あとがき:意見の相違があった方がよい

遠藤作品を素材に「イエス」を考えてきました。
あとがきに代えて、少し振り返ってみたいと思います。

1.第二バチカン公会議
  現代カトリックの流れを刷新した第二バチカン公会議は、いろいろな意味で大きな変化をもたらしました。
  ただ、それは地域によって、世代によって、またそれぞれの信者の立場によって、受けとめ方に違いがあります。
  私の場合、すでに本文で記したように、教会による<子離れ宣言>と受け取りましたので、そこから「自分自身
  による信仰探究」が始まり、結果的に<脱キリスト教>という心境に到達しました。
  人によっては、こういう私を「第二バチカンの曲解」者と非難なさるかもしれません。
  同じ公会議のメッセージが、受けとる人々の中で、異なる結果を生み出すことは、公会議の当初から≪意図≫
  されたものだったということを知っておきたいと思います。


  公会議では、教皇は特別なとき以外は公会議の総会に参加しない。
  それで司教たちはかなり自由に討議を交わすことができた。
  教皇はそれではどのようにして公会議中のことを知ったのだろうか。
  ヨハネ23世はバチカンの自分の書斎にモニターテレビをとり付けて、それで討議の模様を   
  興味深げに見ていた。
  ある日、公会議中に激しい口論が闘わされていた。ヨハネ23世はそれをテレビでニコニコ
  しながら見ていた。
  しかしそばにいた長官たちは困ったような顔をしていた。
  教皇はほほえみを浮かべながら、彼らを慰めるように、「大丈夫、大丈夫、議論はあった
  方がいい。司教団は合唱団ではないんだから無理にぴったり声を合わせる必要はないんだ
  よ」と言った。
                                    ホアン・マシア「解放の神学」 p.15

  今年読んだ新書版に「ふしぎなキリスト教 : 
  日本の神様とGODは何が違うか?」という興味
  深いタイトルのものがあります。

  (橋爪大三郎X大澤真幸 講談社現代新書)

  この本では、「われわれの社会」は、「近代社会」というもので、それは「ざっくり言ってしまえば西洋的な社会と
  いうものがグローバル・スタンダードになっている」と捉えています。
  そして近代の根拠になっている西洋のアイデンティティを基礎づける特徴の中核に「キリスト教」を置いています。
  つまりキリスト教がどういうものかを理解しなければ、近代社会・そして現代を考えることが難しいということに
  なります。
  遠藤周作氏は、そのような西洋のアイデンティティに違和感を覚えたところから、ご自身の信仰・神理解を探究
  するようになったのですが、現代の一般的な日本人がキリスト教をどれだけ深く(別に教義上の知識ではなく、
  その歴史的意味合いを)理解しているかは疑問です。
  その点では、この本はとても役に立つもので、しかも面白く読める内容になっています。

  この中で西ヨーロッパに伝わったカトリックと、東方に伝わったキリスト教(オーソドックス:正教)との発展の仕方
  の違いが記述されています。


  キリスト教が東と西とに分かれたのは、ローマ帝国の分裂と並行したものでした。
  この対談の主題、つまり近現代を規定した主要な因子としての西洋という主題との関係では、
  西側のキリスト教(カトリック)のほうが関心の中心になります。
  今日ふりかえってみると、それだけ、西側のキリスト教が定着した地域の文化の歴史的な
  影響力が圧倒的だったわけです。
  しかし、その地域がはじめから先進国だったかというと、必ずしもそうではない。
  ローマ帝国の東西分裂後、西ローマ帝国は百年ともたずに滅亡してしまいます。
  15世紀半ばまで、千年以上存続した東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とは対照的です。
  例のゲルマン民族の大移動があったりして、あっという間に、この地域の政治的な統一性は
  なくなってしまったわけですね。

  それなのに、この地域が独特の文化的・文明的な統一性をもっていて、それが明確な影響力を  
  残し続けているのは間違いありません。わかりやすい例をひとつ挙げれば、EUですね。
  EUの最初からの構成国で、現在でも中核をなしている国々は、ほぼ西ローマ帝国のあった
  場所にある。EUは、西ローマ帝国の跡地につくられたようなものなのです。

