間もなく、東日本大震災の三回目の記念日が来る。このとこについて、三つの基本的な 理解を持たねばならないだろう 第一点。これは自然災害である。自然災害とは、宇宙の137億年の進化展開において、 その運動を、一貫して動かしている物理的法則の結果である、ということだ。 銀河系も太陽系も大爆発による生成消滅のプロセスのうちにあるように・・・<途中省略> 大地震も大津波も、これまでも、これからも、何千回となく起こり続ける。それが、必然の 秩序だからである。 |
第二点。 では、何故、ある人々が偶然この大災害に巻き込まれて非業の死を遂げ、 他の人々はそれを免れて生き延びるのか。 この怖ろしい問いを、日本人の一少女が 前ローマ教皇ベネディクト16世に問うた。 教皇は「分かりません」と答えた。 ・・・<途中省略>・・・人間には、この「何故」は絶対に分からないのである。 ただ、ここで、一つ自覚しておくべきことがある。 それは、人間は必ず死ぬ、という ことである。 生命が贈られたものである以上、いつか、贈り主の許に引き取られる ことに、驚くいわれはない。 |
第三点。 それでは、人はどう生きるべきか。 あの大震災の時、すべてを奪われて裸一貫になった人々は、助けを呼び合い、手をつなぎ、 心をつなぎ、生き延びた。・・・<途中省略> 苦しむ人に偶然出会った時、我を忘れて駆け寄り、傷の手当てをする。 それが人間性の現われであり、そこには神の栄光が輝く。 人生は苦しみに充ちている。 その苦しみを介して、人と人は愛(共苦)を体験する。 ・・・<途中省略>・・・ 人間は苦しむ他者に偶然遭遇した時、自己を超えたところから襲来する衝撃として体験する。 神の働きが人間の手足の活動となる。 |
以上のような理解は、自然災害など、物理的な現象とその原因に関しては素直に受け取れる ことですが、例えば「地下鉄サリン事件」や、「アウシュビッツの大虐殺」など、純粋に人為的に 引き起こされた事態に関して、同じような受け止め方ができるかどうか? ある人物の「狂気」としかいいようのない指導のもとで引き起こされるこれらの事態を 神のご計画の一環であると受け止めることは困難です。 人が作り出す不条理をどう受け止めるかの難問への苦悩はまだまだ続き、どの宗教も「解」を 示せてはいないのです。 |