●ネット社会の新しい展開を阻害してはならない 中世の手書き文字の時代から、印刷技術によって新しい情報拡散の時代に移行できたことで、 人間の歴史に、偉大な恩恵・展開を齎したことは、あらためて言うまでもない偉大な出来事です。 さらに「活字の文化」は、「映像・音声」などのマルティメディア文化へと連なり、それらが 人々に多くの知的恩恵を齎したことも、20世紀後半を生きた私には忘れることのできない 有難い、文化伝承のツールの拡大現象でした。 そして今、ネットによるコミュニケーションの拡がりは、これまで、とかく情報の「送り手」と その「受け手」とを厳しく峻別していた 《文化の担い手》 という枠組みを、大げさにいえば破壊し、 情報発信の権利を、広くすべての人々に拡大するこの 現代 という時代を生み出しました。 これまで国家や権威や財閥など、社会を動かし・リードしていると思われていたエリートがほぼ 独占していた情報発信の機会がすべての人(多くの人々)に開放されたことを、私は『情報発信の 民主化』 と呼びたいと思いますし、新しい価値観・世界観を生み出す大きな潮流になると信じて います。 昨年末と年頭に、あえて紹介させていただいた「茨木のり子」 さんの2つの詩は、ともに人々に 己の「感受性」を磨き、己の「耳目と足」をしっかりと鍛えることを呼びかけていました。 そしてそれを前提に、何ものにも『倚りかからず』、「自分の感受性」で生きることを よし として います。 ネット社会という新しい展開は、そうした自覚的な己の感受性を持つすべての人々に、情報発信 の機会を提供している驚くべきツールです。 すべての人が、情報発信における主人公となれる 可能性を生み出してくれた『人間の英知の歴史』の大きな恵みなのです。 あのアホ青年の行いは、それに水を差す何とも愚かな行為です。 《ネット社会の影》 などの言葉で、新しい動向を否定的に論評し、可能ならその扉を閉ざそうと する《陰謀・愚行》が間違いなく存在しています。 彼は、知らず知らずに彼らに協力しているの ですが、自身はそういう自分に全く気づいていない ・・・ という辺りが、実に愚かなところです。 アホ青年が、その育ち方のゆえに、こういう行動に走ったなどと弁護するのは愚かなこと。 私を含めた、恵まれてるとは言い難い育ち方を体験した人間は、とかく、このアホ青年と同じ ことをし勝ちだと考えるなど、全くのナンセンスでしかありません。 他人のせいにする前に、もう少し ・ いや大いに悩み苦しんで、己の感受性を磨き、己の判断力を 練磨することこそが、新しい情報化社会・ネット社会に生きる現代人の責務です。 今回は、あえて厳しく言いたいのです。 甘ったれるな、愚か者よ! と。 この愚行を機に、情報発信の規制が議論されるなどの逆行を決して許してはならないのです。 |
●Chicago 在住の H さん 2年ほど前に、知らない方からのメールを受信しました。
こんな感動的な出会いをプレゼントしてくれたのは、まさにネット社会ならではのもの。 一度かぎりのメールの交信でしたが、見知らぬ方との思いがけない出会いという僥倖は 私にとって本当に嬉しいものでした。 これまでのツールでは決して起こりえなかったこうしたよろこびを齎すネット社会を 大切に育て上げていくことこそが、今の時代に生きる者の責務だと思います。 それに逆行するようなアホな人間の蛮行は、社会全体でコントロールしていかなくては ならないと思う私でした。 |