03.01

  うすら寒い感じの日。 フルートの練習、唇が荒れているし、それに
  指先がかじかんで駄目だ。
  6時半、高円寺教会でミサ。 告解、聖体拝領。
  神様は、ぼくからどんなものでも取り去って行く。 ぼくは文句を
  言えない。 勝手にしてください。 好きなように。
  ラモス K.O. 関 on TV 。

  決して、深い信仰に浸っていた私ではなかったのです。
  十分なほどの重荷を背に、我慢をしていたのでした。

  参考:関 光徳
03.02

  だいぶ春めく。 昼休みの屋上は、やはり風が強い。
  64-P のデバッグ。 O.K. 
  午後、IBM 7040/44 命令の勉強会。
  フルートの練習。 まだ唇がよくなく高音がかすれる。
  N響+岩城のブラームス1番 c-moll on F.M. 
  第1楽章は感心できない。

  ずいぶん手こずった 64-P ルーチン、どのような内容だったかを
  思い出すことはできません。
03.03

  仙台での CAMA Tape への記録、よくないところがある由。
  おそらく局装置側のオペレーション・ミスではないか?
  内訳書を印刷したものと、手計算の結果との照合でも、
  かなりの違いがある由。
  夜、フルート。 まだ高音がきれいに出ない。

  仙台での最終的なテストの中で、いろいろなトラブルが
  発生していたようです。
03.04

  夕方、別府に電話を入れる。
  博の工専の試験、駄目だった由。 ショックだな。
  本人もがっかりしたんではないかと思うと、心が重くなる。
  あと、工業高校の試験が残されているとはいえ、残念だ。
  淋しい気持ちだ。 雨になる。 Miserere nobis !
  何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。

  弟は、工専を受験したのですが不合格でした。
03.05

  目覚めがよくない。 少し熱っぽい。
  夜、ひのき荘で送別会。 M11 さん、S18 さん、T26 さんの三人。
  課長と調査役が変わったためか、雰囲気が一変。 でもこの方がいい。   
  帰りに Y6 , O6 , T23 , G の4君と Coffee & だべりんぐ。
  痔がよくない。

  送別会は、本社の次席から、支社の係長に転出する人たちのもの。
  これで春の人事異動は一段落するのが恒例でした。
03.06

  東京発、18時20分。 I2 さんが、みかんと空気枕を持って
  見送りにきてくれる。 が、この仕事着の彼女は、ちょっと・・・
  隣席は、門司でレコード店を経営する女性。 口数少ない。
  余り寝心地はよくない。 体のあちこちが痛む。

  弟の中学卒業式に出るため、帰京することにしました。
  I2 さんは、職場が東京駅の近くだったので、勤務の途中で
  見送りに来てくれたのでした。
03.07

  日豊線に入り、車両はガラ空き。 立石峠あたりの霧の林。
  のろのろと進む列車。 これは、まるで「乱れる」の情感だ!
  帰宅して、すぐに墓参 with sister. 
  「めでたし」の祈りが、父に教えていた母の口調を思い出させる。
  あれは、最も美しい「めでたし」のひとつではなかったろうか?
  夜、みなでスライドを見る。
  博達は、謝恩会でジャズ2曲をやった由。

  ここで sister と書いているのは、小学生の妹のことです。
  「めでたし」とは、いわゆる Ave, Maria (天使祝詞)の祈りです。
  当時の文語体では「めでたし」という言葉で始まることから、こう
  呼ばれていました。 今は、口語体になり、それも訳文がちょこちょこ  
  変わって私には馴染めません。 いまでも私は文語体で祈ります。
  父は倒れるまでキリスト教には全くの無関心。 寝ついてから、母が
  「めでたし」の祈りを、口移しで、毎日教えていました。 まるで
  小さな子どもに教えるように・・・です。 というのも、脳溢血で言葉
  が、全く不自由になっていたからです。
  私には、こういう母の姿が忘れ難い思い出でした。


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