本文 | 1 : 16 | イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。 |
1 : 17 | イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 | |
1 : 18 | 二人はすぐに網を捨てて従った。 | |
最初の弟子 |
イエスが最初の弟子をお召しになった有名な場面です。 訳文では「ガリラヤ湖」とありますが、原文は「ガリラヤのうみ」だそうです。 ヘブライ語では「海」も「湖」も同じことばで呼んでいるといいます。 この湖の名称は「ゲネサレ湖」で、実際、ルカはそのように記述しています。(ルカ5章11節) 「シモン」とは、後に「ペトロ」と呼ばれイエスの一番弟子として有名な人物です。 イエスに召された二人の兄弟漁師は、実にあっさりとその招きに応じて「本業」を捨ててイエスに従ったというのです。 あまりにもできすぎた話ですが、次の点を記憶しておきたいと思います。 ☆ 弟子への召し出しは、イエスからの一方的な呼びかけだったということ。 ☆ 弟子はその召し出しに、すべてを捨てて・直ちに応じるものだということ。 第一の点についていえば、イエスに従うことを望んだからといって、イエスがお召しになるとは限らないのです。(マルコ5章18節以下、参照) 第二の点については、イエスに従う人に向けて厳しいことばを用いています。(ルカ9章59節以下、参照) イエスの弟子になるというのは、特別なことだということがここから読み取れます。 |
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本文 | 1 : 19 | また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、 |
1 : 20 | すぐに彼らをお呼びになった。 この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 |
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次のふたりの弟子 |
続いて、同じく漁師であるヤコブとヨハネの兄弟がイエスに従います。 こうして4人の弟子が誕生しましたが、これが文字通りの「歴史的事実」かどうかには疑問をいだく学者もいるようです。 ヨハネ福音書1章35節以下には、アンデレはもともと洗礼者ヨハネの弟子だったというが記されているのです。 聖書(4つの福音書)の間には、こういう「食い違い」が結構あります。 小説「ダ・ヴィンチ・コード」の解説と称する書物やTV番組の中で、「教会は自分に都合の悪い書物を排斥ないし改ざんした」と非難する 人たちがいますが、もし本気でそういう「操作」を行ったのであれば、このような「食い違い」はとっくに修正・加筆・削除されている はずでしょう。 こうした「食い違い」があるということは、逆に、意識的な「調整」がなかった、つまりそれぞれの書物(福音書)の執筆者は、 自分の属する信仰共同体に伝えられた「伝承」を記録しただけだと推測できるわけです。 いずれにしろ、ここにあげられた4名の弟子は、イエスの宣教活動のはやい時期から、イエスに従っていたということがいえると思います。 |