* JIJI's 大阪大司教様への最後の手紙 (1999.3.26)

池長大司教様                                           '99/3/26
                                                       橋口孝志
十  主の平和
  これまで何度もお手紙を差し上げてきましたが、今回で最後にしたいと
  思います。
  私なりに「大阪大司教区が目指すものへの疑問」が整理でき、私自身の
  信仰とは一線を画するものであると認識しました。従ってこれから後は、
  大司教様に申し上げることは何もないと考えるからです。
  最後に、一連の出来事などを振り返りながら、私の抱いた疑問などを総
  ざらいしておきたいと思います。長文になりますが、最後のお付き合い
  としてお読みくだされば幸いです。

1997 春の司祭人事
   ・甲子園の主任は園田の主任が兼務することとなる。
     T神父が甲子園に寝泊りするが、ミサ以外の司牧活動には携わらない
     と主任司祭より説明される。( 4/13 説教の中で)
   ・4/20 小教区の評議会で「せっかく寝泊りしているT神父が司牧活動
     に携わることができるよう善処して欲しい」と主任司祭に要望する。
   ・4/27 主任司祭より「大司教様との3者会談で、T神父が甲子園の司
     牧に関われるようになった。これはもともと私も望んでいたこと」と
     の説明あり。(説教の中で)
     ----------------------------------------------
     この件に関して、池長大司教様は '99/1/22 の書簡で全面否定されま
     した。
     つまり、主任司祭は「3者会談」をでっち上げ、評議会の要望にその
     場しのぎの『嘘』をついたということですね。
     しかし、甲子園の信徒はそのことを信じないでしょう。主任司祭がい
     くらいい加減な人物であっても、そのような見え見えの嘘をつくとは
     考えられません。

1997 秋のT神父の異動
   ・T神父の様子がおかしいことに教理勉強会のメンバーが気付き、ある
     信徒に連絡しました。その信徒が神父に確認したところ「大司教様か
     ら、一週間以内に甲子園教会を出るように」と通告されたとのこと。
   ・その信徒は司教館に赴き、H神父様と面談。事実確認をしたそうです。
     その際「甲子園からは署名なども届いている」との情報を得た由。
     甲子園の信徒の中でT神父に関する署名運動があったことを、こうし
     て私は知りました。
   ・私は「そうした動きは、評議会の知らないことだから、甲子園の信徒
     の総意と思われるのは困る」と考え、そのことをH神父様にファクス
     しました。
     あわせてファクスの内容を評議会メンバーに配布しました。( 10/17 )
   ・10/19 大司教様が甲子園にお見えになり、T神父の異動を発表。理由
     はおっしゃいませんでした。
     ----------------------------------------------
     私がT神父のことに拘るのは、ただ「自分の気に入らない人を、共同
     体から排除するのは福音的でない」と思うからです。
     10/17 の夜の評議会メンバーの集まりで、T神父を悪し様に言う人が
     いるのを知り、大変驚きました。
     私は、むしろ「嫌いな人ほど、抱きしめたい」と考えているからです。

     大司教様は後に、甲子園「教会の事柄や教会の信徒に関わらないよう
     にという司教判断と、司教の指示は小教区司祭にとって誰の言葉より
     も重視される事柄です。たとえ現在の主任司祭からの頼みであれ,信
     徒からの要請であれ、司教の命令に反する行動を頼まれた場合、どち
     らを優先させるべきかは明らか」とおっしゃいました。
     加えて「もし司教の指示に従っていれば、今回のような事柄は起こっ
     ていません」とも。つまり、T神父は自業自得だと。
     イエス様は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」とおっしゃ
     いました。
     また私たちは、天の父が「怒るに遅く、慈しみ深い」ことを知ってい
     ます。
     このギャップは一体何なのでしょう?

1998 春の司祭人事
   ・P神父様が着任。
     私にとってとても理解できないことは、P神父様が「原稿なし」では、
     ほとんど何もお話にならないことです。
     私はP神父様にずいぶん話かけています。しかしほとんどこちらの話
     かけに応じてくださいません。
     小教区における司牧とは一体何なのでしょうか。
     ある人は、P神父様は日本語に堪能でないからだといいます。信じら
     れません。日本語に不自由な神父が主任司祭として大勢の日本人信徒
     を司牧するのですか?  大阪教区では、司牧をそんな程度のものと考
     えているのでしょうか。

