03.08 | 日 |
別府教会でミサ。 聖体拝領。
午後、浜中のブラス練習を見に行く。 with sister.
ぼくのフルートも加えてもらって、一緒に「蛍の光」を練習する。
ブラスの曲も、テンポが速くて練習を要する。
夜、S4 さん宅へ。 少し飲みながらダベる。 |
弟の中学のブラスバンド部の練習に参加しました。
ここの指導者は、前にも書きましたが、中学時代の同級生です。 |
03.09 | 月 |
電話局へ立ち寄る。 新局舎の全階を S18 さんに案内して貰う。
屋上からの市内の展望は随一。
仕事も、組織も、メンバーもどんどん変わっていく。
いよいよぼくの座は、ここからはなくなる。
それを求める気持ちが、今度の帰省にはあったのだが、もう駄目だ。
夜、家でみんなとこれからのことを話して過ごす。 |
電話局の局舎が移転し、電報局を併合していました。
別府市の山手の方で、市内の展望がいいところです。 |
03.10 | 火 |
弟の卒業式。 13年前の自分を思い出す。 校長の話はしっかりして
いて好ましい。 優等生というのもなくなる。 いいことだ。
ブラスの活躍。 なかなかの人気だ。 校長の、生徒との結びつきが
好ましい。
午後、博と買い物に出る。 そして昼食。
夜、H8 さんと会う。 お茶の途中で、彼女のぼくに対する気持を
尋ねる。 分かっていたことではあるが、今まであまりに自分の
気持ちを、素直に表わさなさ過ぎたと思う。
しかし、言ってしまってから、彼女の体の弱さとぼくの貧しさとが
よくない結果を生みだすのではと危惧を覚えて、悔やまれ、眠れない。 |
私もこの中学の卒業生でした。
H8 さんは、近所に住む中学の同級生。 同じ職場でしたので、
気軽なつきあいはあったのですが、この日、彼女の気持ちを尋ねるという
思いがけない行動に出てしまったのです。
別府での生活を模索していたからですが、自分の軽率さを後悔している
私でした。 |
03.11 | 水 |
夕方近く T14 さんと会う。 いずれ福岡に戻るのだが、それが
一番いいことだと思うのだ。
就職後の3年近くを、この土地で過ごしたことを、いい思い出にして
欲しいと思う。
夜、博の勉強を見る。 もう、英語と数学以外は教えられない。
早くやすむ。 |
T14 さんとは、これが最後でした。 私にとってはあまりにおさな過ぎる
年頃の女性だったのです。 |
03.12 | 木 |
入試、第1日目。 暖かい日射し。 午前中の2時間は青い顔をして
いたが、午後は明るくなっている。 ぼくは日溜まりで、サッカーや
野球の練習を見たり、ブリッジの本を読んだりして待つ。
同行の S19 先生、面白い。
夜、S10 さんと会い、夕食。
あと、西、S2 君も加わって飲む。 S10 さんの破談を知る。 |
弟の高校入試に付き添いました。 中学からも先生が帯同しています。
S10 さんには何かと迷惑をかけている私でした。 |
03.13 | 金 |
入試、第2日目。 雨が降ったりやんだり。 寒いし大変だと思う。
夜、祖母から「父」のことを聞かされる。 決してぼくのおそれていた
事態などではない。 それはそれで納得できるし満足だ。 母が父に
惚れ込んでいたことが十分推測される。 よかったと思う。
博と家で Whisky を飲む。 こいつもよく飲む。 |
この日、祖母にはじめて父親のことを聞かされました。
私から求めた訳ではありません。
母はひとことも父親のことを話すことがなく、実家の墓には葬られていな
いので、生きているのか死んだのかも知らないままに育ってきました。
私の中では、父親は「存在しない存在」でした。
この時期になって、なぜ祖母がこの話をしたのかは分かりません。
祖母が話してくれた内容は、父親の姓と、満州(現在の中国東北部)に
行ってしまったという二点だけです。
後日、私はその珍しい姓が、国東半島のある地域に集中していることを
知りますが、それも偶然のことで、それ以上、父親のことを詮索すること
はしていません。 「存在しない存在」のままでいいと思っています。 |
03.14 | 土 |
電話局で I9 君に会う。 もうそろそろ動いてもいい頃だ。
午後、浜中へ。 予定の時刻になっても電話情報が入らず、分からぬ
ままに出発する。 見送りは H8 さんと妹。
眠いのだが、この座席ではどうも駄目だ。 |
I9 君は学園の後輩。 本社への転勤の時期を迎えていました。
午後、中学で、高校入試の合否連絡が入るのを待っていたのですが、
列車の出発時刻までには情報がなく、そのまま別府を離れました。 |