06.14

  11時半の吉祥寺教会でのミサ。
  新宿駅が、新しくなってはじめての下車。 何だか、ひどく変わって
  そんな場に置かれた自分が気恥ずかしくさえ思える。
  小田急で行く。 雨の相模路。 小田原でちょっとデパートなど見て、
  湯河原へ。 温泉で久方ぶりにのびのびと手足を伸ばす。

  大局用商用システムの一応の完成を機に、研究成果資料などの作成準備の   
  ため、湯河原の寮で作業をすることになりました。
06.15

  午前中、商用プログラムのとりまとめについての打ち合わせ。
  岸上室長の「分かりやすい資料を!」という言葉は有難い。
  午後は、多重処理について、NEC関係者との打ち合わせ。
06.16

  やっと天気になる。
  午後は、真鶴岬へ。 K8 さんと二人で林を歩き、スキンダイバーの
  様子や、海辺を小一時間楽しむ。 澄んだ美しい海だ、泳ぎたくなる
  ような。 小田原までのドライブ、そして国鉄の混みよう。
  新潟で大地震。

  参考:<ウィキペディア>:新潟地震
06.17

  編集ルーチンのとりまとめ。
  大阪への、大局用 CAMAC 電算機の導入は、あと総裁決裁を待つのみとの   
  こと。 営業部門としては、いよいよ多忙になりそう。
  九州に戻りたくないという気持ちが強まってくる。
  夜、G さんと飲む。 あまり酔えない。
 
06.18

  ボーナス受領。 家と父のところに半分を送る。 あと、ぼくは時計を
  買うくらいのものだ。
  こんな様子では、とても結婚なんて無理だと思う。
  Received from H8 さん。 もう終わりにしたい。
  夜、ブリッジ大会。 5位/8組中。 後、T2 さんと飲む。
  遅くまで、手紙書き。
 
06.19

  午後、本社へ。 どうも、大阪導入の決裁を目前にして、不気味な
  静けさだ。 近くボタンは押されよう。
  しかし、ぼくには、EPC の5名の扱い(定員外)を思うと、意欲を
  失いそうになる。
  終わって、銀座をぶらつく。 疲れてしまう。

  商用プログラムの仕事が一区切りついたのはいいのですが、実は
  通研に派遣されている私たちにとっては、身分の扱いの点で不安が
  あったのです。 開発が一段落した時点で、どこに、どのような
  形で所属させるかが、見通せていなかったのでした。
06.20
 
  午前中、EPC のメンバーで、作業線表の打ち合わせ。
  大阪への導入に向けて、どういう作業をすべきかが大変だ。
  ぼくの九州へ戻る件も、難しそうな模様。
  午後、これまでの開発経過資料を書き始める。
  夜、山行の計画をあれこれ考えてみる。
  どうも望遠レンズを買うのは無理みたい。 しかし、欲しい。
 


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