05.12

  危ぶまれた天候だったが、薄日も射す程でよかった。
  8人の参加で、野猿峠に向かう。 東京近郊らしい俗っぽい丘陵地帯を
  歩く。 アサヒ・ペンタを始めて使ってみる。
  帰りに吉祥寺教会で夕のミサ。

  話し方教室の仲間によるハイキングでした。
05.13

  デバッグ。 訂正ルーチンの第一回目。 やはりいろいろとミスる。
  A5 さんより、システム・プログラム講習会の報告がある。
  写真ができる。 よく撮れている。 接写の分もよくできている。
  国立、島岡先生休講。

  A5 さんは同じ研究室の研究者で、同年代でもあり普段から話すことも
  多かった人です。
  多分、IBM あたりの講習会の状況を話してくれたのだと思います。
  当時の私には、自分が受講した講習会の内容を、研究室の皆さんに
  報告できるほどの実力はありませんでした。
05.14

  タイパ・プログラムの修正をテスト。 午前・午後の判定部分がまずい。  
  午後、磁気テープ分科会の打合せ。
  A さん、IBM 社の面接。 いよいよ本社にも話す由。 ぼくとしては
  彼の生き方に異存はない。
  夜、12時までタイパ・プログラムの資料整理。

  A さんは、私より一年前から通研に派遣されていたのですが、
  IBM 社の入社試験(転職試験)を受けていたのです。
  まだ、本社の上司にはそのことを話をしていなかったのですが、
  その時期が来たという判断をしたようです。
05.15

  タイパ・プルグラム、修正のフロー・チャートの整理など。
  A さん、IBM の件、あきらめた由。 どうもすっきりしない。
  結局、公社を辞めるのに、面倒なことがつきまとうからか?
  国立、休講。 大学は休みが多い。
  ブロック・フレーテの練習。

  A さんの転職は、結局なし・・・となりました。
  IBM 側から、公社の円満退社について条件を示されたのか、本社の
  上司から説得されたのか、私には事情が分からないままでした。
  いずれにしても、A さんは大局用システムの開発を続け、後日、
  大局用1号機の現場導入に当たり、電算機と共に大阪に転勤する
  ことになるのでした。
05.16

  このところ、ずっと小雨模様の天気が続く。
  午前中で、タイパ・プログラムの最終整理を終える。
  あとは、現地で変更が必要になれば、やって欲しい。
  午後、大局用プログラムの手直し。

 
05.17

  朝から本社へ。 商用試験・小局用計算装置などに対する討論。
  午後も引き続く。

  夜、新橋寮でマージャン。

  本社の調査役・調査員を交えての、仙台での小局用システムの商用試験   
  をめぐる問題点を議論した一日でした。
  「機器の安定感・処理能力」に加え、「操作の複雑さ」「業務プログラ
  ムの不備」など、技術的な視点が先行したことからくる諸問題が多く、
  実際のオペレーションを行う現場で円滑に運用できるかどうか、危惧が
  顕在化してきたのです。
05.18
 
  アセンブラ言語の記述方法の打合せ会。 通研でのこうした決め方の
  あまりに性急・あっさりとした手法に驚く。

  帰りの電車で、岸上室長と少し話す。 どうも商用プログラムの開発に
  ついては迷惑がっている感じを受ける。

  音楽史、授業のやり方に苦言が出る。 全くだ。
  生徒をタイプライターと考えるような教師は最低だ。

  大局用システムのソフトウェアの仕様を早急に決める時期でした。
  通研側はてきぱきと決めていくのですが、どまどいがあった(当時の)
  私でした。
  また、小局用では通研が手をつけてきた商用プログラム(業務プログ
  ラム)の制作は、通研側でも負担に感じており、大局用では本社の
  業務部門に委ねたいという意見があったのだと推測されます。

  音楽史の講義中に出た不満は、4/27 に記した私の不満と同じもの。


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