新約聖書には、4つの福音書と呼ばれる「イエスの伝記」スタイルの書物があります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書がそれです。

マタイ福音書は、バッハの「マタイ受難曲」の本文テキストに採用されていることで有名です。
私は、1998年に「JIJI と読むマタイ福音書」をネット上で公開し、私なりのイエス像を描いてみました。
今振り返ってみると、当時の私はまだ「カトリックの教義」の中で、イエス像を理解するスタイルを保っていました。
教会の伝統的なイエス理解に、聖書学者(非カトリック、非キリスト者を含む)の意見を加味したものではありましたが、 あくまでも「教会の中で語られるイエス」でした。

今回、マルコ福音書を通じて再度イエス像を描くことになりましたが、ここでは「教会の教え」に縛られることなく、かなり自由に考えるスタンスを 前面に出したいと思うようになっています。
それは洗礼を受けて56年を経過した今、そろそろキリスト教を卒業してもよいのではないかと、私自身が思うようになったという 背景があってのことです。
誤解してほしくないのは、キリスト教を卒業したいと思ったことは、イエスとの決別を意味するものではありません。
いや、むしろイエスご自身への信仰・信頼はますます深まっています。ただ、それは教会を通しての信仰・信頼ではなく、 イエス様への直接的なそれになっているということです。
一言でいえば、キリスト教は「イエス理解のひとつのかたち」であり、別のかたちでの「イエス理解、イエス信仰」があって 当然だと思うようになったからです。

多くのキリスト者から見ると、とんでもない・けしからん「イエス理解」だと非難されることは覚悟しています。
しかし、60年近いキリスト者としての日常の中で、私はこのようなイエスを発見し、そこに一層の信頼と信仰を抱くようになったのです。

キリスト者ではない日本人にとって、こういうものの見方がどう受け入れられるか?  皆様の反応を楽しみにしています。




マルコ福音書は、新約聖書の中では2番目の位置に収録されていますが、4つの福音書では一番はやい時期に書かれたといわれています。
西暦70年の少し前であろうと聖書学者は推測しています。
一番はやい時期に書かれた福音書といっても、イエスの死後40年ほど経っているということにご注意ください。

この40年間にイエスに関する伝記風の書き物が皆無であったというのは、あまりにも不自然です。
ただ、そういった書物が残っていない以上、現時点、そう考えるしかないということです。
しかし、何らかの形での「イエスの教え」を記したものがあったであろうということは推測できます。
それはマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書には、大変よく似たエピソードが並行的に記載されているからです。
このため、この3つの福音書を「共観福音書」と呼びます。
何らかのかたちでの「イエスの教え:語録」が存在し、それを利用しつつ三人の福音書著者は、それぞれの「イエス伝記」を記した・・・と考えられています。
「福音書」というスタイル(イエス伝記)の創始者がマルコであったと言われているのは、こうした事情からです。

一方、ヨハネ福音書は前の3つとはかなり異なるスタイルで、収録されているエピソードも並行的とはいえないことから、別の伝承に依存したものと考えられます。
      4つの福音書のほかに、「トマス福音書」「ユダ福音書」などの存在が確かめられていますが、
   教会はそれらを「キリスト教の正典」とは認めていません。
   初期のキリスト教会には、いわゆる「正統信仰」を保った教会のほかに、いろいろなキリスト
   理解をしている信仰共同体が存在していたのです。
   「正典、聖書」として継承されているもの以外のものは、偽典とか外典と呼ばれ、教会では
   用いられていません。(新約聖書に関して)

   旧約聖書の外典の扱いは、カトリックとプロテスタントで違いますが、ここでは立ち入りません。
さて、マルコ福音書の著者は、これまで使徒ペトロの弟子のマルコという説明が多かったのですが、現在、その説は聖書学者の支持を得ているとは言えないようです。
決定的なことは不明というのが現状のようです。
ただ、ヴェネチアの聖マルコ大聖堂に代表されるように、この福音書著者の名前は、世界の各地で大勢の人に今も親しまれています。

では、JIJI と一緒に、マルコの語るイエスの福音を味わってまいりましょう。

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