06.07

  休日出勤。
  新しい Paper Tape をコンバートしたり、明日の練習をしたり。
  一応、O.K. の模様
  Y10 君が勉強に来ている。 これには全く感心させられる。
  好きなことをやってるようで、実はしっかりしている。
  高円寺教会で夕のミサ。
  アンセルメ指揮のN響。 「プラハ」と「展覧会」 on FM.

  通研は理系の頭脳集団ですが、高卒で入ってくる補助的業務をこなす人たち
  もいました。 Y10 君はそうしたひとりでした。
  私たち EPC のメンバーとは、気軽に接触していたのでした。
06.08

  29歳の誕生日。
  あと一年で、20代ともお別れかと思うと心さびしい気になる。
  療養所への入院、学園生活、プログラマの仕事など、いろんなことが
  あった時期だった。

  平山総務理事が来所。 大局用 CAMA 電算機を視察。 デモもうまくいく。

  帰り、G さんと飲む。
 
06.09

  小島前所長が来所。 大局用電算機を視察していく。 デモも O.K.

  H9 さんの上京を機に、葵荘で一杯やる。
  あと、東さん・K8さん・Y9さん・T18さんらと飲む。
  芸術論争、盛んなり。

  大局用電算機は、当時の通研ではひとつの目玉研究だったようで、
  このところ、いろいろな人が視察していました。
  電算機そのものの研究・開発が真の狙いだったのではなく、これで
  養った技術が、次の「電子交換機」の設計・開発にそのまま転用でき
  たところに、大きな意味があったのだと思います。

  夜は、九州からの同期生の上京にあわせ、東京在住のメンバーが
  集まりました。
06.10

  度数ルーチンの整理。
  夜は、ライン・プリンタの連続試験をやる。 Buffer クリアがよくない
  時があるみたいで、保守者がバイアス電圧などを調整している。
  帰り道、全く涼しい。 シャツだけで出勤したので寒いくらいだ。
 
06.11

  多重処理の打ち合わせ会。 室長や日電の人たちも一緒。 
  CPU 中心の多重処理というよりは、入出力機器優先の多重処理でなくては
  ならないと、つくづく思う。(料金計算システムの場合)
  夜、ライン・プリンタのテスト。 一台のプリンタのトラプタが切れる。

  リヒャルト・シュトラウス指揮の「運命」と「ティル」 on the air.

  開発の立場からは、CPU 中心にマルチ処理を考えるのでしょうが、
  運用する側からは、それよりも紙テープリーダや、ライン・プリンタなど、
  低速の入出力機器が同時並列的に多数作動する方式の方に、目が向くのは
  当然のことでした。

  R.シュトラウスの指揮する音源が聴けたのは、珍しいことだと思います。
06.12

  午前中、昨夜のプリンタの製表をチェック。
  午後、NEAC 2800 の説明会。 全くこの割り込みは面白い。
  それに比べると、大局用での割り込みはめんどうなのだ。
  夜、三度、ライン・プリンタのテスト。
  残業代を稼がせてくれるとはいえ、もういい加減いやだ。
 
06.13

  明日のための資料作り。 夜中12時までかけて、T23 さんのも少し見る。
  彼を急かせる結果になったのは、申し訳ない。 あと、ふたりで少し飲む。
  終電がなくなり、三鷹から寮まで1時間余りを歩いて帰る。

  来週には、湯河原で泊まり込みの打ち合わせ会をすることになっており、
  その準備にラスト・スパートをかけていたのです。
  三鷹駅から荻窪の寮まで、およそ 6Km の夜道をひとりで歩いた記憶は
  なつかしい青春のひとこま・・・といえそうです。


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