10.13 | 日 |
高円寺教会で告解、聖体拝領。 教理の研究会、上智の F3 神父。
「宗教と科学」。 結論は、宗教と科学の対立というより、むしろ神学者
と科学者との対立であったと。
「証明し過ぎるということは、証明しないことと同じである」。
生命の起源などについて、どう信じても構わないという神父の発言に、
ショックを受けた若い人たちもいた。 神父に食い下がる青年もいる。
純粋な信仰をもっているのだ。
風邪は治りきってはいないが、フルートを久方ぶりに吹く。
音楽にしろ、電算機にしろ、もっと時間を惜しんでハード・トレーニング
しよう。
カラヤン・ウィーンフィルのブラームス第3。 全くいい。 on the air.
杉並公会堂での「コジ」。 うまい下手は別にして、とにかく楽しめた。
第2幕の人は皆、声量がある。 |
国立音大のオペラ研究室の公演です。 歌手も合唱団もオーケストラも
すべて学生たち。 指揮は外山雄三さん。
なお、歌手は一幕ごとに別の学生が歌うことになっていました。
モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」(女はみんな、こう
したもの)は、音楽大学でよく取り上げられる演目でした。
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10.14 | 月 |
東響定期、リンデンベルク指揮。 フランスの作品を、全く気持ちよく
聴かせる。 好感が持てる。 ビゼー、ドビュッシー共によい。
潮田さんのブラームス。 本当に驚く。 素晴らしい演奏だ。 それに
この曲は実にいい。 特に第1楽章の第2主題。 それとヨアヒムの
カデンツ。 これでまた、ブラームスを見直す。
儲けもののコンサートだった。 |
東京交響楽団第132回定期演奏会
指揮:エドゥアルト・リンデンベルク
Vn:潮田 益子
ビゼー 交響曲 第1番 ハ長調
ドビュッシー 海
ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
会場:東京文化会館
潮田さんは、1958/12 の東響定期(ブラームス:二重協奏曲、
チェロは堤剛、指揮は斎藤秀雄)以来でした。 |
10.15 | 火 |
IBM IOCS の PUT 命令についていろいろ調べてみる。 こういう風にして
何事も勉強してみたい。
夜、フルート。 B-dur に入る。
巨人、優勝決定。 |
参考:1963年セ・リーグ回顧 |
10.16 | 水 |
また少し熱っぽい。 午後、37.4℃ 。 医務室で注射と投薬。
3時より本社へ。 簡単な報告。
T18 君より結婚披露宴の司会を依頼される。 問題は出張との関係だ。
夜、S14 課長を囲んで5人集まる。 全くよくこれだけのメンバーが
揃ったと思う。 |
T18 君は同期生で、学生寮でも一年間同室だった人。 先々週、
結婚が近いと聞かされていました。 司会を引き受けたのですが、
予想もしない出来事でこの約束は果たせなくなるのでした。
S14 課長は、九州の電話局時代の直属上司。 当時の部下だった
5名が、課長の上京の機会に集まったのです。
課長には、私の「業務改善の提案」を応援してもらったという感謝
の気持ちを強く持っていました。 当時、労働組合(分会)の
幹部が、私のそういう動きを「そんなことは管理者のやること
だ!」とけん制したのですが、課長は黙って私たち係員のやりたい
ようにやらせてくれたのです。 私は今でも、労働者を単なる
「部品」としか考えない労組幹部のあの姿勢に反発を覚えます。
人は、自分の置かれた状況を自ら考え・工夫することで、現状を
打破し・一歩前に進めるのだと確信しているからです。 |
10.17 | 木 |
今回増員された4人のプログラマ。 いささか緊張感が足りないように
見える。
依然として微熱、そして少し腸の調子がおかしい。
「レクィエム」やはりすばらしい曲だ。 ヴェルディの曲は、オペラも
そうだが、本当にドラマティックで美しい。
大合唱団も魅力のあるものだ。 |
都民劇場:ヴェルディ「レクィエム」
指揮 ペーター・マーク
ソプラノ 三嘴 晶子
アルト 成田 絵智子
テノール 五十嵐 喜芳
バリトン 栗林 義信
管弦楽 日本フィルハーモニー管弦楽団
会場:日比谷公会堂 |
10.18 | 金 |
一日、4名のプログラマの相手。
仕様書説明、Control word の個所。
例のプログラム、immediate 命令を間違えている。 おそまつ。
夜、昨夜のレクィエムから「怒りの日」と「赦祷文」on the air.
ひとりブリッジを考えつく。 かなり面白い。 |
「ひとりブリッジ」どんなゲームだったのか記憶がありません。(^_^); |
10.19 | 土 |
13時上野発。 いささか下痢気味で、注射と投薬。
四万湖のみどりの水が美しい。 EPC のデモンストレーション。
一応、効果はあったと思う。
いい宿だ。 |
恒例の課の旅行で、群馬の四万温泉に出かけました。
普段、通研で仕事をしている私たちプログラマ 一同で、何か余興を
したのだと思います。 どんな内容だったかは思い出すことが
できませんが、日比谷のメンバーに顔を覚えてもらいたいという
思いがあったのです。 |