☆ 9月第1週 ☆    2014/8/28 〜 9/3


「ヤマザキ、天皇を撃て!」 〜 ’皇居パチンコ事件’陳述書




   私の敗戦体験、幼年学校生徒の敗戦体験に続いて、もっと年長の実際に戦地に赴いた「奥崎謙三」氏の
   戦争体験&戦後体験の実話です。
   これも戦争が残した痛みのひとつで、私たちの世代は体験することのなかった内容です。

   著者のひとり 井出孫六氏 の「あとがき」から引用しますと・・・

      奥崎謙三氏の法廷における意見陳述の草稿・・・を初めて読んだときの衝撃と感動を、私はいまでも
      忘れることはできない。
      ここにはひとりの庶民兵士が戦争の体験と戦後の精神の営為を一点に凝縮していった軌跡がみごとに     
      描き出されている・・・そこに描かれた世界は、ひとり奥崎謙三氏の独白ではなく、われわれ日本人が
      避けて通ることも見過ごすこともできない普遍的な問題に大胆に対決しているという意味で、たんなる
      法廷の意見陳述に終わらせてはならないものというべきであろう。

      本来、裁判は公開を原則とし、なにびともこれを傍聴しうるたてまえになっているとはいえ、いったん
      問題が法廷に持ちこまれると、あたかもそれは密室に閉じ込められ、情報の回路からはずされてしまう
      のが現状であるともいえる。 そこで語られることが、どれほど重大な意味を持っていても、外界に広く
      還流してくることは、ごく限られた例外を除いては、不可能だともいえる。

      奥崎陳述・・・は、あたかも、そのような回路の閉塞をうち破るに十分なほど全的に、奥崎謙三氏の
      昭和44年1月2日のひとつの行為とその背景を語り尽しているといってよいだろう。 それは、
      密室のなかでの独白としてとどまるには、あまりに大きな普遍性をそなえている。

      最後に、私もまた復員兵士奥崎謙三とともに、山崎上等兵、柏木一等兵、早津上等兵等々、ニュー
      ギニアの密林にその白骨を埋めた無数の無名兵士たちの霊に深い黙祷を捧げたいと思う。


   「皇居パチンコ事件」と聞いて、何のことかをご存知ない方もいらっしゃるかと思います。 ネット上でも
   その内容を知ることができますので、ここでの内容紹介は省きます。

          当時の朝日新聞は、
              「軽度の偏執性妄想狂と診断されたことがあり・・・・こんどの調べに対しては
              『昨年12月25日に交通違反で警察の取り調べを受けてからムシャクシャしていた
              のでやった。』と言っている。」
          という程度の内容しか報道していない ・・・ と井出氏は批判しています。
          井出氏が、この本を世に送りたかったのは、この件の背景にある日本の過去と奥崎謙三の
          思いの遍歴を解き明かすため・・・・(私の理解では、プラスマスコミ報道の軽薄さの「告発」!)
          だったのです。

   井出氏の「奥崎謙三に関する覚え書き」から、この問題の本質をついた部分を、抜き出してご紹介
   しましょう。

   捕虜としてニューギニアからオーストリアの収容所に送られた個所では、

     数千キロの彼方にある祖国は、むしろこれまで、自分の上に不幸を押し付けこそしたけれども、
     身にしみて忘れがたいような幸福をわかち与えたことは一度としてあったか、いや、ない。
     そのような祖国として日本が彼の脳裏によみがえったとき、「若くて単純であった私は、敵に世話に
     なった御礼に、敵と共に日本に上陸したいと本気で思いました。」

     そんな心境に彼は追いこまれていったこともあるほど、つき放して日本を視ざるをえなかった。 
     ・・・ それはひとりの庶民兵士における注目すべき変化といわざるをえないだろう。
     まさにアメリカの軍旗は、その時、奥崎謙三の目には、かつて幸福をひとつも分かち与えてくれた
     ことのなかった祖国への解放軍として見えたにちがいないし、無謀な戦争をひきおこし、
     彼を含めた多くの無辜の兵士たちをそれにかりたてた支配勢力への復讐が、彼の中に炎となった
     とすれば、それは当然な変化だったといってよい。

     敗戦とともにやってきたあの「民主化」というモードのような時代思潮は、もう一度改めて点検してみる
     必要があるのではなかろうか。

     「私はなぜか日本に帰ることがあまりうれしく感じませんでした。このままオーストラリアに住めれば
     住みたいという気持ちがすくなくありませんでした。その大きな理由は、日本の貧しい家に生まれ育った
     私にとって、俘虜の病院での生活が、27年間の人生で物質的に最も多く恵まれ、豊かな心で毎日が
     送れたからです・・・」

