10.04

  廃休。 HSP への交換証データのダンプ。 19巻を処理。

  今暁5時、多重処理マルチ・プロが完成した由。
  全くすばらしいテンポだ。 こういうのこそ、本当の仕事といえよう。
  営業側からも、もっと参加したかった。

  夕のミサ、高円寺教会。
  眠い。

  私は大量データによるテストに備えての日曜出勤でした。
  徹夜で作業していたシステム・プログラム担当の方で、念願の多重処理の   
  システムが一応完成したとのこと。 CM100 の特徴となるこの部分が完成
  したことは、私にとっても喜ばしい出来事でした。
10.05

  このところ、ずっと帰りが遅い。 フルートの練習ができないのが
  何ともやりきれない。
  今日も、9時過ぎまで、400 〜 500 words の雑ダンプルーチンを
  つくる。 寮に帰って、そのチェック。
  何とかして、この仕事に一区切りを早くつけたい。
 
10.06

  昨日作成のルーチン、まあ O.K. 
  次に、基本テープ変換のルーチンに取りかかり、11時までかかる。
  全くやりきれない。
  今週限りで、こんな仕事ぶりは終わりたい。
 
10.07

  昨夜の基本テープ変換ルーチン、少しおかしい。
  調べてみると、ちょっとしたコーディング・ミスなのだ。
  全くチクショウといいたくなる。 急いでアワテルからなんだ。
  夜、調査役宅に招かれる。 転勤の話だが、大分電報局の機械化で
  難しいらしい。

  当時の電報業務は、機械化を推進している時期で、電報部門から他の部門
  への配置転換を推進しており、他の地域からの人員受け入れは困難だった
  ようでした。
10.08

  大阪料金局長などの来所。 商用プログラムのデモ、多重処理のデモ。
  ところが多重処理の方は、電算機の回路トラブルで動かなくなる。
  夜、上荻荘で会食。 あと、T23 さんが寮に寄って行く。
  調査役の話だと、三重報話局なら O.K. らしいが、通勤可能とは思えない。

  せっかくの見学でしたが、後半部分で電算機のトラブルがあり、完璧な
  かたちでのデモンストレーションを見てもらえない結果となりました。
  夜の会食には、本社から CM100 担当の調査役・係長なども参加。
  私の転勤先として三重があがったのですが、別府からの通勤は難しいと
  思えたのでした。
10.09

  昨夜は、転勤のことを考えていて眠れなかった。
  別に仕事の内容については何も言わない。 ただ、あまりに通勤時間が
  かかる場所は困るのだ。 調査役に、その旨を伝える。

  大分の三重は、当時の鉄道事情からいうと、とても通勤するには難しい
  ところだといわざるを得なかったのです。
10.10

  オリンピック開会式。 晴天。
  しかし、こちらはプログラム整備でてんてこ舞い。
  全然、オリンピックどころではない。
  南海、日本シリーズで優勝。

  参考:<ウィキペディア>:1964年の日本シリーズ


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