・ 性的指向とは何か? 性衝動の向かう先?

  性的指向 Sexual Orientation として「異性愛、同性愛、両性愛」という区
  分が使われますが、これはこれまで見たことと、どのような関係にあるので
  しょうか?
  よくいわれるのは、正常な「オス・男」「メス・女」は当然異性に性愛を抱
  き、一方、同性との間で性交渉を行う「ゲイ、レズビアン」は、異常・変態
  であるという見方です。そして「両性愛者」はゲイやレズビアンの変形だと
  いう理解でしょう。  

こういう見方には、トランスセクシュアルや
トランスジェンダーへの視点が欠けています。

例えば女として生きようとしているオスにとって
男(オス)を愛することは自然の成り行きでしょう。

また、トランスジェンダーと同性愛を混同し、
「ゲイ=オカマ」等の偏見が入り込みがちです。

いわゆる典型的な「男」は「オス」であり「異性であるメス」を性の対象に します。 典型的な「女」は「メス」であり「異性であるオス」を性の対象にします。 トランスジェンダーのオスは、女らしく振舞っていて、多くの場合、性の対 象にオスを選ぶようですが、相手のどの部分に男らしさを見出しているかは 一概には言えないようです。 というのも、ジェンダーとして「男らしく」生きているレズビアンを相手に 選ぶケースも時にはあるからです。この場合、結果的にオスがメスを選んだ ように見えますが、惹かれたのはあくまでも相手(レズビアン)のジェンダ ーに見いだした「男らしさ」なのです。 先の図では、こういうケースが表現できていません。 もっと単純な話としては、普通の女性が、トランスジェンダーのメスの「男 らしさ」に魅力を感じることもあるわけです。 いずれの場合も、ジェンダーを抜きにしては理解することができません。 こうしたケースからも分かるように「同性愛、異性愛」は、単なる体の問題 ではなく、もっと幅広い情感の領域にまでおよぶものと考えられます。 いずれにしても、情感の領域を含むゲイやレズビアンという「同性愛」を考 えるのに、ライフスタイルの世界である「ジェンダー」、その背景にある性 の自認を抜きにすることはできないのです。 大雑把に言えば、同性愛者(ゲイ)である「オス・男」には、3つの形が考 えられそうです。 @ 性自認が「女」またはトランスジェンダーで「女らしく」生きること を選んでいる人。 A ジェンダーフリーとして生きることを選んでいる人。 B 性自認もジェンダーも「男」である人。 @の人にとって、男性あるいは「男らしさ」をもつ人に性的魅力を感じるこ とは、極めて自然なことでしょう。 Aの人が、相手として男を選ぶか、女を選ぶかは、決めつけることのできな い問題です。ジェンダーフリーの中に、性的指向が男に向かう人、女に向か う人があるとすれば、それはひとりひとりの個性というものでしょう。 もっとも分かりにくいのが、Bの人のことでしょう。 同性愛(ゲイ)=「オカマ」という間違った観念は、@やAを同性愛者の代 表的なタイプだと思い込んでいることからきています。 そのような理解からは、Bのタイプのゲイは理解できません。 Bの場合、見た目は全く男性そのものです。しかし、性的な関心は同性に向 かっています。これは彼がそうしたいからではなく、彼の気持ちと体の中に もともと備わっている特性です。 トランスジェンダーの場合は、何らかの意味で、ライフスタイルとして自ら 選び取ったというセルフコントロールされた部分があります。 しかし、ここでいう性的な関心は、100% 自分の内側に備わった傾向がもた らしているものです。自分で選び取るという種類のものではありません。 いわゆる普通のオス、メスの場合は、(生物としての)ヒトのいのちを突き動 かす衝動として性的指向は異性に向かっています。これは生まれつきのもの です。同じように、Bの人の場合も生まれつきのそれが、彼を同性に向かわ せているのです。 Sexual Orientation 、性の衝動は生まれつきの傾向として、人ひとりひと りの中に組み込まれた個性です。神様がその人に与えた個性というべきもの です。 異性愛が、人ひとりひとりの努力や意思によって修得したものではないよう に、同性愛もまた、当人の意思などには関わりなく身に備わっているものな のです。 同性愛の理解は、Sexual Orientation が、生まれつきの特性であることを 知るところから始めることが必要です。 以上のことから、性の区分は「オス、メス」「男、女」に加えて「性的指向」 という多層的な側面から見ることができることが分かりました。 各層での「オス、メス」「男らしさ、女らしさ」「性の対象としての男、女」 の組み合わせは、大変入り組んだものであることも知りました。 そういう結果、性のあり様は、人それぞれに個性豊かに異なるものだという ことが明らかになります。 決して、単純に「男、女」と区別することで割り切れるものではないという ことが分かってきたのです。 これまで、生物的な性の区別から出発して、ジェンダー、性的指向と 見てきましたが、もしかすると、生物的な性の区分と性的指向という 天与の2つの軸の間で、それぞれの人はジェンダーを選んでいると考 えることができるのかも知れません。

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