<b>余りもの 2016年2月</b>


《 2016年 2月 》

 2月  8日 ベルカントで歌う 
9日 育休議員の本性  
10日
11日 個人レッスンの準備  
12日
13日
14日
15日 1円の不思議  
16日 公民館パソコンおたすけ広場  
17日 確定申告書提出
18日 びわ湖ホール四大テノール パナソニック 同性婚容認  
19日 PAC Strings コンサート
20日
21日
22日 ベルカントで歌う : 個人レッスン  
23日 
24日
25日
26日
27日
28日
29日 今月の診療記録 
 3月   1日 公民館パソコンおたすけ広場  
 2日 認知症の監督責任  
 3日
 4日
 5日 老々介護
 6日 ルカ福音書15章での疑問  
 7日 毎日新聞投稿欄


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    個人レッスンの準備 : Maria Mari

    次のレッスン日に、私の個人レッスンの順番が回ってきそうなことから、
    このところ、カンツォーネ Maria Mari の練習に集中しています。

    私なりの課題は、
        1) 高い音(この場合、上の g の音)をきちんと出せるか?
        2) イタリア語の発音をどこまで正確にできるか?
        3) 歌の情感をどれだけ表現できるか?
    という辺りですが、これがなかなか大変です。

    今日は、楽譜を離れて、イタリア語の歌詞だけをしっかりと眺めることに
    専念してみました。 ネットで歌詞だけのページを検索し、その発音を
    繰り返し演習すると、音符を声に出す時とは別のものが見えてきます。

       sempe pe sta cca attuorno

    という個所、楽譜だと pe sta cca at がすべて16分音符のため、
    とにかくリズムを壊さないように歌おうという気分が先行して言葉よりも
    音程の流れに目が向いてしまい勝ちです。

    ところが、楽譜を離れて言葉だけを繰り返してみると、いわゆる 「促音」
    が多用されていて、4つの16分音符を機械的に同じ長さで歌うのではなく、
    むしろイタリア語の語感(?)を大事にして歌詞を口にする ・・・ という
    フィーリングの方が、素直に聴けるということに気づきました。

    これが正しいことかどうかは、次のレッスン日に先生の指摘を待つとして、
    こういう自分なりの発見(?)を、準備・練習の過程で体験できたことからは
    日常のなかに 「新しい発見とか、考える愉しみ」 を見出す『種』がまだまだ
    たくさんあるのだと ・・・ まあ、そういう感じを覚えたのでした。

    ついでに言えば、YouTube でのこの歌のいろいろな歌手によるものの
    中で、私が一番 惹かれた歌手は Boris Statsenko です。
    もっとも、バリトン向けのキーで歌っているので、私の練習して
    いる楽譜よりキーが低く、そのままお手本にはできませんが、
    とても魅力的 ・ 刺激的な歌いっぷりでした。





今月の診療記録

2月15日 歯科  定期検診 : 870円
2月24日 内科  血圧 130 - 73 、投薬(3種) : 880円
2月26日 眼科  定期検診、投薬(2種) : 880円
 合計2,630円





1円の不思議ミステリー

  2月15日年金の振込額に「1円のミステリー」を発見しました。

  昨年10月、厚生労働省からの「年金振込通知書」で、平成27年12月から
  28年4月までの控除後振込額は xx,666円だと承知していました。
  実際、12月の振込額は、その金額でした。

  ところが、2月15日には、xx,667円が指定の銀行口座に入金されていたのです。
  わずかな金額の相違ですし、それに不足ではなく増額ですから、気にすることはない
  というのが、世間の受け止め方の相場というところでしょう。

  時間を持て余している私には、これは暇つぶしの格好のテーマと思えたのでした。(^_^);

 ・ 西宮社会保険事務所への問い合わせ

  2月17日、地元の社会保険事務所に出向き、「年金振込通知書」と「預金通帳」を
  持参し、こういう事実があるということを話し説明を求めました。

  結論的には・・・
     従来それぞれの年金制度ごとに不統一であった「端数処理」が昨年秋に統一された。
     その結果、2カ月ごとの支給金額の算出において、従来、一円未満の金額が切り捨て
     られていたケースについては、単純に切り捨てるのではなく、翌年2月の支給時まで
     保留しておき、2月の支給時に「円単位」で整理(切り捨て)する。
  というルールになったのだということ。

  ただ、これは年金機構のホームページなどには記載されているものの、個々の加入者には
  特段の通知・周知がないので、私の今回のような疑問が発生しているということです。



  ということで、原因は解明できたのですが、いかにも 『お役所』 のやりそうなことだという
  印象だけが強く残った一件 ・ ミステリーの結末でした。

上記のものとは別に、私には「退職共済」年金があり、そちらの通知書では
[27年12月の支払額]、 [28年2月の支払額]、 [28年4月の支払額] と
3つの欄があって、2月のみ振込額が1円多く記載されていました。





びわ湖ホール四大テノール



待望のエンタメ テノールの登場するコンサート。 前から2番目中央の席で満喫しました。
この4人はびわ湖ホールの声楽アンサンブルのメンバーで、本格的なオペラ歌手でもあるの
ですが、それ以上に「おもろいグループ」として名を馳せており、今日も本当に愉快なステージを
満喫させてくれました。 オペラのアリアのほか、コントまじりのお笑い場面、最後はカンツォーネ
のオンパレードなど、私にとっては歌の練習の参考になるところが多々あり(とりわけ口の開き方)
興奮の一時間余でした。 やはり、人の声(歌声)は魅力たっぷりですね。 頑張らなくっちゃ。





