遠藤作品をヒントに考える「イエス」 : 《10》

第9:「深い河」を読む(2)

  * 美津子の場合

    「あなた信者?」
    「ええ、家庭がそうですから、子供の時からです」
    「本心から信じていらっしゃるの?」
    不意に彼女は今まで考えもしなかった質問を口にした。

    彼をではなく、彼の信じている神をからかいたいという、いささか子供っぽい
    気持ちからすべては出発したのだ。

    「神なんか棄てたら。棄てるって私たちに約束するまで大津さんに酒のませるから。
    棄てるんだったら、これ以上、飲むのを許してあげます」

    美津子は信徒たちに踏絵を踏ませることを強要した切支丹時代の役人の話を不意に
    思いだした。一人の人間から彼の信じている神を棄てさせた時、その役人はどんな
    快感を味わっただろう。

    腕をくんで、柱に上半身をもたれさせた美津子を大津は恨めしげな上目使いで
    見上げた。もう許してくれと哀願している犬のように。それが彼女の残酷な気持を
    更にそそった。

    「でも・・・」
    と訴えた。
    「でも、何よ」
    「ぼくが神を棄てようとしても・・・神はぼくを棄てないのです」

    彼女は信じてもいない神に話しかけた。
    子供が空想の友だちを作って話しかけるように。
    「神さま、あの人をあなたから奪ってみましょうか」


       カトリック系の大学に通う美津子は、コンパの席で、哲学科に在籍する
       童貞男子学生大津をからかい、マンションの自室に招き入れセクスをします。

       美津子は見合いで決めた夫とでかけたフランスへの新婚旅行の最中、ひとりリヨンのホテルで
       大津に合うことにします。大津は神父になるためその地の神学校に在籍中だったのです。


    「あなた・・・あの時、神を棄てたんじゃない」と美津子は大津の古傷に指を入れた。

    「それなのに神学生にどうしてなったのかしら」

    「わかりません。そうなったんです」
    「理由をわたし、知りたいの」
    「あなたから棄てられたからこそ−−、ぼくは・・・人間から棄てられたあの人の苦しみが
    ・・・少しはわかったんです」
    「ちょっと、−−そんな綺麗ごとを言わないで」美津子は傷ついた。

    「ぼくは聞いたんです。成瀬さんに棄てられて、ぼろぼろになって・・・行くところもなくて、
    どうして良いか、わからなくて。仕方なくまたあのクルトル・ハイムに入って跪いていた間、
    ぼくは聞いたんです」
    「聞いた? ・・・何を?」
    「おいで、という声を。おいで、私はお前と同じように捨てられた。だから私だけは決して、
    お前を棄てない、という声を」

       「沈黙」のワンシーンのような、遠藤氏独特の描写がここにも見られます。

    「三年間、ここに住んで、ぼくはここの国の考え方に疲れました。彼らが手でこね、彼らの
    心に合うように作った考え方が・・・東洋人のぼくには重いんです。溶けこめないんです。」

    「ぼくはここの人たちのように善と悪とを、あまりにはっきり区別できません。善のなかにも
    悪がひそみ、悪のなかにも良いことが潜在していると思います。」

    「でも、ぼくの考えは教会では異端的なんです。ぼくは叱られました。お前は何事も区別しない。
    はっきりと識別しない。神はそんなものじゃない。」

    「でもぼくは自分に嘘をつくことができないし、やがて日本に戻ったら・・・」
    「日本人の心にあう基督教を考えたいんです」


       この大津の想いは、まさに遠藤氏の想いの作品化そのものです。
       美津子はその後、日本で大津と会うことはありませんでした。
       離婚した美津子は、同窓会で大津がインドにいることを耳にし、このツアーに参加します。
       インドのあるホテルの庭で、磯辺が美津子に尋ねます。


    「あなたは何を探しにいらっしゃるんですか」
    「自分でも何か、わからないんです。ただこのヴァーラーナスィに学校時代の友だちがいます。
    ただ町のどこにいるのか知らないんですけれど。彼を探すのが目的のひとつかもしれません」





    美津子のインドでの体験はいろいろな事柄におよびますが、ここでは大津とのかかわりに
    限っておこうと思います。そして後ほど、大津と共に再登場させます。


第10:「深い河」を読む(3)