本文 | 1 : 29 | すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 |
1 : 30 | シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 | |
1 : 31 | イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 | |
シモンの姑の癒し |
「すぐに」という用語に関しては、多くの注解書で、文法的にはぎこちなくマルコ好みの表現だと説明されています。 直前の奇跡物語のあと間髪をいれず「すぐに」会堂を出た ・・・ と読むものでもなさそうです。 イエスは弟子たちと一緒に、シモンとアンデレ兄弟の住む家に向かいます。 ヨハネ福音書1章44節によると、この兄弟はベツサイダの出身であり、カファルナウムとは数キロ離れています。 シモン(ペトロ)は結婚して妻の実家に住んでいたという推測も成り立ちますが、詳細は不明です。 とにかく、姑は熱を出して伏せっていました。 そのことを知ったイエスは、すぐに彼女を癒し、彼女は一行をもてなしたという話です。 「もてなした」と訳されている個所を、単にこの時ごちそうしたという意味を超えていると解釈し「仕えた」と訳す書籍があります。(前出の「田川訳」や「佐藤訳」など) つまり、姑はイエスの癒しの業に感謝し、イエスがこの地を拠点にして活動する間、ずっと世話をしていたと解釈するのです。 確かに、十字架の死にいたるまで、イエスの周囲には、いわゆる弟子と呼ばれる人たちのほかに、イエスと弟子たちに「仕えた」女性たちがいたことが記されています。 シモンの姑のそうした人たちの一人だったと考えられます。 |
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本文 | 1 : 32 | 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 |
1 : 33 | 町中の人が、戸口に集まった。 | |
1 : 34 | イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。 | |
多くの癒し |
ここでの「夕方」を、特定の一日に限定して読む必要はないでしょう。 前回、1章28節で見たように、イエスの奇跡の業はこの地域の人々の間に瞬く間に広がりました。 それで、イエスの逗留するシモンとアンデレの家にも、大勢の病人や悪霊に苦しむ人たちが、連日、連れてこられるようになったと考える方が素直でしょう。 それだけ当時の社会には、(身体的な)病気や(こころの病に)苦しんでいた人が多かったということです。 イエスは、連れてこられた多くの病人をいやし、悪霊に取りつかれた人々を悪霊から解放したと記されています。 前回も書きましたが、こうしたイエスの奇跡物語を頭から「非合理的、神話的」作り話だと決めてかかるのでは、マルコの意図を読み取ることは困難になります。 現実に、病気や悪霊に苦しんでいる人々が存在し、イエスがそれに立ち向かっていた姿を、こうした奇跡物語から読み取ることが必要だと思います。 次回、触れてみたいのですが、社会に数多く見られる病気や苦しみをイエスはどのようなまなざしで見ていたのか? という点に着目したいと思います。 「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである」という部分には、いろいろな意見があるのですが、私は素直に 「悪霊はイエスの正体を知っていた。 だからイエスに抵抗することができなかった」 と読みたいと思います。 マルコにとっては、イエスが神の子であり、悪霊もそれに抵抗する術をもっていないことは「自明」のことであり、何の疑問も挟む余地はないのです。 |