   そして、家永三郎「太平洋戦争」から、次のように引用しています。

     (ドイツ、イタリアの例を引いたあと)ひとり日本国民のみが、戦争勢力を自らの手で打倒し、
     その主体性において平和を回復することができず、支配層から先手をうたれはじめて「終戦」を
     天下り式に与えられるという受動的態度に終始したことは、いちじるしい特色を示している。
     ・・・・戦争終結に当たっての人民の主体性の欠如が、戦後の民主化のあり方を規定する重要な
     条件の一つとなった・・・

   井出氏は、こう続けます。

     庶民レベルの戦争体験談は、こうしてきわめて情緒的に即自的次元で処理され、決して対自的に
     客観化されることはなかった。

     復員兵奥崎謙三もまた、敗戦後の、生きるための荊のような道を、老父母をかかえて精一杯な生活に
     自己を埋没させていくことになるのだ。
     元兵士奥崎謙三の内部のケロイドは、その心の底の方に、地下水のように埋めこまれていった。

     だが、そのような・・・日々が、復員兵奥崎謙三に真の充実感をもたらしはしなかった。


   そして、昭和44年1月2日の事件が起こります。 井出氏はこう書いています。

     考えてもみよ、この国の一億になんなんとする国民の誰が、思惟と行動のふたつの次元で、元兵士
     奥崎謙三のように、かつての戦争責任の問題をつきつめて行ったものがあるであろうか。
     それはまだ同時に、戦後責任の問題とも深く鋭くかかわってもくるのだ。
     その意味において、元兵士奥崎謙三の陳述書―――「私はなぜ、天皇にパチンコでパチンコ玉を
     射ったか?」(原題)―――は、戦後二十余年の時間のなかでの、日本人の精神の営為のひとつの
     金字塔であると、私は低頭するのである。



   この3週間、8月15日を巡るいろいろな世代の体験と受け止め方を振り返ってみました。
   もちろん、それぞれの世代の中でも、一人ひとりごとに受け止め方の違いがあると思います。
   言いたいことは、新憲法が、敗戦を体験したすべての日本人の反省と議論の末に合意・成立した
   ものでは決してなかった・・・・ということ。
   《 国民総懺悔が生み出した崇高なもの 》 という幻想から目覚めることが必要だということです。

   それは、戦争の肯定とか、再び戦争を仕掛ける国家に戻るということではないのです。
   知らない誰かによって与えられ・教えられた「生き方・暮らし方」ではなく、
   自分たちで考え、相談し合い、選び取っていくそれでなくては・・・・・というのが、
   10歳で敗戦を迎えた私の、捨てることのできない思いなのです。

   「終戦」ではなく「敗戦」だった という拘りは、そういうことなのです。





断捨離 : 文芸春秋社『大世界史』 のケース



   このシリーズは、1967年(昭和42年)6月から発行された「一般読者向けの世界史・日本史」の書籍です。    
   私は、歴史よりもむしろ地理に興味があったので、それまでほとんどまとまったものを読んだことがなく、
   歴史の<手軽な書籍>に一度目を通したいと思い購入し、ほとんど通勤電車の中で読んだのでした。

   全26巻のシリーズものですが、
      1.ここに歴史はじまる    (古代オリエント) この巻の著者は、三笠宮様です。
      2.古典古代の市民たち
      3.万里の長城
      4.大唐の春
      5.日本の登場
          ↓

   と「西洋」「東洋」「日本」の歴史が、比較的やさしく説明されています。

          ↓
     20.眠れる獅子
     21.明治百年の序幕
     22.二つの大戦の谷間
     23.祖父と父の日本
     24.独裁者の道
     25.冷戦と共存
     26.一億の日本人

   最後の方、日本の現代史の部分などは、「歴史の評価が未だ定まっていない」と考え、<全巻購入>は
   しませんでした。

   今となっては若い時期の教養書としての思い出があるだけですので、手放すのに躊躇はありません。
   そこで、どなたか興味をお持ちの方に、まとめて差し上げたいと思います。
   下のアイコンをクリックして、ご連絡いただければ幸いです。





今週の逸品   先日、長男が持参してくれたのが
  『 にごりワイン 』 なる珍品。
  滋賀県の ヒトミワイナリー で生産
  しているものです。
  濾過をしないことで、にごりの成分
  には葡萄本来の力強さやその年の
  葡萄の個性が反映されるとのこと。

  8月最終日の夕食時に、その風味を
  楽しみました。
  やや渋みがありますが、全体として
  は軽めのすっきりしたワインでした。

       写真も長男提供のもの ⇒
  



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