週刊読売 Yomiuri Weekly 2001/4/1 号

連載48 / ミドルとシニアの 『自分流』

インターネットの「寺子屋」に集い、在宅ワークに挑む障害者たち


加藤 仁
かとう・ひとし
ノンフィクション作家。1947年名古屋市生まれ。
1800人以上の定年退職者に取材し、変わりゆく日本人と日本社会のあり方を見つめる。



  現代の「寺子屋」は、思い立てば、いつでも立ち上げることができる。
  元 NTT の橋口孝志さん(昭和十年生まれ)は、障害者が職業人として自立する
「寺子屋」を開講することにした。まず受講者を募るにあたり、インターネット
を駆使して、障害者の団体やグループを検索して電子メールを送ったり、ホーム
ページがひらかれていると、その掲示板に募集の書き込みをした。
  「五十以上の団体に呼びかけましたね」
  呼びかけの内容を噛み砕いていうと、コンピュータ「初級」の腕前をもつ障害
者にたいして、インターネット上で八ヵ月間におよぶ「中級」講座(データベー
ス講座)をおこない、システムエンジニアとして養成する。終了後、希望すれば
在宅ワークグループの一員として仕事をしてもらう道も拓いていきたいというの
である。
  障害者が自宅に居ながらにして、パソコンユーザーとしてスキルアップができ、
腕を磨けば職業人にもなれる。この呼びかけに全国から二十数名の応募があり、
それぞれの「初級」ぶりを確かめたうえで、この一月から十四名(そのうち一名
は視覚障害者)の受講者を迎えて講座をスタートさせた。
  「私が会ったこともない人たちばかりです。死ぬまで会うことがないかもしれ
ない。しかし開講中の八ヵ月間は死ぬ気でつきあわせてもらいます」
  橋口さんが作成したオリジナルテキストに宿題をつけ、毎週メーリングリスト
の機能を使って受講者に発信する。一人ひとりの応答に添削をおこない、各人の
進捗ぶりをつねに把握する。その作業だけでも一人につき、一、二時間は要する。
相手が食いついてくれば、電子メール送受にあけくれる。橋口さんならではのボ
ランティア活動である。
  「痒いところに手をとどかせるどころか、手を突っこむようにして、徹底的に
つきあっています。このような人材育成、大企業にいてはできませんね」
  しばらくすると二人の受講者から音信が途絶えた。メールを送信しても返信が
ないので手紙を書くと、二人とも肺炎を患って入院していることがわかった。退
院後、遅れを取りもどす特訓を早速はじめている。相変わらずの「鬼の橋口」ぶ
りを発揮していた。

精神的な充足をもとめて

  橋口さんについて、私はちょうど一年前のこの欄で紹介している。
  NTT で電話局長、関西支社の広報室長、関西料金センターの所長などをつとめ
て五十五歳で退職すると、みずから神戸市内にある従業員五十人ほどのソフトハ
ウスに飛びこんでいった。在職中は、二十四回もの転勤を体験したことからする
と、組織にとって都合よく動かされていたような気がしなくもない。振り返ると
二十代の後半、大型コンピュータが職場に導入されるにあたり、営業担当ながら
システム設計のプロジェクトに関わった。その三年間が「いちばん面白かった」
ということもあって、これからはソフトウェアの分野で納得のいく仕事をしよう
と志を新たにしたのである。
  子も育ち、住宅ローンも完済し、五十六歳からは前倒しで年金も支給される。
この時期、なによりも橋口さんがもとめたのは精神的な充足感であった。ソフト
ハウスを三年間で辞めると「プロップ・ステーション」という団体でボランティ
ア活動をはじめる。それまでこの団体では、障害者にパソコンの「初級」操作法
を教えてきたが、「中級」の講座を開設する必要に迫られていた。その講師とし
て橋口さんが名乗りをあげたのである。
  一期半年間の「在宅スキルアップ・セミナー」は五期つづいた。しかし団体は
その講座を打ちきり、昨年四月から橋口さんが個人で継続することにしたのであ
る。この時期、修了生の有志八名とともに任意団体の在宅ワークグループ「DB
(データベース)システムズ」を旗揚げし、その活動の一環として「中級」講座に
よる後輩の育成を位置づけたのである。
  「DBシステムズでは、自分たちで営業もおこない、お客さまとの接点をもち、
それにもとづくシステム開発をネット上の仲間である障害者たちといたします」
  と橋口さんは語っていた。折から新潟県新井市で開催された「パラリンピック・
スキー大会」における運営支援システムを修了生が共同開発して、意気盛んなと
きでもあった。
  それから一年、橋口さんの活動を追いかけてみた。それまでの団体から切りは
なされて「中級」講座は、昨年四月から第六期と前述した第七期がおこなわれて
いる。
  「第六期のなかには、いますぐにでもソフトハウスに世話したいような優秀な
者が二名いましたね。しかし車椅子で通勤できる職場が少なくて・・・・」
  みごとなまでにコンピュータの操作ができても、障害者が職場で働くとなると
ハンディがつきまとう。机上から紙が一枚落ちても、自分の手では拾えなかった
り、言語障害があってたのみことができなかったりする。

「リスク」という壁

  苦戦を強いられている。
  ビジネス活動としての「DBシステムズ」は、障害者の自主運営にまかせ、橋
口さんはなるべく口を出さないようにしている。顧客獲得には限界があった。
  「依頼するクライアントにしてみれば、リスクが大きいと思うのでしょうね」
  システム設計を受注して、納期にまにあわせたとしても、不測の事態がまきお
こればどうなるのか。記憶に新しいコンピュータのトラブルとして、インターネ
ットによる 2002 年サッカーワールドカップのチケット予約ができないという騒
動があった。そのことによりシステム設計を請け負った企業は、クライアントか
ら賠償金を要求されたことであろう。クライアントが考える「リスク」とは、賠
償金がうけとれないことである。
  「われわれには巨額の賠償金を支払う能力はありません。少額の契約を請け負
うか、それとも、いざというときに”担保機能”をはたしてくれる企業を見つけ
ることです」
  つぎつぎ巨大システムを共同開発すれば障害者も活気づくのだが、前途には資
金力という壁が立ちはだかっている。現状では、共同開発よりも個人による開発
にその能力を費やしてもらっている。「DBシステムズ」のメンバー、山形に住
む三十代の男性は、セールスマンの友人と組んでソフトハウスを運営し、プロパ
ンガスの顧客管理システムを手がけた。福岡県に暮らす四十代の男性は、車椅子
で地元の病院に勤務し、患者別の食事メニュー配膳システムを開発した。静岡県
の三十代の男性は、パソコン講座の講師をつとめている。
  「地元商店街でパソコン指南をするだけでも、新たな道が拓けると思います」
  最近、メンバーは自分たちの能力を世の人びとに知ってもらうため『オブジェ
クトの運送屋さん』という無料のソフトを開発し、「DBシステムズ」のホーム
ページからダウンロードできるようにした。この障害者の自発的な試みを橋口さ
んはうれしく思う。
  「絶望なんかしていません。おたがいネット上で刺激しあっていきます」
  今後も展開を注目したい。