● 健康寿命上位3県
● 愛知県の特徴
● 健康寿命を延ばすには? 先のサイトには、次のように書いてありました。 引用させていただきます。
● 私の生活習慣を点検 上記の項目を参考にチェックしてみます。 * 現在も参加しているボランティア・グループ活動は、公民館での「パソコンおたすけ隊」です。 これは 2003年から始まったもので、当初から参加しています。 当初は、専任の講師による「パソコン入門講座」の補助でしたが、数日間の講習で受講者が マスターできるものではないことから、受講者の方(主として高齢者)の疑問などをフォロー するために「パソコン何でも相談」つまり、一人ひとりの疑問に答えるというスタイルで運営を 始め、今日に至っているものです。 ボランティア活動というと女性中心のグループが多いなかで、ここのボランティア・スタッフは 男性が多い。 一方、相談に来られる方は専業主婦の方が過半数という特徴が見られます。 私にとっては、自分の答えられる質問ばかりとは限らない点が、とても魅力的なのです。 その場で、他のスタッフの助けを借りることもありますが、「次回までに調べておきます」と 対応することもちょくちょくあります。 家に戻って調べ、質問者にメールで回答するケースも。 つまり、スタッフは単に知っていることを話すだけでなく、自分でも勉強するチャンスを頂いて いるという両面があり、絶えず新しいこと・知らないことへの探求をすることが求められて いるのです。 ボランティアというと「助ける側、助けられる側」が固定されているイメージが なくもないのですが、ここでは必ずしもそうではないところが、実に面白い! * 定期的に外出するものとして、もうひとつ「ベルカントで歌う」という声楽教室があります。 こちらは講師の先生もソプラノ歌手なら、受講生10数名も私以外は全員女性。 発声練習では、私だけが あるところ(音域)で脱落するのが公認(?)となっています。 ベルカントというのは、イタリアの伝統的な発声法・歌唱法で、日本人にはなじみの少ない 声の出し方です。 西洋の伝統的な歌唱法の中心といってよいでしょう。 オペラ歌手の声の出し方・歌い方をイメージしてみて下さい。 2年半ほど通ってみて、私が一番印象深いのは、この発声法は健康によい・・・という点です。 俗に「歌うときは腹式呼吸で」と聞きますが、私のイメージとしては、むしろ「横隔膜を意識 した呼吸」が基本になっているように思えます。 今、心がけているのは、声を出すとき息を吐く・・・ではなく、むしろ息を吸いながら・・・と いうイメージを持つこと。 これはそういう指導を受けているというよりは、私なりのイメージ として抱き始めた感触です。 そうすることで、横隔膜を高いポジションに保つことができ、 長いフレーズが歌いやすくなる・・・という気がしてなりません。 音楽的なテクニックとしての是非は別にして、こういう歌い方で体験したのは、深い呼吸と ロングトーンで、汗ばむほどに呼吸器官を十二分に働かせている 実感 が得られている ことです。 つまり、私にとっては歌うことが、健康の維持に確かにつながっていると思います。 この2年半で、体重は 2Kg 減、体脂肪率は マイナス 5 となっています。 散歩と、新しい呼吸法・発声法とが、今の私の健康習慣だといえそうです。 歌の練習では、かなり大きな声を出しますので、自宅では難しいですね。 自宅ではヘッドフォンで伴奏を聞きながらの、発声イメージ練習のみ。 週に2回程度の、カラオケボックス通いで、思いっきり声を出しています。 シニア料金は 120円(30分)で、気軽に行けます。 カラオケ機器の電源は落とし、 持参した iPad に入れた伴奏を使っての 90分間の練習に励んでいます。 * 緑茶は、一日三・四杯でしょうか。 静岡県の皆さんにはとても敵いません。 * このブログを書くというのも、「題材を見つけ出す」、「関連する資料を探す」、「文章を書き・ 時間をおいて再点検する」という作業を通じて、毎日、何らかの刺激と緊張感を味わって おり、注意力・考える力の鍛錬に若干の寄与をしていると思います。 * 前にも書いたパソコンのトランプゲーム「フリーセル」、これも筋道を通した考えを保つ上で 楽しみでもあり、またハラハラ・ドキドキの時間を毎日齎してくれています。 |
9月14日のNHK TVで、立花隆さんがナビゲータをつとめる 臨死体験をテーマにした番組 が 放映されました。 カウントダウン中の私には、やはり気になるテーマです。 以前に読んだ 「死にゆく者からの言葉」 と いう本のことも思い出し、この際、考えてみたいテーマだと思いました。 先の番組では、「意識」(霊魂と言いかえてもよいかと思います)は、脳(つまりは肉体)の中にだけ 存在するのか、それとも死に際しては、肉体の外に出て、肉体とは別のものとして存在し続けるのか? という点など、まだ解明できていない段階だという印象を受けました。 私には、その点はあまり問題とは思えませんが、いずれの場合も、いわゆる臨死体験においては、 「ベッドに横たわる自分を、別の自分(意識・霊魂)が眺めている」、その後「意識は、輝く光の中や、 美しい風景の中を通っていき」、「絶対者(神仏)に出会い、大きな安らぎに包み込まれる」といった 至福への到達 が、多くの臨死体験者が語る共通の内容のようです。 そもそも、「臨死体験」なるもの(をして蘇生したこと)と、本物の「死」とが全く同じものではないだけに、 臨死体験なるものが、まことに死後の世界をそのまま物語っているのかどうか?という疑問を持った としても、決して不自然なことではありません。 また、「臨死体験」は、単に「死」へのプロセスにおける「脳内の意識」の有り様であり、「死」によって その「意識」は消滅すると考えることもできるだろうと思います。 多くの人にとっては、「死後の世界」があるかどうかよりも、むしろ「死」にいたるプロセスにおいて、 「人間(の意識)は何を体験するのか?」という 『未知への不安』 の方に、関心が向くのではないで しょうか? 死後の世界の有無を、それほど心配することはない。 ただ、死へのプロセスにおいて、仮に、先に 見たような「幸せな思いに包み込まれる ・ 平安の中にいることを体験する」ことが本当だとすれば、 死の恐怖は、大幅に緩和(あるいは除去)されるものとなるでしょう。 信仰は、一般的に「そういう期待 ・ 希望を抱かせるもの」ですが、ただ、多くの宗教では、それは 無条件なものではなく、あくまでも生前の行状に応じて裁かれるもの・・・と説いているところが、 人々を「真の安心」には導き得ない、いわば宗教の最大の弱点だと、私には思えてなりません。 このテーマについては、引き続き考えてみようと思います。 |
今週の | ![]() | やっぱり | Microsoft社の Windows 8 の評判の悪さは、 周知の通りですが、やっぱり 9月末には Windows 9 の発表をすることになったよう です。 なぜ Vista の失敗から学べなかったのか? やっぱり Windows よ さらば・・・かな? |
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