今回のテーマは、きわめてプライベートな事柄で、他人様には全く関心の持てないものかと思います。 その点を、予めお断りさせていただきます。 私は 1979年〜1980年の二年間、会社の本社広報部で、社内誌の編集に携わり、24冊の思い出深い アウトプットを、いまだに手元に残しています。 それを廃棄しようというのが、今回の話です。
表紙のデザインが 79.3 までと、それ以降とではまるで変わりました。 当然、中身の 編集方針にも、大きな変化が見られ始めた時期でした。 実のところは、冊子そのものへの愛着とかではなく、むしろその時期の私の精神状態への「違和感」 とでもいったおかしな こだわり をいまだに引きずっており、これを 断捨離 しようという話です。 私は、どちらかといえば「猪突猛進型」というか「一点突破タイプ」の人間で、調整型の仕事の仕方を 苦手にしています。 そういう男が、社内誌編集のデスクという仕事につき、「広報部長」「各部局の 編集委員」いやそれ以上に各部局の専門家や、全国の支社の広報担当などとの調整を図りながら、 企画・取材・編集を進めることは、これまでの仕事スタイルとあまりにも違い過ぎ(加えて、単身赴任 という環境の中で)、精神的にはこれまでにない重圧となっていたのです。 ここ数年はすっかりなくなっていますが、退職後 10年〜15年経っても、悪夢にうなされて目を覚ます ことが結構ありました。 その夢は、おおむねこの時期のシチュエーションの中でのものでした。 当時、一緒に仕事をさせていただいた上司・同僚・部下の人たちとは、まぁうまくやれていたと思いま すが、各部局や支社とのやりとり・調整には、かつて体験したことのない「気配り」が求められている との自己抑制を覚え、端的にいえば、「けんか腰の姿勢」を一切封印した日々でした。 私には、それがとてもしんどい「仕事のスタイル」に思えた・・・という、ある意味では何とも「我儘な」 受け止め方をしていた時期でした。 年齢的にも、40歳代なかばという、やや不安定な時期にさしかかり、在任時期の終わりの頃には座骨 神経痛を発症したり、老眼を意識し始めるなど、体力的にもピークを越えたという実感がありました。 ただ、単身赴任者用の「独身寮」では、100% プライベートな時間ですので、「聖書の通読」(毎日 朝・ 晩 各1章)とか、晴海通りの「イエナ書店」で求める英語のペーパーバックなど、読書には相当の時 間をあてることができました。 当時、初台教会で開かれていた「カトリックの<聖霊による信仰刷新>:祈りの集い」からは、 それまでのカトリックの典礼中心の信仰とは、かなり異なるスタイルの信仰生活を体験する こととなり、私の「《脱》キリスト教・《脱》宗教」への道のり・・・のきっかけを掴むことになった のでした。 公平に考えれば、調整型の仕事の進め方という(私にとっての)新しいスタイルや、それまでの信仰 生活とは、かなり異なるスタイルに出会い、その後の考え方の構築に向けて、ターニング・ポイントに なった時期だったと気づきました。 と同時に、体力的には間違いなくピークを通過したことを認識した時期でもあったのです。 あれから30数年を経て、「終末へのカウントダウン」中の今の身としては、決して単なる苦痛の時期で はなく、折り返し点を過ぎて、下り坂にかかったことをはっきりと自覚させてくれた二年間だったと評価 できるようになったのです。 昔を振り返るのではなく、八木重吉の『秋の空』(私の理解では「終末への準備」)の季節に到達した 今、思い出いっぱいの 24冊を廃棄することで、夏の季節への未練を手放す決心ができた・・・という ことになりましょうか。 |
今週の | ![]() | 甲子園 | 夏の高校野球大会が近づきました。 わが家は球場から徒歩10分ほどの ところ。 大声援が浜風に乗って 聞こえてくることも・・・ 大会直前の練習風景は自由に見学 することができます。 8/5 佐賀北高校の練習風景 |
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