2006/ 10/13 (金) | ひかりで上京。 光が丘のホテルにチェックイン。 お通夜へ。 民子姉さん夫妻とは久方ぶり。 ホテルに戻りラウンジで少し飲む。 博の検査結果は、まだ分からず。 | 女房は7人兄弟で、前日に、長兄が亡くなったとの 一報を受け上京したのでした。 長兄は先の大戦後、 シベリアに抑留され辛酸を舐めた世代でした。 7人兄弟が夫婦揃ってという場面が持てなくなった のは寂しいことです。 私の弟(博)の闘病は続いており、数日前にも検査を 受けたのですが、その結果がまだ聞けず気になって いました。 |
1996/ 10/10 (祝) | 午後、プロップで NHK の取材。 シナリオ通り・・・ が期待されていて面白くはない。 Sさん、Mさんが8週目を終える。 妹たちが来て夕食を共に。 | プロップ・ステーションという障害者就労支援団体の ボランティア活動に参加していたことから、TV取材を 受けたのでした。 翌週水曜日(16日)朝のニュース の中で放映されました。 私が担当していたのは、障害者の在宅学習(ネットを 利用した通信教育といったスタイル)で、毎週の自作 テキスト配布・課題の添削を通じて、パソコンのデータ ベースソフト Microsoft Access の基礎から 実践的応用までを、6か月間のコースとして、8月に スタートしたばかりでした。 Sさん、Mさんは共に受講中の方々です。 |
1986/ 10/02 (木) | ワイン工場を見学。 試飲したものは渋みが強く、 好きになれない。 買い物、息子のジーンズなども。 夜のサウサリートで、旅の最後の食事。 こんな 雰囲気のよいところに、女房を連れて来てみたい。 遅くまで荷造り。 ![]() ナパ・バレーのワイン工場の庭で ↑ | 9月19日から16日間の日程で、アメリカの通信 事業の研修で、全国の20名余の同僚と初めての 海外旅行に参加する機会を持つことができました。 ボストン・ニューヨーク・ワシントンDC・デンバー・ サンフランシスコなどで、ATTの仕事を見学し、 意見交換をするといった内容です。 一番印象に残ったのは、やはり「電柱をなくし、 回線を地下埋設」することが徹底していること。 それと、へき地では工事用車両に「二人乗車」では なく、「二台」で出かけるという点に、広大なアメリカ ならではの事情(事故対策)を実感したのでした。 最後の一日は、ナパ・バレーのワイン工場を訪れる という息抜きの一日でした。 |
1976/ 10/08 (金) | 雨。 大勢の人が戻ってきて、急ごしらえのテントを 設営。 ファミリーの良さが発揮される。 今は火葬に変わり、お骨をすぐにお墓に納める。 近くの人の車で、皆さんより先に八幡浜に向かう。 夜行列車、連絡船を乗り継ぐ。 体中が痛む。 | 父が大変お世話になった J さんが亡くなり、7日の 午後大阪を出発し、空路・バスを乗り継ぎ、佐多岬 の中ほどに位置する三机に向かい、通夜に間に合い ました。 翌日、葬儀・火葬・納骨に大勢の方々と与かり、夜行 列車で帰宅。 翌々日は、間近に控えていた電話 料金改定のための支店課長会議を担当していた ため、すぐに出社するという 『猛烈社員』 ぶりを 発揮するしかなかったのでした。 多分、サラリーマン生活で一番 ただただ忙しい日々 が、この時期だったと思います。 |
1966/ 10/14 (金) | 多忙、全くどうしようもない。 潤は昨日の赤ちゃんコンクールで入選は逸し たが、予選を通過しただけでも、発育の良さを 証するもので喜んでいいだろう。 | この時期、私は大分電話局の営業窓口で受け付け 業務を担当していました。 まだ電話の架設申し 込みをしても、すぐには設置できない状態の 時期で、顧客対応には苦慮していました。 4月に 2650g で生まれた長男の健康診断では、 準優良児に選ばれて親バカぶりを発揮していた 私でした。 |
今週の | ![]() | よかった! | 3年前の春から通っている声楽教室『ベルカントで歌う』。 講師のT先生が、春から体調不良で半年 休講になっていました。 幸い先生がお元気になられ、10月12日から、講座も再開され、 顔なじみの面々が嬉しい再会をしました。 ここの先生は、アマチュアの指導がとても的確で、私も再開を 待ちわびていました。 あとどれくらい参加できるか不安ではありますが、健康維持の ためにももうしばらく「正しい発声」と、「表情豊かな歌い方」に チャレンジし続けます。 |