撮影/鰐山英次 |
通研で過ごした2年数か月は、私の青春そのものでした。 そこで学び・身につけた「考え方・ものの見方」は、50年後の今も、私のライフ・スタイルのベースになっています。 最後に、そのいくつかを整理しておきたいと思います。 1.What is to be will be. 電算機のプログラミングを通じて、一番身につけた考え方は、これです。 情報処理システムの動作のすべては、プログラムで制御(規定)されています。 それが自分の思い通りであるかどうかとは関わりなく、とにかくあらかじめプログラムで記述した動作のみが、 結果を生み出している世界です。 この言葉は、悪く訳せば「なるようにしかならない」でしょうが、ここではむしろ「起こるべきことが起こる」と 読みたい言葉です。 どんな結果も、それ以前に設定・発生した出来事の積み重ねの延長線上で起こって いることであり、原因なしに発生する事象はない・・・という理解の仕方です。 仏教には「因果応報」という言葉があるそうですが、倫理的・宗教的なニュアンス抜きで読めば、ある結果には、 それを引き起こした原因が必ず存在し、その間にはつながりのアルゴリズム(論理・みちすじ)があるという 考え方です。 心がけがいいから、いい結果がでるとか、悪いことをすると、必ず罰されるという読み方ではないのです。(^_^); もっと論理的・みちすじ(アルゴリズム)本位に物事を観るという立場です。 2.完全なものはない、すべてのものは育て上げていくもの。 いくら時間をかけ、知恵を出し合っても、それが完璧・完全な姿や機能を持つことは難しいという事実を、 いやというほど身に染みて体験しました。 たった一行のプログラムのミスが、たったひと文字の記述ミスが、とんでもない結果を生み出すことは、 この日記の中でも記した通りです。 加えて、予備設計(検討)の段階では気付かなかった・拾いだせなかった「現場の実態」が、後になっていろいろ と出てくること、現場でのルールの変更がしばしば発生することも、数多く実感しました。 システムは、使いながら改善・改良を重ねて「より完成度の高いものに育て上げていく」という見方が大切である ことを、プログラミングを通じて痛感したのでした。 通研には、小局用 CAMA 電算機やタイパ装置、また CAMAC の設計においても、「現場業務は固定的」という 幻想があったようで、プログラムは一度作ればそのままずっと使える・・・という前提をおく傾向があり、 「固定配線方式」や、「プログラムの ROM 化」といった手法がとられることもありました。 当時の RAM の価格などからやむを得なかったとはいえ、初期のシステム開発では、現在では考えられない手法 もとられていたのです。 電算機の歴史・プログラミングの発展の過程とは、そういうものだったのです。 3.問題解決に役立つことを優先させる。 トラブルが発生した時、一番大事なことは、それをいかに早く解決するか・・・ということです。 誰のせいだとか、どの作業が原因だったとかの詮索よりは、今、目の前の事象に対して何が一番有効な対処 方法かを考え、それを実践することが最優先の課題です。 事務系の職場では、こういう場合、とかく「あいつのせいだ」とか「メンツをつぶさないように」といった 感情的要素が、問題解決を遠のかせる傾向があったと思います。 研究所の中にそういう要素が皆無だったとはいいきれないまでも、2つの職場での考え方の違いは明らかでした。 もちろん、私の以後の生活において、このルールがどれだけ実践出来たかを検証すれば、忸怩たるものがある のですが、通研で学んだ事柄のひとつとして、やはり記しておきたい項目です。 怒り・怒鳴って問題が解決するならば、そうするがよい。 しかし、そうでないのなら、やめておきなさい。 |
こうして、私の通研での仕事・東京での生活は終わりました。 ありていにいえば、傷心の帰郷をするのでした。 当時の歌でいえば、坂本九の「さよなら東京」の心境でした。 しかし、この2年有余の通研生活で得たものは、以後の私を支える大きな力になっていきます。 この間、本当に多くの方にご指導をいただき、また助けていただきました。 すでに鬼籍に入られた先輩方もいらっしゃいます。 本社営業局の直接の上司であった 小林調査役、南調査役、市川調査員、下道係長 通研の 岸上室長 仙台電話局の 近藤課長 多くの先輩・同僚の方々のおかげで、この2年有余の得難い体験をすることができたことを、あらためて思い起こし、 感謝いたします。 とりわけ、A さんとは、電算機業務の先輩・後輩、また戦友として、この後も深いつながりを持つことになるのでした。 この日記の続編を、公開することはいたしません。 しかし、この2年有余の日々が、50年後の今まで私を支え続けて きたという事実はまぎれもないことです。 この日記の時代に関わってくださったすべての方々に、もう一度、こころから感謝を申し上げます。 皆さまと生きたこの時期なしには、その後の私はなかったのです。 2012年8月 ![]() ご感想などは、こちら宛てにどうぞ。 |