11.01

  特急こだまで戻る。 ゴチャゴチャした感じの車内。
  そしてスピード感はそれほどでもない。 トンネル内の違和感が
  不愉快。
  電子楽器の演奏会。
  エレクトーンのFタイプは、低音の分離を除いてすばらしい。 
  エレビアンを弾いた松波さんは、いい感覚だ。
  あとのプレーヤは、あまり感心しない。
  道さんは、プロらしく響かせている。
  ドンカマチックの面白さ。 もうオルガンスタイルには限界が
  あるように思えた。
  高円寺教会で、夕のミサ。

  初めての東海道新幹線乗車でした。


  電子楽器もいろいろなタイプが出はじめ、多彩になってきました。

  参考:道 志郎 のLP
     <ウィキペディア>:ドンカマチック
11.02

  他の人たちは、通研公開日の代休でいない。
  オリンピック会場のカラー・フィルムが出来上がる。
 
11.03

  フルートを久方ぶりに練習。 かなり吹きこまないと high が出ない。
  午後、映画。 「夜の片鱗」決して趣味のいい映画ではない。
  むしろ下らない感じ。 しかし、最後の一撃には全くのところ参って
  しまう。 こんな形でしか終末はありえないのか! 救いもなく、
  幸せをつかむことも出来ずに、そして最後にはこんなにも・・・!!

  I3 さんのための曲を、五線譜に書く。
  Received from N 先生。 mercie.

  この映画のことは覚えていませんが、多分、自分の当時の状況に重ねて
  見てしまったのだろうと思います。


  I3 さんに曲を送ったのは、結婚祝いの意味だったと思います。
11.04

  I.O.C.S. の話の続き。 みんなも少しずつ分かってくれていると思う。   

  夜、整理を続ける。

  ジョンソン大統領、再選される。

  これまで私が勉強してきた部分や、担当した個所の引き継ぎの意味で
  EPC のメンバーに説明をしはじめたのでした。

  参考:<ウィキペディア>:リンドン・ジョンソン
11.05

  運用テスト・データ作成法について話す。
  夜、保谷寮で送別会。 16名の人達が出てくれる。
  楽しいダベリングだ。
  あとブリッジ大会。 同点2位3名の中に入る。 全くのマグレだ。
  あと室長に送ってもらう。 T21 さんにも感謝したい。 兄貴のように
  ぼくのことを面倒見てくれたんだ。
  本当のところ帰りたくない。 東京に居続けたい。

  研究室の皆さんによる送別会。 この2年半ほどの通研生活は
  一生の宝だと思っています。 事務系の職場では出会うことのない
  考え方の人たちとの仕事・体験が、私の思考回路を変えたのです。
  T21 さんは、辛抱強く・暖かく EPC のメンバーを指導してくれた
  最も身近な方でした。 
  そういう仕事・職場を去ることの淋しさ・辛さが、あらためて私を
  とらえて切ない想いに陥れていたのです。
11.06

  プログラミング雑記とでもいったものを書いてみたくて、計画を立て
  始める。 たしかに、ぼくはコンピュータに関して、やるだけのことは
  やったのだから、ここで、一応のまとめをして、卒業してもいい訳だ。
  そして、次には別の新しいものを始めてもいいだろう。
  夜、T3 さんと少し話す。 風呂に行き、あと少し飲む。

  何とか、自分を納得させようとしている私でした。

  夜、ちょっと前まで同室だった T3 さんと、通いなれた近所の銭湯に
  行き、この2年半の思いを噛みしめたのです。 彼には、母の死の際
  にも大きな励ましをもらい、有難い友人だったのです。
11.07

  午後、M15 さん・ O3 さんと会う。
  日比谷公園で晩秋を味わい、夕食を一緒に。
  時間つぶしに映画「パサジェルカ」。 全くショッキングなフィルム
  だった。 あんな環境で、あんな恋が生まれたとは!
  特に、オケの場面。 終わりまで見られなかったが、列車に乗っても
  締めつけられる興奮を抑えられなかった。
  「ローラーとヴァイオリン」は、清新な詩画であった。

  M15 さん、O3 さんは、共に 1951年に別府電報局に配属された仲間です。  
  私の帰郷の前に会ってくれたのです。
  この夜、私は最後の仙台出張のため、東北に向かいました。
  せっかくの機会なので、秋田まで足を延ばすことにしました。
  映画:パサジェルカ  <ウィペディア>:ローラーとバイオリン


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