06.30

  高円寺教会でミサ。 告解、聖体拝領。
  キリスト教徒は防御だけでは不十分、周囲に自ら挑戦することが必要!   
  本当にそうなのだ。
  午後、オルガン曲など聴く。 on the air.
  暑くなった。 海に行きたい。 夕方、近くの知らない道を散歩。
  面白い。

  ここの司祭は、「生ぬるい信仰にとっぷり浸かっているだけでは
  駄目だ!」と信徒に訴えていたのです。
07.01

  デバッグ。 O.K.   しかし、残りのいろんなルーチンの訂正が多く、
  音を上げる。 本当に修正は、新しく作る以上に大変なことだ。
  音大、島村先生。 大体、このペースは分かって来た。
  今学期の授業はおしまい。
  串田さんのブロック・フレーテの Disk Jockey  on the air.

 
07.02

  通研派遣一周年。 帰りに荻窪で二人で飲む。 久方ぶり。
  いろいろな勉強ができたが、これからもこの機会を大切にしたい。
  作曲の手段としての電算機の活用を考えたいものだ。

  A さんと、この一年間をふり返ったのです。
  とにかく、初めての電算機との格闘の日々は、無我夢中に過ぎたの
  でした。
07.03

  早朝教室。 T15 さんによる「大局用 CAMA 電算機の設計」。
  依然として汎用機としての出発理由が分からない。
  でも考えようによっては、これは完全な汎用機とはいえない気もする。
  プログラム修正を一応終える。
  国立。 花村先生、今日で和声は終わり、秋からは対位法の由。
  夕方、激しい雨。

  小局用システムは、CAMA 方式というダイヤル市外通話の料金情報
  記録方式に対応するためのものでした。
  私たちは、その延長線上で大局用システムを理解していたのですが、
  通研では大局用システムを、CAMA とは切り離して、汎用電算機
  システムとして開発するというスタンスだったようでした。
  その辺りの事情が、当時の私には分かっていなかったのです。
  後日、CAMA という記録方式は不採用になります。
  ずっと後になって、電子交換機の普及とともに、通話情報の明細
  記録方式として復活するのですが、その時には、もう CAMA という
  「ことば」はすっかり忘れられていました。
07.04

  デバッグ。 シミュレータ、Load 命令や Acc 関係が、芳しくない。

  夜、新橋寮で仙台の3人(T20 調査役、近藤課長、S9 さん)と
  マージャン。 てんでついてない。

  小局用システムの仙台導入に関する打ち合わせで、お三方が上京
  したのです。 近藤課長にはいろいろお世話になりました。
  現地で一番このシステムに関心をよせていた方でした。
  私の知る限りでは、仙台のスタッフの中で、一番はやく亡くなら
  れた方でした。 合掌。
07.05

  変換ルーチン、書き換え終える。 多分、O.K. だと思う。
  早く帰り、洗濯。 曇天で、うすら寒い。
  日フィルのポップス・コンサート on the air.
  ドビュッシーの「月の光」、全くこういうのはいい。
  サリドマイド手術のTV番組、とても見れおれない。

  TV番組、内容は覚えていませんが、とても痛々しく直視でき
  なかったのだと思います。
07.06

  早朝教室。 T2 さんの「 Assembly System 」。 彼の解釈は正しい
  と思う。
  午後、ラジオで音楽。
  国立、グレゴリアンのレコードを聴く。 ぼくらの歌っているのは
  本当のグレゴリアンではないらしい。 歌い過ぎている。
  土曜コンサート。 石原さんのフルート・ソナタ。 プーランクを
  日本的に味付けした感じ。 技法的にも十分計算されている感じ。
  しかし様式的にはちょっと理解できない。 第3楽章は、もっと
  突っ走った方がよくないか? ソリストは実にうまかった。

  NEC T2 さんの説明には、大変共感を覚えていた私でした。

  グレゴリオ聖歌は当時の教会でも歌っていましたが、実は古いものと   
  いうよりは、ネオ・グレゴリオ聖歌というべきものでした。
  また、歌い方(唱法)も初期の素朴なものに比べて、艶やかな響きを
  求めるようになっていたようです。

  今回は、作曲科の学生の作品が演奏されたミニ・コンサートでした。
  こういう環境・企画はうらやましい限りです。


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