08.25

  午後、善福寺池へ。 日射しは強くないのだが、やはり暑い。
  水に遊ぶ子供たちを撮る。 水がきれいだったら・・・と惜しまれる。
  夕方、激しい雷雨。
  吉祥寺教会で夕のミサ。 十字架の道行き。 濡れて戻る。
  トロヴァトーレ on the air.  テバルディ、モナコ、全くすごい
  声だ。

  「十字架の道行き」、カトリックの聖堂には、壁面に14の受難の図が
  掲げられています。 イエスへの死刑宣告から、十字架上の死、埋葬
  までの14の場面が描かれています。 それぞれの場面の前で祈りながら  
  イエスの受難を黙想する信心業のひとつです。
  「イル・トロヴァトーレ」はヴェルディの代表的なオペラ。
  テバルディモナコは、ともに20世紀を代表するオペラ歌手です。
08.26

  機械処理明細表、量としては大変なものになりそう。
  30日に説明会をすることとなる。 ここのスタッフも、本社の面々も
  ぼくらがこの一か月間、何をしてきたかを十分理解してはいない。
  だが見てろ! そんな気持ちになってくるんだ。
  タイパの MT 読み込みがまずい由。
  フルートの練習。 唇に傷があり、まずい。 チョコラ服用中。
  少しだけ練習。 中音域で雑音が多い。 
  「アサヒ芸能」の「妻の日記」という連載もの、なかなか面白い。
  若い家庭生活をほほえましく感じる。 開放的な sex だ。

  大局用商用システムの開発態勢を刷新するためには、その作業量や
  作業内容を明らかにしておくことが必要でした。
  その資料の作成をしてきたのですが、通研のスタッフに対する説明を
  週末に行うことになりました。
  実務を担当する私たち二人にとって、今後を占う大切な機会でした。
08.27

  一日中、機械処理明細表を書く。 順調に進んでいる。
  唇の痛いのが、まだ続いてる。 フルート、少しだけ練習。
  夜、T4 さんと高円寺の阿波踊りを見に行く。 子どもたちも可愛いが、
  何といっても青年たちの踊りが愉快だ。
  鼻風邪か? 頭痛。

  高円寺の阿波踊りは、当時から有名でした。 寮母さんと見に行ったの
  でした。
08.28

  やっと全部の原稿を書き上げ、プリントも出来上がる。 ご苦労様。
  台風11号の影響で、夕方からかなり激しい雨。
  夜、寮の役員会。 さしたる議題もなく、雑談と drinking.
  皆さん、愉快な人ばかりだ。

  この独身寮は荻窪駅から徒歩5・6分の場所で、殆どの寮生は日比谷の
  本社に通勤していました。 平均的には、ほぼ3年で転勤していくの
  でした。
08.29

  製本。 あと少しソフトのことなど、書かねばならない。
  夕方、T15 さん、T21 さんも交え、今後のことを話し合う。
  いよいよ、ぼくが営業局の代表で取り組むことになってしまった。
  
  夜、フルートの練習。 まだてんで唇が定まらず、いやになる。

  この日の話で、A さんの日比谷復帰と、私が通研に残留することが
  決まったのでした。
08.30

  午後、例のレポートの説明会。
  岸上室長、原則的に O.K. してくれたと思う。
  この場の発言で思ったのだが、今までのゴタゴタは、つまるところ
  T15 さんの独りよがりな思惑から起こったことでは・・・?

  帰りに荻窪で、二人で drink. 
  さあ、これからはぼくもいよいよ独り立ちだ。
  ソフト屋として、ちゃんとやっていきたいと思う。

  これまで通研主導だった商用プログラムの設計方針や作業見積もりに
  対し、本社(営業局)から派遣の私たち二人が、見直し案を作成して
  説明したのでした。
  室長の了解を得たことで、今後は T15 さんたちの指導のもと、運用
  主体である業務部門のメンバーが、開発の主力になることが方向づけ
  られました。
  A さんが本社に戻って通研とのパイプ役となり、いずれ補強されるで
  あろう業務部門のメンバーを私が束ねることになる・・・そういう
  方向性が見えてきたのでした。
  A さんとこれまでのあれこれを語り合った夜でした。
08.31

  激しい雨。 午後、電子楽器研究会の例会で SONY へ。
  工場見学で、組立工の人たちの働く姿を見る。 全くこうい職場をぼくは  
  知らないのだ。
  ED オルガン、あまり感心した音ではない。
  終わって、I6 先生宅に行く。 エースの H7 さん、コラールの Y5 さん
  と懇談。 先生の奥さん、ちかく出産予定の由。
  月が出て、美しく、いよいよ秋だと思う涼しさ。

  前に NEC 見学の際にも思ったのですが、工場で働く人の姿は、私には
  興味津津でした。 全く、推測のできない職場風景だったからです。

  I6 先生は、私のエレクトーンの先生で、お宅に伺ったのは久方ぶり
  でした。 音響関係のメーカにお勤めのお二人とご一緒しました。


Top Page に戻る   1963年一覧 Page に戻る   次の週へ