  それでは、西ローマ帝国がかつてあった地域(カトリックが普及した地域)にはどのような
  特徴があったのか。
  ぼくは、世俗の政治権力と宗教的な権威がきわめて明確に二元化していることだと思います。
  ローマ教皇は政治的な権力を握らず、別に世俗の権力者がいた。最も重要なのはいちおう
  神聖ローマ皇帝ですが、ほかにも王様や封建領主がいて、中世においてはそれらが群雄割拠
  しています。
  そして、世俗の権力と宗教的な権威とは、あまり仲がよくない。

  ローカルな弱小王権に服属するなんてとんでもないと思った。そこで、それら弱小王権に
  呑み込まれないで、教会の統一と独立を保つことに全力をあげた。

  教会がとった戦略は、まず、典礼言語をラテン語に決めて、絶対譲らず、ゲルマンのローカル
  な言語を使うことを認めなかったことです。彼らは文字をもっていなかったので、ちょうど
  よかった。ローカルな言語を使えば、ローカルな民族教会になってしまったでしょう。

  すると、商業とか、外交とか、いろいろな情報伝達に有利である。そこで、政治権力にとって
  利用価値が出てくるんです。こうした利点は、教会が分裂せず、ひとつの組織を形成し、
  政治的な勢力圏を超えてネットワークを構築できているからこそ発揮される。
  これが、教会が存続した大きな理由のひとつだと思う。
  つぎに、政治権力に介入するには、一神教の論理がとても大事になると思う。神の恩恵と
  救済がないと、人間は生きていけない。そこで、終末の教義を脚色して、悪魔とか地獄とか、
  煉獄とか、教会だけがイエス・キリストの代理として人びとを救うことができるとか、宣伝
  した。そのための手段(救済財)が、教会にそなわっているとした。政治権力を上回る、
  人間の救済に関する権限が、教会にあるというわけです。

  少々大袈裟にいえば、カトリック教会の姿勢はずっとこのような形で続いてきました。
  しかし、対世俗権力との関係とは別に、現代社会に生きる一人ひとりの≪人間≫とのかい離は「信徒の教会離れ」と
  いう事態を引き起こします。日曜日のミサに与る信者の比率は、本家本元のヨーロッパでは、布教国の日本などよりも
  低くなっているのです。
  ヨーロッパでは、大人の信徒に対する宗教(再)教育が注目されるようになります。
  第二バチカン公会議は、そうした現代社会に生きる≪人間≫とどう向き合うかという教皇ヨハネ23世の思いが出発点
  にあったと私は理解します。

  先に引用した「解放の神学」の中に、次のようなエピソードが記載されています。

  今ここで、憲章中で、憲章の精神を代表する一つの典型的な個所を引き合いに出しておく。  
  それは憲章の第3章33番の次のことばである。
    「教会は神のことばの遺産を大事にし、そこから宗教と倫理の領域において判断する
    ための原則を導き出すけれども、そうかといって教会は、現代のおのおのの問題に
    対してすぐ解答をもっているわけではない。」
  実はこの文章は、草案とは違っている。草案では、
    「現代のこれらすべての問題に対して、教会は普遍的な解答を啓示から導きだす」
  となっていた。つまり教会は聖書の中から、解答を自動的にひきだすのではなく、苦労
  しながら解答を探すための光と力をうるだけであるということである。
  これは一例にすぎないが、上からの神学ではなく下からの神学を試みるための基本姿勢が、
  この個所からうかがえるであろう。

  私が、先に引用した現代世界憲章のあの個所は、この後に位置しています。
  つまり、世俗権力と対峙するためにかつては必要だった教会の統一性は、個人との関係においては従来のように
  必須のものではなくなってきたということです。
  「解放の神学」の中で使われている「下からの神学」という言葉は、私の場合、亡くなられた岸英司神父様から
  「信徒の神学」という表現でしばしば聞かされていました。