1998/9/14
   ・P神父様から、全信徒に「速達郵便」が配られました。この日は月曜
     日です。
     9/13 の説教では何一つ予告することなしに、翌日速達を出すというの
     は何とも異様です。内容は、9/15 付けで小教区のすべての組織を解散
     させると言うものでした。私はこうした事態の背景を神父様に尋ねま
     したが、ノー・コメントの一言のみでした。大阪教区では、こういう
     「理解しがたい事態」が当たり前のこととして通用するのですね。
     いくら宗教団体内のこととはいえ、私には全く理解できない教区の方
     針でした。

1999/1/22 大司教様の書簡
   ・私の数回にわたる手紙に何の反応も示されなかった大司教様からのは
     じめてのお返事でした。そのことは大変感謝しています。
     ただ内容的には、次の点で不満を感じています。
     @  私の '99/1/11 付けの手紙は、T神父のことが主題ではありませ
         ん。
         日本における司牧への要望、とりわけ「信徒を囲い込む司牧から、
         社会に派遣する司牧へ」という提言が主題でした。
         しかし、大司教様はその話の前振りに取り上げたT問題(=大司
         教様のことに触れる唯一の個所)にだけ関心を示し、私の手紙の
         言葉尻のみに終始する批判を述べていらっしゃいます。
         私の肝心の提言には、全く関心を示しておられません。
     A  「この手紙は全く橋口様個人にのみ宛てるものですので、内容に
         ついても一切口外しないという約束のもとにお読みください」と
         一方的に宣言していらっしゃいます。
         その内容とは、先に触れた「3者会談、でっち上げ」説を伺わせ
         るものです。このような礼を失した手紙を私は知りません。

1999/1/28 司教館よりの電話
   ・私の 1/25 付けの手紙に対して、司教館のU様から電話がありました。
     「手紙では誤解が生じやすいので、大司教様が直接お話したい。予定
     は2月の中旬になって決めたい」
   ・私は 2/10 に、U様に電話をして、大司教様のご予定を伺いました。
     U様は意外な反応を示されました。これは私に司教館への不信感を植
     え付けました。私はすぐに大司教様へ手紙を書きました。
   ・2/12 U様より電話があり、面談の予定を組むとのこと。2/10 の対応
     とは手のひらを返したようなこの豹変振りに私は驚き、大阪教区の暗
     部を見る思いがしました。
   ・2/23 U様より電話。大司教様が入院されたので 2/26 の面談予定は
     延期とのこと。もちろん、了解いたしました。
     -----------------------------------------
     大司教様のご予定のご多忙さと、入院に伴う大変さはよく分かります。
     私自身はお目にかかることは無理だと思っていましたので、面談が実
     現しなかったこと自体は構わないのです。
     ただ、司教館からの電話にはいいように振り回されたと言うのが実感
     です。

1999/3/4 大司教様の書簡
   ・面談によらず、手紙による対話として 3/3 に再度の手紙を差し上げ
     ました。
   ・それに対し、大司教様は再度「口外無用」を私に求められました。
     そして「橋口様との間に基本的に信頼関係が成り立つ限り、またお話
     することができます」と明言されました。
   ・私は 3/8 にその返事を書きました。「私は切り札の意味で、当面、
     お申し出に同意することといたしましょう」
   ・その後、大司教様は何の「お話」も私に対してなさってはいません。
     ------------------------------------------
     結局、大司教様は、ご自分に都合の悪い「例の内容」が漏れない保証
     を求めていらっしゃっただけであり、それ以外のことには全く何の関
     心も持っていらっしゃらなかったということですね。
     このことが私の得た結論です。

1999 春『叫び V』に関する大司教様コメント
   ・1997/11/25 北野教会でのカトリック研究講座で、大司教様の「片手
     落ち」という言葉づかいに関して、一言言上したのは私でした。
   ・1998 秋の同講座でも、大司教様は再度「片手落ち」という言葉を口
     にされましたね。さすがにこの時はすぐに訂正をなさいました。
   ・そのような大司教様を見てきただけに、このコメントには苦笑いた
     しました。
     一年毎に大司教様も成長なさったということですね。結構なことだ
     と喜んでおります。
***
1999/3/14 甲子園における生涯養成講座
   ・恒例の四旬節黙想会にかえてのものでした。以下はその感想文です。
     私はこれを通して、大阪教区の目指すものと、私が大事にしたい信仰
     実践との間には、かなりの距離があることを強く認識いたしました。
     -------------------------------------------
         前の日曜日、甲子園教会では恒例の四旬節黙想会にかえて、大阪
         教区の生涯養成講座の第1回目を開きました。
         創世記4章のカインとアベルの物語をテーマに、分かち合いを行
         なうという形でした。
         ある意味では、とても考えさせられる黙想会でした。

