戦後70年が過ぎ、日本の過去の植民地支配や侵略戦争での罪の歴史を書き換え、 否定する動きが顕著になった。 ・・・ 事実上、憲法9条を変えようとする政治の 流れと連動している。 カトリック教会は2つの大戦やナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺を食い止められ なかった反省から、1962〜65年の第2バチカン公会議で、宗教的な領域に閉じこもらず、 現実社会に深く関っていく方針を定め、軍事力に頼らない平和を強く求めていくことを 決めた。 戦争はアジアの多くの人々を苦しめ、日本人にも空襲被害や沖縄戦、長崎、広島への 原爆投下という悲惨な体験をもたらした。 その体験から、平和憲法が生まれたはずだ。 ヨハネ・パウロ2世が「戦争は人間の生命の破壊です。 戦争は死です」と語ったように 歴代教皇もはっきりと戦争を否定するメッセージを発している。 こうした流れから、日本の司教団が憲法の不戦の理念を尊重するのは当然のことだ。 戦争放棄はキリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請でもある。 |
信徒は霊的光と力を司祭から期待すべきであるが、司牧者 が何事にも精通 していて、どのような問題についても、しかも重大な事がらについても、 即座に具体 的解決策をもちあわせているとか、それがかれらの使命である かのように考えてはならない。むしろ 信徒はキリスト教的英知に照らされ、 教権の教えに深く注意を払いながら、自分の責任を引き受けるようにしな ければならない。 キリスト教的なものの考え方に従って、ある状態におい て、ある特定な解 決策を選ぶということがしばしば生ずるであろう。他の信者は同じくまじめに 考えた結果、同じ問題について異なった判断を下すということもたびたびあり、 それもまた当然なことである。 |