・ 生殖活動は「オス、メス」の領域。「愛」とは別

  「オス」と「メス」とが子孫を残していくことは、自然界の摂理、キリスト
  教的にいえば神様のご計画のひとつで大事なことです。
  「オス、メス」の役割は、生殖において最大の意味を持ちます。
  では人間の存在の意味は「オス、メス」に尽きるのでしょうか?
  そんなことは断じてありません。
  神様は、生殖活動を果たすことのできない「オス」や「メス」を数は少なく
  ても確かに創造なさっているからです。
  キリスト教では、そうした人々を「悪に汚染された人、役立たず」と捉える
  のでしょうか?

  イエスは、
      結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた
      者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れるこ
      とのできる人は受け入れなさい。(マタイ19:12)
  と話しています。
  決してマイナスイメージでは捉えていないと思われます。

  結婚して子供をもつ男と女もいれば、結婚しないものもいます。
  結婚して子供をもちたいと願っても、子供に恵まれないカップルもいます。

  いろいろな生き方がそこから生まれています。
  人の生き方は、いろいろな形で存在しているのです。
  どれが正しいとか、間違っているという断定の世界ではないのです。

  その点、初代教会の偉大な聖人のひとりである聖パウロは「独身至上主義」
  を説いているように思えます。
      独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
      結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、
      心が二つに分かれてしまいます。(Tコリント 7:32〜34)

      要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚
      しない人の方がもっとよいのです。(7:38)

  そして結婚を次のように位置づけます。
      未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいで
      しょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦
      がすよりは、結婚した方がましだからです。(7:8,9)

  つまり、結婚には「情欲を発散するための機能」を期待しているのです。

  確かに「情欲の発散」が子孫を残すという自然界の摂理(神様のみ旨)を実
  現するためのキーワードであることはまぎれのない事実です。
  「オス」と「メス」は、このキーワードにしたがって行動し、結果的にそれ
  が神様のみ旨の実現に連なっているのです。

  パウロは、独身で「主のことに心を遣」うことを上位に置いていますが、多
  くの「オス、メス」は「情欲を発散させる」という次善の生き方を選んでい
  るということでしょうか。

  このようなセックスへの蔑視は、キリスト教の歴史の中でいろいろな「ひず
  み」をもたらしてはいないでしょうか?
  キリスト教では、正式に結婚したカップに対してのみ、セックスすることを
  認める立場をとります。
  これは、上記のパウロの思想に沿ったものでしょう。

  では、結婚していないカップルからは、子供は誕生しないのでしょうか?
  断じて NO ! です。

  生殖活動は、いわば「オス、メス」の領域。そこに「愛」という情感の有無
  は必要&不可欠な条件とは言えないのです。
  気の毒にもレイプされた女性が、出産をするケースもあるのです。

  一方「結婚」は、「男、女」の領域です。相手との人間関係の中で、特別な
  パートナーシップを形成することです。
  もちろん、そのカップルが「オス、メス」としての行動をとることも当然あ
  るでしょう。
  しかし、単に「オス、メス」の関係だけでないことは、ふたりが年老いて、
  もはや「オス、メス」の関係でなくなっても、なお助け合い、尊敬しあって
  生きている多くの高齢者カップルの姿に、はっきりと見て取ることができま
  す。
  こういう人間関係、パートナーシップをこそ「結婚」と呼ぶのでしょう。

  結婚は、生殖活動を含むものであるケースが多いとはいえ、生殖が絶対条件
  ではないのです。

  カトリック教会は、勃起不能の「オス」の結婚を認めませんが、カップルが
  そのことを承知の上で、一生を助け合い、尊敬しあって生きていくのに、何
  の支障があるというのでしょう。
  逆に、無精子症で子供をもてない「オス」の結婚は認めています。
  この2組のカップルを区別する正当な理由があるのでしょうか?

