11.08

  船川についた時、あられが降って寒さが厳しい。
  寒風山の展望のよさ。 八郎潟がすばらしい。 それに、この草原は
  まるで阿蘇のようだ。 道路もすばらしい。

  夜、きりたんぼを求めて外出。 高清水を2合飲む。 ひとりでは
  これ以上は飲めない。 それにしても、淋しい・寒い街だ。

  夜行列車が、福島県と山形県の県境に近い 峠駅 にさしかかった時、
  駅舎の火災だかがあって、1時間以上停車していたとのことで、秋田
  到着は2時間位遅れました。 寝台で眠っていた私は、そのことに
  全く気付かなかったという爆睡ぶりでした。
  牡鹿半島をめぐる観光バスに乗りました。 乗客は4人。 みんな若い
  人(男2、女2)ばかりで、すぐに互いに話始めました。 男性は仙台
  の電電公社勤務の人で、後になって、仙台電話局のキー・パンチャと
  結婚することになった・・・という意外な出来事を耳にします。 その
  パンチャは、私が訓練を担当したあの人たちのひとりでした。
  秋田の寮は、当日は休日でしたが、素泊まりでいいからとお願いしたの
  でした。 夜、きりたんぽを外で食べたのはそういう理由からです。
  秋田駅で、「秋田→仙台→東京→熊本→別府」という長距離切符を
  購入。 これは私の持つ最も長距離の切符で、今も手元にあります。
  最後は、1駅手前で途中下車したので、残っているのです。
11.09

  早朝に発つ。 新庄あたりの氷の木々が美しい。 紅葉はもう終わってる。
  久方ぶりの仙台。 やはり、大局用が導入されなくなったのが気づまりで、
  まずい。 
  夜、歓迎(送?)会をやってくれる。 嬉しいことだ。

  この2年間、仕事で関係の深かった仙台に、最後の挨拶に伺ったのです。
  小局用 CAMA に引続き、大局用電算機を導入するという当初の構想が、
  大きく転換してしまい、仙台の関係者には、落胆の雰囲気があったと
  思います。
  私にはどうにもならないこととはいえ、申し訳ない気持ちでいっぱい
  でした。
11.10

  雨、通信局に挨拶に行く。 とにかく、本社の方針のなさがこういう
  まずさを残してしまった。
  7回も行った仙台。 東北そのものには異質さを覚えたが、みなさん
  にはよくしていただいた。 Gratias !
11.11

  ウェストサイド物語を観る。
  とにかく美しい、うまい踊りだ。 このビートのきいた踊りはどうだろう。
  ジェット団のリフは、殊にすばらしい。 好きな野郎だ。
  オケと歌い手は、必ずしも感心しないが、これだけ若い連中だけでやる
  ステージの持つ魅力というのが全くタマラないんだ。
  日比谷公園でのアベックと思い合わせ、若さの持つすばらしさに素直に
  うなづきたい。

  仙台から戻り、この日は、日生劇場で「ウエスト・サイド物語」の公演
  を観たのです。
  映画ではジェット団のアイス役を演じたタッカー・スミスが、この公演   
  ではリフ役で、これが映画でのラス・タンブリンに負けないほどの好演。
11.12

  本社へ。 午前中、運用テストの報告会。
  午後、EPC 総まとめ報告。 これでとにかくぼくの仕事は終わりだ。
  決して終わり方はよくなかったが、ご勘弁ねがいたい。
  あと係長らとマージャン。
 
11.13

  午後、本社へ。 調査役と A さん用にレコードを買う。
  喜んでもらえて嬉しい。
  夜、ロンドン交響楽団。 ケルテスのブラームス。 何ともロマンチック
  である。 よく鳴ってるし、折り目正しく、いい演奏だ。
  各楽器の音色もいい。 弦も、ホルンも、オーボエも。 フルートの例の
  ところは、ビブラートが強すぎる感じ。
  ブリスの色彩交響曲、第4楽章など面白いのだが、やはり古い。
  とにかくいいオケだと思う。 フィガロ序曲のアンコール。

  ロンドン交響楽団 創立60周年記念世界一周演奏旅行
    指揮: アーサー・ブリス(*)、 イシュトヴァン・ケルテス

    コダーイ    カランタ舞曲
    ブリス     色彩交響曲   (*)
    ブラームス   交響曲 第1番 ハ短調 作品68
    モーツァルト  フィガロの結婚 序曲

  会場:厚生年金会館

  フルートの例の・・・というのは、9月6日に取り上げた個所のこと。
11.14

  荷物をまとめる。 大体、コンテナには収まる。
  夜、6業会。 N10 さんの歓迎会とぼくの送別会。
  K3・K22・I10 君ら6技の諸君も参加してくれる。
  M16 君の発言はショックではある。 たしかに「安売り」なのだ!
  あと、技術の二人と新宿へ。
  全く、皆に世話になった。

  同期生の集まりでした。 本社に転入してきた N10 さんも九州から
  でしたので、九州出身の技術科の同期生も参加していました。
  M16 君から、「書記職2級での転出」を安売りとなじられた(?)の
  ですが、口惜しい思いと、反論できない自分を十分に自覚してもいたの
  でした。


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