今回の課題「強者の宗教・弱者の宗教」は、「イエスは<無力・非力>の人だったのか?」と言い換えても よかろうと思います。 氏が 1996年に亡くなられた時、柩には氏の遺志に基づき 『沈黙』 と 『深い河』 の二冊が納められたそうです。 『沈黙』は、1966年に出版されました。当時手にした書籍は、今は手許に見当たらないのですが、私にとって 最も印象的な個所は、キチジローの次の叫びでした。
1971 年に篠田正浩監督作品として映画化されました。当時の教会は、これを「推薦映画」とはしておりません。 映画では、転んだ神父が女を抱くシーンを「付加」してありましたが、この個所に対して遠藤氏は最後まで強く 監督に異議を申し立てていたと、当時何かの記事で読んだ記憶があり、私自身も遠藤氏の気持ちに全面的な 共感を覚えたことを今もはっきりと覚えています。 カトリックではない監督にとっては、こういう終わり方が『当然』だったのかもしれませんが、カトリック信徒の 立場からは、大変つらい・そうはして欲しくなかった「原作(ないし信仰)に対する侮辱」のように思えたのです。 氏は、殉教した人々よりは、棄教した人々の方に目を向けています。 それはご自身の心情が強い信仰を貫いた殉教者にはついていけず、同じ場面に遭遇したら自分も同様に棄教 するかも知れないという思いがあったからでしょう。 ここに氏の「弱者の宗教」とでも呼ぶべき『信仰の立場』があります。これが氏の信仰の基本姿勢です。 このサイトの冒頭で紹介したように、キリスト教は「殉教を怖れぬ強者の宗教」であり、棄教するような人々を 裁き・地獄に突き落とす「恐ろしい(側面を持った)宗教」です。 そして日本に最初にもたらされたカトリックの信仰は、見事な果実を結んでいます。 有名な「日本での最初の殉教者である26聖人、京都から長崎へ連行され十字架上で見事にその信仰を《証し》 した人々」は、現在でも毎年2月5日にその記念日が祝われています。
遠藤氏は、そういうキリシタン信仰への関心を深めていく中で、とりわけ「弱い信仰」の持ち主たち:キチジロー たちに、格別の思いを寄せていったと思われます。 それは「母親への愛情から、捨てたくても捨てられなかった自身のキリスト教信仰への≪葛藤≫」がその理由 であったろうと私には思えてなりません。つまり、ここに「情緒的だが、それだけに≪きまじめ≫すぎる」氏の 特性がまさに激しくほとばしり出ているのです。 「弱い信仰」は、不熱心な信仰という意味ではなく、むしろ教会が期待するような「信仰心の発露」ができない 自分に気づいたキリスト者ということです。 氏の「弱い信仰」への肩入れは、次第に「イエスご自身の姿」の描写にも連なっていきます。 聖書(特に福音書)が提示するイエス像は、奇跡を行い・時の権力者を批判する「力あるイエス」のイメージ でしょう。それが冒頭の「終わりの日に審判者として登場する≪王であるキリスト≫」につながるわけです。 こういうイメージが教会の提示するイエス像ですが、氏はそれとは正反対のイメージを描きだしています。 「死海のほとり」(1973)を取り上げて、上総英郎氏はこう紹介しています。
この「無力なるイエス」の描写は、以後の氏の作品にも しつこく 続いていきます。 「イエスの生涯」の中で、遠藤氏は次のように記しています。
これはすでに「沈黙」の中で≪予告≫されていた「踏み絵の中のイエスの顔・イエスの声」そのものです。 踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、 お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。 こうして遠藤流のイエス像・同伴者イエスの姿が日本人と、そして世界のキリスト者に提示されることと なりました。 当時の教会は、氏のこういう提案を当惑をもって眺めていたと記憶します。 前出のマシー神父も、「無力なイエス」という氏の見解には異を唱えておいででした。 私は、一貫して、氏のこの主張には同意できませんが、このイエス像はじわじわと日本に、そして世界に 知られるところとなっていきます。 これを私は、遠藤氏のイエス像の最大のポイントだと受けとっています。
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