  第二バチカンは、このようにして信徒が「考える存在」になるよう促しているのだと、私は受けとめています。

2.信徒一人ひとりの「神理解」を磨こう
  私が今回、遠藤周作氏の作品を通して、氏の神学とでもいうべきものの探究と、自分自身の神理解の整理とを試み
  るきっかけとなったのは、アデリノ神父様の勉強会にたまたま参加したことでした。
  当日は、氏の経歴などの最後の部分が紹介され、また、いくつかの作品を引用しながら、氏がどういう神学的テーマ
  を追い続けたかの紹介がありました。
  そのあと、参加者がそれぞれの感想などを発表(教会では「分かち合い」と呼ぶ)しましたが、正直なところそこで
  がっかりしました。というのもほとんどの参加者が、「遠藤さんはすばらしい」という 賞賛 の言葉を口にして、まるで
  それがこの集まりの目的であるかのような錯覚を覚えるほどで、私には大いに違和感がありました。

  それがきっかけで、私なりの遠藤神学批判をしてみたくなりましたし、並行して自分の「脱キリスト教」への歩みを整理
  することにしたのが、今回の私の文章です。
  自分の作業を終えて、もう一度、あの勉強会の様子を思い浮かべました。
  主宰者であるアデリノ神父様の意図は、遠藤賛歌合唱団!!にあるのだろうか? もしそうだとすれば第二バチカン
  が打ち出した「考える個々の信徒」という方向性とは違うんじゃないか?
  そういう疑問が湧いてきて、神父の真意をどうすれば解明できるか・・・と思うようになったのです。

  考え抜いた末の結論はこうです。
  神父は遠藤賛歌を期待しているのではないのだ。 むしろ、カトリックの伝統とはかなりかけ離れた要素をもつ遠藤氏
  の作品を素材にして、勉強会の参加者が、自らの信仰体験をもとに「ある個所には共鳴し、別の個所には批判的意見
  をのべる」ための場をつくりだしたいのではないか?
  私が、今回の文章を時間をかけて書いたように、参加者一人ひとりが、それぞれに自分の神学とでもいうべきものを
  しっかりと点検してみてほしい・・・・神父の意図はそこにあるのでは?と思うようになりました。

  実は、大阪教区では、ずいぶん前から「司教館からの出前講座:生涯養成講座」というものを行っており、1993年3月
  14日には、私の所属する小教区でもそれが開かれました。
  当日の模様は、こちらに記していますが、メインはカインとアベルの話を素材にしたグループでの「分かち合い」でした。
  そこで私の感想に対して、司教館から派遣されたリーダーは激しく反駁し、最終的には「あなたは本当に神を信じて
  いるのか?」という驚くべき発言をしたのでした。
  大阪司教区が考えている信徒の再教育・生涯養成とは、この程度のものなのか? それが私の感想・実感でした。

  それと同じ愚を、アデリノ神父様がいま再演しようとなさるはずがない。 そういうのは司教館にまかせておけばいい。
  そうではなく、逆に問題のあるテーマ、正解の定まらないテーマをあえて取り上げ、それを素材に参加者それぞれが
  自分で考え、自分で思い悩みつつ、自分なりの解釈・理解を探究していく・・・そういう信仰教育・信仰鍛錬の場として、
  あの勉強会をなさっているのではないか?  そう考えるようになったのです。
  そして、その狙いは、少なくとも私においては見事に結実しました・・・神父様の仕掛けた罠に幸いにもまんまとはまり
  ました。 そのことをこころから感謝したいと思います。

信徒は、一人ひとりが自分の生活体験を有し、それぞれの生活体験のなかで神様を実感しています。
そういう現実を大事にしながら、自らの信仰・神理解を深めていくことができます。
それは画一的な内容ではなく、むしろその人に固有な色合いを持ったものになるでしょう。
それぞれの人が、顔かたち、性格、興味や特技などの違いをもつように、それぞれの信仰・神理解を持つのは当然です。
このことを当然と思うカトリック教会に変貌していくことが、第二バチカン公会議の本当の目的ではないかというのが、
私の一連の探索の結論です。

2011/12/27

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