  結婚がパートナーシップであり、子供に恵まれるかどうかとは別であるとす
  れば、「男と女」のパートナーシップだけでなく、「ゲイやレズビアン」と
  いう他とは違った性的指向・性行動のスタイルを持ったカップルに関しても、
  二人の間のパートナーシップを祝福する度量の大きさがあってよいのではな
  いでしょうか。

  セクシュアリティを生物としての「オス、メス」として考えるだけでなく、
  ジェンダーとしての「男、女、あるいはそれにとらわれないジェンダーフリ
  ーなどのグラデーション模様」と理解するならば、聖書が書かれた時代の認
  識にしばられたままでいることが唯一の選択ではないと思えてくるのです。

  当時の世界では、女性の地位は低く、また人権の尊重も不十分でした。
  人間はながい歴史の中で、そういう「みじめさ」を見直し・克服する歩みを
  続けてきました。
  セクシュアリティに関しても、同じことが言えるのだと思います。
    

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・ 「ゲイ、レズビアン」はどうして生まれるのか

  ゲイやレズビアンは、生まれた瞬間に判別できるものではなく、成長過程に
  おいて次第に見えてくる「性差」のひとつです。
  自分の「オス」の体や、親や周囲から「男の子」として扱われることに違和
  感を抱き始めることで、自分の内にある「ゲイ」の傾向を意識し始めるとい
  ってよいでしょう。(「メス」に関しても同様)

  なぜ、そのような現象が起きるかについて、万人を納得させる説明はまだな
  いようですが、ホルモンに関係があるというのが有力な意見のひとつです。

      受精してから6〜8週間に、男の胎児(性染色体がXY)はアンドロゲ
      ンという男性ホルモンを大量に分泌して精巣ができはじめる。次に、女
      を基本形にした脳にも変化が生じて、男用のフォーマットになる。この
      時期に男性ホルモンが不足した場合、生まれる子供には2つの可能性が
      考えれれる。
      ひとつは、脳の作りがいくらか女っぽい男の子になる。この場合は、思
      春期を迎えるころにゲイになると思われる。
      もうひとつは、生殖器官は男なのに、脳は完全に女になるケースで、こ
      れはトランスジェンダーと呼ばれる。生物学的には男女どちらかに属す
      るのだが、本人の意識はその反対なのでさる。
      また男女両性の性器を持って生まれてくる半陰陽の子もいる。遺伝学者
      アン・モアは著書『ブレインセックス』のなかで、遺伝子的には男なの
      に、見た目が女の子だったために女の子として育てられ、思春期になっ
      てペニスと睾丸が「出てきた」例をいくつも紹介している。
      (アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著「話を聞かない男、地図が読め
      ない女」2000/4 主婦の友社発行 p.192)

            この著者は「トランスジェンダー」という言葉を使っているが、
            むしろ「トランスセクシュアル」と呼ぶ方が適当と思われます。

  この本の著者は、これまで見てきたトランスジェンダーやジェンダーフリー
  をホモセクシュアルと同じだとみなしているため、「ホモセクシャルの人た
  ちは、自分の性的指向が選択の結果だと誤解している」と書いており、ホル
  モンの作用の結果でしかないといいきっています。
  セクシュアリティを、2層で考えればそうなのでしょうが、3層で考えると
  そうとはいえないことがはっきりとしてきます。

  性的指向は、ピーズのいうようにホルモンの作用の結果でしょう。いわば生
  まれつきです。
  では、性的指向が「同性に向かう」すべての人が、トランスジェンダーやジ
  ェンダーフリーを名乗っているのでしょうか?
  決してそんなことはありません。社会の通念としての「男、女」であること
  に抵抗を感じない人もいますが、名乗ることに恐れをいだいている人もまた
  いるのです。それだけ社会の蔑視が強いからです。
  そうした中で、トランスジェンダーやジェンダーフリーとして生きることは、
  勇気のいる「選択」だということができるでしょう。
  これは、ゲイがゲイであることを周囲に名乗る(カムアウトする)場合でも
  同様です。
  ゲイであることは生まれつきでも、カムアウトするのは勇気のいる選択なの
  です。

  以上のことから、

    ・性的指向は生まれつきで、ホルモンなどの作用の結果。
    ・ゲイやレズビアンであることを明かして生きることは、本人の選択。
    ・トランスジェンダー、ジェンダーフリーとして生きることも、本人の選
      択。

  ということができそうです。

  また、こういう理解に立てば、

    ・トランスジェンダーやジェンダーフリーではないゲイの存在。
    ・ゲイであることを決して周囲には口外しないゲイの存在。

  が見えてくるのです。
    

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