12.29

  

 
12.30

  

  
12.31

  
 
01.01

  眠い、予定の元旦のミサには与らずじまい。
  千葉へ向かう。 東中野の駅で赤ん坊が扉に手を挟まれたのを助ける
  手助けをしているうちに、置いてけぼりにされる。 鞄は電車の中だ。   
  駅員との喧嘩はじめ。 東京駅で取り戻す。 全く我ながら気短かだ
  と思う。

  母の死を報告するために、房総半島の中央部に住む、おばを訪問する 
  ことにしたのです。 おばは、母と同様に、祖母の養女でした。
  第二次大戦中、満州(中国東北部)に住んでいたのですが、ご主人が出征
  中に終戦となり、幼児をかかえて帰国し、ご主人が帰国するまでの間、
  我が家で一緒に暮らしていました。
  JR東中野駅で、開いた扉の戸袋に赤ん坊の手が挟まるというアクシデント  
  があり、私はホームに降りて扉を動かすのを手伝いました。 ところが、
  何とその状態で扉が閉じて、電車は出発してしまったのでした。
01.02

  T27 子さんの坊やがいるので、かなり騒々しい。 早く子どもが欲しい
  気もするのだが、一方では、煩わしくも感じる。 T27 子さんも随分
  大人になった感じ。 M11 君についても同様。
  Goren の本を読み始める。 割によく分かるような気がする。

  おばには二人の子どもがいて、長女の T27 子さんは、多分当時20歳
  くらい。 早くに結婚していたのだと思います。
  長男の M11 君は、中学生だったかと思います。
Goren の著書は、
コントラクト・ブリッジの
教科書でした。
01.03

  食べて、飲んで、のんびりと三日間をすごす。 寒い正月。
  じっと座ったままなので、体の調子がてんで狂ってしまう。
  帰りは、千葉駅まで立ち通し。
  寮でラーメンの夕食、そしてブランデー少々。
  ミュージカル「世界をとめろ」 on the air.

 
01.04

  御用はじめ。 第二設備の大世帯がたむろしていると結構目につく。
  西荻で、ジェリー・ルイスの映画を見る。
  年賀状かなり多く来る。
  夜、本を読んだり、ラジオ聞いたり。

  この日は、通研派遣のプログラマ5名も日比谷に出社。
  本社のメンバーと合わせ 10名の第二設備係でした。
  本社の組織では、係は4〜5名が普通の構成でした。


Top Page に戻る   1964年一覧 Page に戻る   次の週へ