         多くのグループでは、
           ・カインの嫉妬心が、あのような不幸を生んだ。
           ・兄弟の幸せを素直に喜ぶ心を私たちは持ちたい。
           ・不条理なことが起こっても、神を信じて耐え忍ぶことが大切。
         といった話をしたようです。
         ミサの説教にかえて、分かち合いの感想が披露され、そういう決
         意を述べる人々が大勢いらっしゃいました。

         私は、自分の感じたことを持ちかえって月曜・火曜と考え続けま
         した。
           ・神はなぜ二人の捧げ物を差別なさったのか。
           ・カインはあのように(6,7節)叱責されるほどの悪い行ないを
             したのか。
           ・カインが気の毒に思えて仕方ない。
         これが私の率直な感想でした。
         養成リーダは、私のそういう感想に対して、
           ・6,7節は叱責の言葉ではない。単なるヘブライ的な表現だ。
           ・橋口さんは、本当に神を信じているんですか。
         といわれました。
         これはとても興味深い反応だと思いました。

         そして、一昨年の夏、インターネットのメーリングリストでの H 
         氏からの問いかけ『あなたは使徒信条を信じているのか』を思い
         起こしました。

         H 氏は、私の「毎日の私の生活を見ていただけば、それは分かる
         でしょう」という回答に対して、「そんなことを聞いているので
         はない。信じるか信じないかを的確に答える」よう要求されまし
         た。

         今回も同じ思いがしました。H 氏にも、養成リーダにも私の発言
         の意味は通じなかったようです。
         そこが『興味深かった』点です。

         それで、月曜・火曜とこのことを考え続けました。
         そしてその解をマタイ21章28節(から)に見出しました。

         21:29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
         21:30 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さ
               ん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。

         もしかして、ある人々は、この話に「だんご3兄弟」のように末
         弟を加えて読んでいるのではあるまいか?
         当日の第1朗読(1サムエル16章)風に言えば、

         21:30b  次に人をやって、末弟を連れて来させた。彼は血色が良
                 く、目は美しく、姿も立派であった。父が同じこと言う
                 と、その子は『お父さん、承知しました』と答え、すぐ
                 に出かけた。

         カトリック信者たるもの、すべからく末弟のように振る舞わねば
         なりません。それが四旬節黙想会のめざす「回心」というもので
         す。

         これは実にすばらしい模範回答だと思います。どんな宗教でも、
         そして神を信じない人々にも拍手喝さいの、文部省推薦的・修身
         教科書的な回答だと思います。

         ただ、イエスはあの話に「だんご3兄弟」を登場させませんでし
         た。
         イエスの周囲には、そのような人があまり居なかったからかも知
         れないし、人々もそのことをよく知っていたので、嘘っぽい話に
         なることを避けたのかも知れません。

         分かち合いによる学習は、司祭主導による「公教要理」教育とは
         全く違う形をとっていますが、どうも目指すところは同じ『末弟
         化』のように思えてきたのです。

         たしかに末弟化は悪いことではありません。一見、理想的だと思
         えます。
         ただ、公教要理教育を受け、第2バチカン公会議以降のもろもろ
         の動きを見てきた古い信者である私には、現在に生きる信仰の姿
         を考える時に、末弟化が「理想」だと単純に思えなくなっている
         のも事実です。

         私たちが現実を見るとき、末弟は殆ど見当たりません。
         完全社会を自負していた教会自体が、世界の近代化の中で、多く
         の不幸と悲劇を防ぎ得なかった負い目を告白しているのです。
         私たちが、理想として末弟化を願っているとしても、現実には、
         マタイ福音史家が提示した「兄と弟」の状態こそが私たちの世界
         です。

         現実に生きる信仰を考える時、不条理を耐え忍ぶことだけがカト
         リック教徒に許される唯一の選択肢でしょうか?
         「神への問いかけ・つぶやき」場合によっては「怒り」であって
         も、それは現実を見つめる人間の営みとして受け止めてよいもの
         ではないのでしょうか。
         神学は、ある意味では、そのような人間の営みであるように思え
         ます。
         人間なりに、神のみ旨を分かりたい。納得したい。
         そんな人間の営みとして、神への問いかけ・軋轢は、信仰を深め
         る機会でもあると思います。

         兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。

         もしかして、「いやです」と言い続けながらでも出かけることは
         あるのだと思います。

         「いやです」「お父さん、承知しました」ということばによる信
         仰の判断ではなく、どのように生きているかによってこそ、その
         人と神との関わりを見出すようにしたいと思った今年の四旬節黙
         想会でした。
     ----------------------------------------
   ・日本ではクリスチャンをくそまじめな人と見る傾向があります。それ
     は教会自体が長年、信徒に「末弟化・模範的な言動」を要求してきた
     からでしょう。
   ・先日、仏教の霊場巡礼に参加している人が「ここに来ている人は皆、
     何らかの苦しみや悩みや恨みを抱え込んでいる者ばかりですよ」と話
     していました。
     一方、教会にはその様な人が来ても、受洗の瞬間、すべてが新しく・
     立派に生まれ変わって、素晴らしい生き方をするクリスチャンになっ
     てしまうのですね。
     それが出来ない信者は、本物ではないと。

これからの私
  1)罪深さについて
    ・公教要理を通じて、私はカトリックの教えの完全性を信じました。
      しかし、第2バチカン公会議は、教会が完全でないことを告白しま
      した。
      現在のパパ様は「紀元ニ千年の到来」の中で、実に明確にそのこと
      を説明して下さいました。
    ・私たちは、生きている限り、原罪の翳を背負っています。罪深さか
      ら完全に抜けきれてはいません。しかし、その中でなお、救いの約
      束を信じています。
    ・罪深さの中にあることと、救いの約束に与っていることとはあい入
      れないことではないと考えます。
      むしろ日本人の感性は、罪深さの中でこそ、救いへの確かな手応え
      を見て取るのだと思います。
    ・大司教様は「甲子園教会の信徒、信者の皆様は、T神父様の司教命
      令違反に関して、もともと全く預り知らなかったことであり、これ
      についてぜんぜん責任がありません。その意味で、回心の対象にな
      らない」とおっしゃいます。
      しかし、そうでしょうか。私たちは、自分たちの教会から、ひとり
      の司祭を追放することに明らかに加担しています。少なくとも、そ
      れを防ぐ努力を怠りました。これは甲子園の信徒の罪深さのひとつ
      ではないでしょうか。
      この回心なしに、甲子園の信徒が主の前に潔白だというのなら、そ
      れは誤りだと私は思います。
    ・私たちは自分の罪深さを正直に見つめる時、神に近づくのだと思い
      ます。

  2)教会が断罪する人々とともに
    ・教会は、過去に、そして現在でも、ある人々を罪人・地獄行きと断
      罪しています。その人々の抱えている苦しみ・悩み・うらみつらみ
      に全く理解を示していません。自らの正しさで、その人々を断罪し
      ているのです。
    ・私はその人々と同じ目線で生きてみたいと思います。それは、イエ
      ス様が当時の律法から断罪されていた人々と一緒に食事をしたのと
      同じだと考えるからです。
    ・日本人がもつ感性に向かって、イエス様は今も語りかけて下さって
      いると信じるからです。何故なら,日本人の持つ感性もまた、父で
      ある神様にいただいたものだからです。
    ・私はこれまで一緒に過ごしてきた障害を持つ人々に加えて、そうし
      た断罪された人々を私の友とします。
    ・このような罪深い私は、大阪教区の目指すものとは、相当にかけは
      なれていると思います。
    ・甲子園の信徒は、司祭職を去っていった3人の神父を知っています。
      スペイン宣教会のP神父、甲子園出身のO神父、助祭時代を甲子園
      で過ごしたM神父。
      私は彼らがどのような理由で司祭職を去ったかは知りません。また、
      司祭職を去ったことを善しともしません。
      ただ、彼らが司祭職を去るに至った背景に対して、大阪教区は十分
      な理解やケアを示すことがなかったのだと推測することはできます。
      何しろT神父を自業自得と切捨てる体質ですから。

長い時間、お付き合いいただいたことを感謝します。
もう、大司教様を煩わせることもないでしょう。
いずれ、イエス様のもとでご一緒する日が来ることです。
それまで、それぞれの人に、神様が与えてくださった役割を忠実に生きて
まいりましょう。

私は、大好きな神様のうちに、大きな希望を抱いております。
また、教会の過ちをすなおに告白されたパパ様を深く敬愛しております。
私は、ひとりのカトリック信者として、罪深い身を持て余しながらも、イ
エス様が命がけで教えてくださったように、これからも生きてまいります。

<以上>
  
HPへの掲載に際し、個人名をイニシアルに変更した部分があります。