パナソニック 同性婚容認



今朝(2月18日)の朝刊一面に、この記事が掲載されていました。
このような方向性が、行政や企業で見られるようになったのは喜ばしいことです。
最終的には憲法第24条の改正にまで繋がることを期待します。 巷間、憲法改正
反対が正しいこと だと盲信している人々がいますが、憲法は第9条だけでは
ないのです。 制定当時とは社会の状況が変化しており、個別に改正することを
なにがなんでも反対するという姿勢は、憲法の精神に むしろそぐわないということ。




PAC Strings コンサート : 浄夜



地元、芸術文化センター小ホールでの室内楽。 久しぶりに
シェーンベルクの「浄夜」
それも小編成の弦楽オーケストラで聴いてきました。 この作品、夜道を歩くカップル・・・
女が突然 別の男の「子」を宿したことを告白する・・・という衝撃的なストーリーなのですが、
大きなホールで聴いた今までの3回よりも、原作のイメージがしっかりと伝わってきて
とても味わい深い演奏だったと感じました。 ヴァイオリニストの戸田弥生さんが
若いメンバーを指導しながら 練習をなさった話を聞かせてくれましたが、こういう
アカデミーの要素が、PACオーケストラの特徴で・実に初々しい感動を覚えました。




個人レッスン : Maria Mari

およそ20分近いレッスンですが、指導内容をすべて公開することはカルチャーセンターの
著作権といった観点からも憚られますので、冒頭の一部のみ、紹介させていただきます。
歌い方以前のイタリア語の発音の指導は、私にとってとても貴重なものになっています。



その他、歌の表現上の指摘として・・・

'a nott' 'a faccio journo,この部分、まっすぐに歌う
sempe pe sta cca attuornoこの部分、レガートに歌う
Oj Mari, oj Mari! 以下かなりテンポ落としてゆっくりと
Quanta suonno ca perdo per te!   このあたり、甘く歌う

2番の最後の Mari! を高く歌う場合は、Meri と発音すると歌いやすい。
全体に 16分音符は、ゆっくり目に歌う方が(カプア作曲のものの場合)好ましい。




認知症の監督責任

最高裁の判断が大きく報道されています。 一審・二審の結果よりも
私には納得のいく判決で好ましく思っています。



これはあくまでも今回の事例に関してのものであり、別のケースでは同居家族や、場合に
よってはそれ以外の家族にも、監督責任が問われるケースが出てくると危惧されます。

「長生き」は、昔のような短命社会では憧れの幸せのかたちであったでしょうが、
現在のような世界屈指の長寿社会になると(おまけに出生率の低下などで人口減少が
始まった日本においては)、必ずしも社会を、人々を幸せにする要素とはいえず、逆に
それが重荷となって家族が苦しむケースを生み出していることも重い 現実 な訳です。

私はかねてより、
「自分の死亡予定日を事前登録する制度」 を望んでいる立場です。
ある年齢に達すれば、一定の条件の下で、いわゆる 『安楽死』 を法律で認める制度を
導入することが、本人にとっても、また家族や社会全体から見ても望ましいことだと
発言し続けています。

今回のような判決に接するにつけ、ここはやはりダブー視することなく、安楽死の法制化を
真剣に考える時期になっているとの思いを深くしたのでした。




老々介護



こういう実情を知るにつけ、私には高齢化社会に関して政府の対応はしょせん
他人事の施策しか打てないのだとあきらめに近い思いがするのでした。
だったら、むしろ「安楽死」を法制化することの方が、私を含めての関係者に
優しい政治といえるのでは・・・と思えてなりません。

誤解してほしくない点は、老人を邪魔ものだから殺処分しようという立場では
ないのです。 高齢者が、自らの意志で自分の終末時期を選び取り、それを法的に
認知し、「その準備をすること」「安楽死を医療として認める」ことなのです。
以前書いた
ページ をご覧いただければ幸いです。




ルカ福音書15章 : 放蕩息子のたとえ での疑問

今日のミサの中での福音書朗読は、有名なルカ15章の「放蕩息子」のくだりでした。
これまで数十回は聞いているこの話、今日初めて気になった点があります。
それで以下のような書き込みを、キリスト教関係のメーリングリストにしたのでした。


 弟が、放蕩のあげく豚の餌を食べるしかない ・・・ という個所ですが、よくよく考えると、
 本来、ユダヤ人は豚を食べることはないはずなので、豚を飼うというのは一体何のため
 なのか?という疑問です。

 ネットで見ると、弟は遠い外国で放蕩の限りを尽くした。 そこでは豚を食べることが
 日常的だった ・・・ という説明がしてありましたが、イエスの説教を聞く大衆が、
 果たしてそういう外国の事情に詳しかったのだろうか? という新しい疑問を生み出す
 だけです。

 ユダヤ社会でも、豚を食用以外の目的で飼育していたとすれば、実に明快な「回答」に
 なるのかと思えます。 そのあたり、ご存知の方からの説明が頂戴できれば嬉しいです。