったのです。 何が 「不思議」 なのかといえば・・・

1) 発売当初、一般紙で2度「広告」を見ただけで、書評記事など目にしなかった。
2) 作者は外国人名を名乗っているが、どうも日本人ではないかと思われる。
3) カトリック教会の事情に詳しい内容であるにも関わらず、教会内で話題になっていない。

ところが、一読して、これが現代のキリスト教の抱えるある 『問題 ・ テーマ』 を見事に描き出して
いると私には思えて仕方ないのです。 それで再読して、感想を整理してみたいと思ったのです。

*十字架嫌悪シンドローム

  小説のストーリーの追跡ではなく、扱っているテーマを中心に見るならば、
  ここでの最大のテーマは、『十字架嫌悪シンドローム』 という現象の描写です。
  キリスト教は初期の段階から「十字架上で死んだイエス」を崇めるという伝統を
  持っていますが、それが(救いのシンボルとして)「十字架」そのものの尊崇に
  すり替わったと非難されても無理からぬほど、形としての「十字架」が表舞台に
  出てきてしまうようになっている訳です。 そういう風潮へのアンチ・テーゼと
  して、「十字架嫌悪シンドローム」が取り上げられているのです。

*十字架は神の願いではなかった?

  日本にも、このシンドロームを体験したシスターがいるというエピソードが紹介
  されます。 彼女は何度もイエスと 《対面》 していて、ある時は、こんな対話を
  しているのです。

     「どうしてあなたは今まで、このことをほかの聖人たちにはお語りになら
     なかったのですか?」 (p.188)

     「私は同じことを伝えようとしてきたけれど、誰もそれを理解することが
     できなかったのだ。 なぜなら、啓示の内容は、啓示を受ける人々とそれを
     解釈する人々が、私に対して持っているイメージや教義理解に大きく左右
     されるからである」 (p.189)

     「・・・ 父なる神がイスラエルの民を選民として選び、長い年月をかけて
     教え導いてこられたのは、救い主である私を迫害し殺すためではなく、
     信じ受け入れ一つになって神の国をこの世にもあの世にも建設するためで
     あった。 それなのに、十字架に磔にされて殺されることが神の願いであり、
     それゆえ私の願いであると どうして言うことができるだろうか? しかし、
     そのドグマの壁はあまりにも厚かった」 <途中省略> 「聖書は私自身が
     書いたものではない。そこには私の言葉も入っているが、私の言葉でない
     ものも入っている。 聖書に書かれた内容にもすでに人間の解釈が入って
     いるのだ・・・」 (p.190)

キリスト教の教義に馴染みのない方には、何を言っているのかちんぷんかんぷんの話   
かと思います。 私が、仏教の話題に入っていけないのと同じで、当然のことです。

簡単に言えば、キリスト教の伝統的な「十字架上のイエスの死」の意味とは、
  ・ 父である神の定めた計画であり
  ・ 人祖アダムとイヴ(が犯した罪)への罰からの救いに欠かせないもの
  ・ イエスを信じる人だけが、その救いに与かる(恩恵を受ける)
というものです。

まあ、ある意味では相当に身勝手な主張(他宗教の否定ないし蔑視という意味で)な訳で
キリスト教の鼻持ちならぬ伝統のひとつであることは否定できません。

ところが、救いのシンボルである「十字架」を嫌悪するという現象がキリスト教世界の
各地で報告された・・・となると、これは教会にとって看過できない重大事となる訳です。



 今日のところは、こういう 『問題提起』 があったことの紹介だけに留めます。
 しかし、フィクションであるこの小説の中に、キリスト教の歴史の垢を洗い落とし、
 本来のイエスの教えと生きざまを(再)発見しようという大胆・斬新な試みが溢れて  
 いるようなのです。 十字架が単なるアクセサリーとして首からぶら下がっている 
 日本において、さらには、教会の尖塔に十字架を掲げて何の違和感も抱かなく  
 なっているキリスト教徒たちに対して、この小説が突き付けているテーマは、単に 
 奇をてらったというよりは、鋭い問題提起をしているのだと私は思っているのです。






自転車賠償保険に加入

兵庫県では一昨年秋に、
「自転車保険義務化」の条例 を定めていますが、
私も万一に備えて加入する手続きをしました。 毎月500円の掛け金です。

クルマを運転しない私には、自転車はなくてはならない手段。 西宮市の
南部地域は全体にフラットな地形ですので、自転車は大変重宝なものです。

事故を起こさない・事故に遭わないがベストですが、万一に備えてのこと。
これからも、無理をしない自転車利用を心がけてまいります。




高野連の Good idea !




参考: 
18号門クラブ&高野連のドリーム・シート




今月の診療記録

3月23日 内科  血圧 128 - 68 、投薬(3種) : 880円
1 件のみ
 合計880円





センバツ観戦 & 甲子園歴史館




春の陽気に誘われて甲子園球場へ。 木更津総合 vs 札幌第一 は、5−2で木更津が勝利。
久しぶりに「甲子園歴史館」にも入場。 こちらも高校生などが大勢。 ドラフト体感コーナーなども
新設されて人だかりがあり好評の様子。 西側の広場に「金本選手記念碑」が新設されていました。





おおさか維新の改憲案



これだけ、はっきりと具体的な改憲を訴えるのは、日本で初めてのこと。
本気度が伝わってきます。 改憲といえば、すぐに「戦前復帰」の『改悪』である
と決めつける日本の風土に、風穴を開けようとする意欲に賛意を表します。

この程度のことなら、改憲しなくても、法整備で実現できるという意見もある
でしょうが、それでは、安倍内閣の「改憲なき軍事同盟強化」と同じ方向性であり
私は賛同できません。 堂々と「必要な改憲の主張をする」方がずっと素直でしょう。




自作の復活賛歌



自作(作詞・作曲)の 『復活された 主に出会い』 という賛歌です。
歌っているのは、東京・赤羽のサレジアン・シスターズの皆さん。
東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライブ録音 (1994/6/19) です。




買い取りショップを初体験

今となっては、使うあてもないテレホンカードと記念切手シートを処分しようと
はじめてその手のショップに足を運びました。 折り込み広告にあった店舗です。
率直に言って、実にてきぱきと・感じよく対応してくれて、およそ 30% の価格で
引き取ってくれました。 こちらとしては最早無用のものですから満足でした。(^_^);