週刊読売 Yomiuri Weekly 2000/4/16 号

連載1 シニアライフ 『自分流』

"自分の時間”をひとに差しだす"鬼”


加藤 仁
かとう・ひとし
ノンフィクション作家。1947年名古屋市生まれ。
1800人以上の定年退職者に取材し、変わりゆく日本人と日本社会のあり方を見つめる。



  自分らしく生きたくても、とりあえずの職務に追われ、なかなか思いどおりに
はいかない。自分らしく生きてきたつもりでいても、ある年齢に達して冷静に振
りかえると、職場の集団エクスタシーに酔っていたにすぎないと気づいたりもす
る。リストラや定年によって、あわてて自分さがしをする人達もいる。
「職場ではいい経験をさせてもらいましたが、はたして私の好きな仕事だったか
どうか。これまで自分のしたいことをしてきたのか・・・・」
  五十五歳でNTTを辞めるとき、橋口孝志さん(昭和十年生まれ)にはこの思い
がつきまとっていたという。
  在職中、二十四回もの転勤を体験した。有線通信のオペレーターからはじまり、
総務や営業へ送りこまれ、管理職になってからは電話局長、関西支社の広報室長、
関西料金計算センターの所長などをつとめた。どれかひとつの特技を見定められ
ないほど職歴は多彩である。
「私としてはソフトウェア関連の仕事がいちばん面白かった。これからはコンピ
ュータ・ソフトにさわれる世界に身をおきたいと思っておりました」
  昭和三十年代の後半、大型コンピュータが職場に導入されるにあたり、営業担
当ながら通信研究所に引きずりこまれた。ユーザー代表の一人として、システム
設計のプロジェクトに加えられたのである。振りかえるとその三年間が、ひとつ
の職場にいた最長期間でもあった。以来、社内では「コンピュータ通」と見られ、
オペレーター教育をまかされた時期もあった。
  NTTを辞めるにさいして第二の職場を斡旋してもらえたが、これからは納得
のいく仕事をしたいということで、自分で職さがしに歩く。神戸市内にあるソフ
トハウスに飛びこんで面接をうけると、あっさりと採用が決定した。五十名ほど
の若い技術者が戦力のその会社では、年輩者の橋口さんにシステム設計だけでな
く、社員教育も託す考えでいたらしい。
「そのソフトハウスの顧客もソフトハウスですからね。大企業で習いおぼえた社
員教育を押しつけなくても、若い人たちどうしが実践的に商談をすすめている。
こと教育に関して、私の出る幕はそれほどなかったですよ」
  子は育ち、住宅ローンは完済したので、前倒しで五十六歳から受給している年
金はそっくり妻に渡して、第二の職場でもらう給料を小遣いに充てた。この選択
が橋口さんにとって「自分のしたいこと」であったのかどうか。その後の行動を
見ると否である。

ボランティア団体”行脚”

  ソフトハウスには三年間いた。この間は金銭的にもめぐまれ、橋口さんに言わ
せると「天国」であったが、いまひとつ精神的な充足感が欠けていたようである。
  十代のころからクリスチャンの橋口さんは、第二の職場で得た収入の一部を大
阪市内の施設に寄付してきた。しかし、ノーベル平和賞を受賞したカトリックの
修道女、マザー・テレサの本を読むと《困っているひとにおカネを差しだすこと
で満足してしまわないように・・・》とあって、自身が戒められている気がする。
「では、なにを差しだせばいいのかというと”自分”です。自分の時間ですよね」
  それまで「ぴんとくるものがない」という理由から教会のボランティア活動に
は一度も参加していない。だがサラリーマンとしての野心もある程度までかなえ
られ、家族の扶養義務からも解き放たれたいま、相変わらず金銭による問題解決
をつづけていていいのか。ボランティアは教会にかぎらず市井のあらゆる場所で
求められている。そのなかから自分にぴったりのものを見つければいいではない
か。こう考えて、新聞などで紹介されたボランティア団体を訪ね歩いた。
「そこにニ、三年いるとソフトハウスの仕事がわかったような気になりましてね」
  三年がひと区切りというか、以後は似たような仕事の繰りかえしになるかもし
れないと思われた。そのため辞める前年から職場で退職を宣言していた。
「宣言はしたが、するべきことが見つからない。退職するまでうろうろしておっ
たのですよ」
  各種ボランティア団体を訪れても、敷居が高いような印象をうけたり、やはり
「ぴんとくるものがない」のである。妥協して自分を見失うよりも、納得できる
活動に出会うまで動きまわることにした。
  大阪ボランティア協会が主催する「ボランティア事始め講座」を受講すると、
その最終回に四十組ほどのボランティア団体が駆けつけ、会場で勧誘活動がおこ
なわれた。高齢者介護も学童保育も、それなりに意義はあると思うが、自分には
むいていそうにない。そのような思いで耳を傾けているとき、ある団体の口上に
吸いこまれていった。
「えっ。こんな団体があるの、ここなら自分がやってきたことをそのままいかせ
る、と思いましてね」
  その団体「プロップ・ステーション」は、障害者が自立して仕事ができるよう
コンピュータ・セミナーを催していた。

最先端企業で活躍する修了生

  それまでこの団体では、障害者にパソコンの操作法を教えてきた。だからとい
ってそれによって障害者が収入を得られるでもなく、団体としては「中級講座」
を開催する必要に迫られた。新たに就労部門を発足させ、セミナー講師をさがし
ているとき、橋口さんが名乗りをあげたのである。
  当初、講師と生徒が顔を合わせて講義はすすめられた。生徒の一人、交通事故
による頚椎損傷で肢体不自由となった二十代の青年は、ある予備校の「成績管理
システム」を組みあげるまで成長した。
「そうするうちにインターネットが急速に普及したでしょ。この機能をつかえば、
全国の障害者が家に居ながら職業訓練をうけられるじゃないかとなりましてね」
  平成八年八月から全国の障害者を対象にして「在宅スキルアップ・セミナー」
が開始された。一期半年間(二十五課程)のオリジナルテキストを橋口さんが作成
し、毎週メーリングリストの機能を駆使して流す。そうすれば障害者もマイペー
スで課題の回答や質問などのメール返送し双方向のやりとりができる。
「対面授業ですと障害者にやさしく、ついつい甘くなりかねない。メーリングリ
ストにはそれがなく、課題提出を忘れたりすると叱りつけたりもします。仲間は
私を”鬼の橋口”と呼び、からかう」
  第一期六名、第二期十一名・・ときて、取材時は第五期十一名が受講していた。
修了生のシステム設計能力は高く評価され、在宅社員としてマイクロソフト社に
就職した者(長崎県)もいれば、地元のソフトハウスに採用された者(岩手県)もい
る。病院の情報処理を担当する者(福岡県)もいれば、仲間とソフトビジネスをは
じめる者(山形県)もいる。この三月に開催された「パラリンピック・スキー大会」
では、出場選手登録と競技成績管理システムを、第一期生が中心になってやりと
げた。
  こうして手応えを得て、この四月から橋口さんは修了生八名とともに、新たに
在宅ワークグループ「DB(データベース)システムズ」を立ち上げた。
「自分たちで営業もおこない、お客さまとの接点をもち、それにもとづくシステ
ム開発をネット上の障害者仲間と共同でいたします。あくまでも私はボランティ
アですが、もっと可能性が開けるよう、いま障害者に実務家のポリシーを叩きこ
んでおります」
  これからも「鬼の橋口」をつづける。