10.18
   
  雨。 昇仙峡は入口まで行っただけ。 ぶどう園に立ち寄って戻る。
  バスの中では、ほぼ眠ってすごす。
  夕のミサ、高円寺教会。
 
10.19

  第2回目の運用テスト。 プログラム、マシンとも好調であった。
  8時まで仕事。
  後、A さんと荻窪で飲む。 寮で O7 さんも加わりマージャン。
  A さん泊っていく。

  東京料金局から借用した大量データによるテストの第2回目。
  だいぶ、商用プログラムの処理も、電算機の動作も安定して
  きたのでした。

  東京料金局が、PCS から電算機への移行を時代の趨勢だと受け止め、
  CM100 がその先駆的システムとして構築されることを期待している
  ことを聞かされ、私たちのプロジェクトの意義をあらためて認識させ   
  られたのでした。

  当時の通研では、徹夜で仕事をした場合、翌朝その引き継ぎをして
  帰宅するのは珍しいことではなかったのでした。


  そのような日々の中で、東京オリンピックは、アベベのマラソンや、
  女子バレーの大活躍で盛り上がっていたのです。
10.20

  少しづつ、身の回りの整理をはじめねば・・・と思う。
  みんなにも、これからの予定を話す。
  夜、LPの Forming をめぐっていろいろ論議する。
  仕様書の説明が不十分なせいもあるのだ。
10.21

  マラソン、アベベが優勝。 全くよく走ったと感心する。
  2時間12分11秒か。 円谷は3位。
  9時半までLPを稼働させる(一括印刷)。
  あと僅かの日々を、それにふさわしく大事にしよう。
10.22

  東京料金局より見学。 CM100 に対して、料金計算 EDPS 化の
  モデル・システムとしての姿を求めている様子で、驚かされる。
  単に、動けばよいという見方ではいけないのだ。 有難い見方だ。
  夜、市外計算ルーチンの事故処理がまずいので、その原因を考えたり、
  LP製表の整理などをしたりしているうちに、徹夜してしまう。
  With K8 さん。
10.23

  雨。 一日中、寝てる。 電電記念日。
  夜、女子バレーの最終戦。 日本がソ連を 3対0 で破り優勝。
  全くうまい、強い。 それにしても、リスカルのスパイクは全く強力だ。 
10.24

  本社へ。 転勤の件、庶務で手続きの段階まできている。
  午後、千駄ヶ谷と原宿で、オリンピック会場などの写真を撮る。
  国際親善といったものに、自分自身でも触れたかった・・・
  夜、O3 さんと歌舞伎へ。 テンポののろさ、そして芸術としての
  低俗さ、あまり感心しない。
  後、少し飲み、食事する。

  前にも東京で会っている O3 さんが、私の帰郷の前に歌舞伎と食事に
  誘ってくれたのでした。 嬉しいことでしたが、歌舞伎を理解できる
  私ではなかったのは申し訳ないことでした。 この日の演目に、「娘
  道成寺」があったと記憶します。



   現在の収入・支出概算

     上期  12 〜 13k     送金  22k

     下期    15k       寮費   3.5k

     通研     7k       Pock   6k

                   その他  0.5k
     ------------------------------------------
           34k           32k


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