☆ 11月第4週 ☆    2014/11/20 〜 11/26


安楽死を考える : やりぬいた「生きる時間とき


   人の寿命は、いわば「天賦」のもので、自らの努力や責任によって手に入れるものとは言えません。
   第一には、持って生まれた遺伝子によって、短命に終わる要素を数多く持たされた人もいます。
   もちろん、その人の努力によって、持って生まれた条件の中で、それがマクシマムに発揮できるよう
   懸命の努力をすることで、同じ条件の他の人よりも長生きすることは可能でしょう。
   逆に、長命の条件を備えた遺伝子を持つ人が、不摂生とか、あるいは過酷な条件の中で生活を続ける
   ことを余儀なくされた場合などには、平均的な寿命よりも短命に終わることもあるでしょう。

   また、事故や災害などによって、思いがけない死を迎えることも、かなりの確率で発生するのが人生です。    

   そういう意味では、寿命は「神仏が決めるもの・いただきもの」という考え方は、確かに的を得た理解で
   あろうと思います。

   病気や災害によって、無念の思いの中に死を迎えることが普通であった時代と、世界でもトップクラスの
   長寿国になっている現在の日本とでは、「長生き」に対する見方・考え方は違ってきて当然だと思います。

   私は子供の頃から、虚弱な体躯の持ち主でした。 私の故郷では、そういう子を「よろけ」と呼んで
   軽蔑する傾向がありました。 21歳の時には、肺結核で1年近く、結核療養所に隔離されるという
   経験もしました。 職場の健康管理医から「人の寿命というのは、両親・祖父母の寿命を足して6で
   割ったくらいだ」と聞かされて、なるほどそういう考えもあるんだなぁと妙に納得して、自分の寿命は
   せいぜい 50歳かそこらだと、何とはなしに思うようになっていたのでした。

   小・中学校の同級生なども、私が長生きするとは思っていなかったらしく、結婚後、久しぶりに電話をして
   きた友人が、電話口に出た女房に「橋口君はまだ生きていますか?」と尋ねたのには、女房の方が心底
   びっくりしたという笑えない話があるほどです。 これは決して作り話ではないのです。(^_^);

   そういう虚弱児が、来年には日本人男性の平均寿命 80.21 歳に到達しそうなところまで来て、「なお、
   これ以上長生きしたい」などという贅沢を望む訳がありません。 もう十分に生きさせてもらいました。
   有難いことです。
   若干の体調不良はあるとしても、毎日、自分のことはそこそこ自分で行うことができます。
   好きな音楽を聴いたり・自分でも歌の練習に励んだり、たまにはちょっとした遠出をしたり、古い友人と
   度を過ごさない程度の酒を楽しんだりすることもできています。

   16歳の時に、カトリックの洗礼を受け、ずっと信者の生活をする中で、1960年代の第二バチカン公会議に
   よる教会の現代化という大変革に驚きつつも、自分なりの「信仰の見直し・刷新」を探り続け、新しい
   信仰の姿スタイルを見つけ出し、自分なりに身につけることもできました。 これは私の宝物です。

   二人の子ども、三人の孫にも恵まれました。 これ以上、何を「望む」ことがありましょうか?

   あとは、他人様の手を煩わすことがないうちに、忽然と姿を消すことを願うのみ ・・・ と考えたとしても
   そんなに不自然な流れではない ・・・ というのが、今の私の心境です。

   こういう気持ちの人間に対して、「もっと、もっと生きよ!」ということが、誰にできますでしょうか?
   何をしろとおっしゃるのかを、お聞かせいただきたいというのが、今の私の正直な気持ちなのです。

       アメリカ映画 「ソイレント・グリーン」 のように、「安楽死センター」といった感じの施設に行き
       最後の夕食を済ませ、自分の好きな音楽とそれに見合った映像を鑑賞しながら、医師から
       薬物投与され、苦痛を覚えることなく死を迎える。

   今の日本では、このような願いは叶えられることはないでしょう。
   しかし、こういう思いを抱く人間が確かに存在するということだけは、知っていて欲しいのです。






プログラムで振り返るオペラ B : オネゲル 「火刑台上のジャンヌ・ダルク」


   この作品は厳密にはオペラではなく、作曲者は「劇的オラトリオ」と呼んでいたものです。
   ステージ上には舞台装置が並び、登場人物は衣装をつけ所作をしながら歌ったり・語ったりします。    
   もちろんオーケストラによる音楽も付きます。 アリアのような「メロディー」を強調した歌はありません
   が、見た目はオペラ風な作品です。

       余談になりますが、この台本はポール・クローデルの手になるものです。 クローデルは
       詩と戯曲で名をはせた文学者であるだけでなく、1921〜27年には駐日フランス大使だったと
       いう経歴の持ち主です。 「能」にも傾倒していたといいます。
       彼はワーグナーのような「歌い過ぎ」を嫌い、<語り>や<語り歌い>による言葉の力を
       大事にしていたと・・・この作品にもそういう主張が漲っているのです。

   セリフと歌は、フランス語です。 私は20歳代前半、NHKラジオのフランス語講座を聞いていたせい
   か、原語で歌われるシャンソンに興味があり、この作品にも関心を寄せ、LPで、オーマンディ指揮・
   フィラデルフィア管弦楽団のもの(2枚もの)を持っていました。 フランス語の響きの心地よさを、
   たっぷりと堪能できる演奏でした。

   そんな経緯があって、この作品の日本初演(都民劇場が企画したもの)を興味をもって聴きました。
   
 1959/11/ 9 岩城宏之指揮 東京フィルハーモニー ほか : 日比谷公会堂
 2010/ 2/ 5 沼尻竜典指揮 大阪センチュリー交響楽団 ほか : ザ・シンフォニーホール

   1959年の公演では、舞台俳優としてよく知られていた 草笛光子さん・永井智雄さんといった方も
   出演していました。 当時のプログラムは、下の左側のものです。
   右側のものは、2010年の公演のもの。 ジャンヌを俳優のカティア・レフコヴィチ、修道僧を同じく
   エリック・リュフが演じ、きれいなフランス語のせりふを聴かせていました。

   
      


   珍しい曲ですが、一度お聴きいただくことをお勧めしたい ・・・ 私の好きな『作品』です。



今週のあっぱれ!   23日(日曜)スポーツでは2つの快挙!
  白鵬の優勝32回目達成で、大鵬の記録に並び、
  ダンロップ・フェニックス・ゴルフでは松山が優勝。
  すがすがしいニュースでしたね。


  それに比べて、国会はあの体たらく (≧◇≦)
  


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