04.21

  出勤。 電源投入したところアラーム・ベルがなり、驚く。
  デバッグ・シミュレータの不具合個所を3ヶ所発見。
  商用プログラムとしては、一応できているつもりだが、テストは完了
  しない。
  途中、タイパを運転したりして、一日中、電算機の相手をしてしまい、
  疲れる。 鼻血が出る。
  イグナチオ教会で夕のミサ。

 
04.22

  国立で初受講。 島岡先生の和声学。
  借用和音の個所。 ちょっと勉強すれば、この授業でもついていけ
  そうだ。 音楽大学の雰囲気も面白そう。

  「アサヒ・カメラ」5月号求める。 一眼レフが欲しくなる。
  
  島岡先生の講義で使われた和声学の本
   
04.23

  雨。 午後、健康診断のため本社へ。
  通研に戻り、夕方からデバッグ。 O.K. となる。
  夜、11時までプログラミング。
04.24

  訓練生との懇談。 どうも小局用システムへの不信・不安が拭えない
  感じ。
  国立へ。 3年の和声。 作曲してピアノで弾く。 ピアノはしばらく   
  やってなく冷や汗もの。
  Wrote to mom.

  小局用システムは、当初の予測よりも処理能力が低く、また操作性も
  よいとは言い難く、それが訓練生を悩ませるようになったのです。

  音大での、3年生の和声学の授業は、島岡先生の講座とは別のもの。
04.25

  訓練打合せ会。 いろいろあったが、最終的にはマスタファイルとの
  アンマッチのものの処理をめぐって、主装置側の詳細が分からず、
  すっきりせぬまま終わる。
  下手をすると、タイパ側で、マージングをやらされそう。
  夜、12時までプログラミング。 大変だが、面白くもある。

  小局用システムの電算機(主装置)では、第二交換研究室で開発した
  固定配線で実現するプログラム制御方式をとっていました。
  それで、テストデータの解析で発見したトラブルの原因追跡も、私たち
  の手ではどうにもならず、いらだっていたのです。
  その対策を、タイパ装置での事前処置でカバーすることが課題として
  浮上してきました。 タイパ装置は Stored Program 方式ですので
  柔軟性や適応力は大きかったのです。

  小局用システムは、電算機の制御方式としては柔軟性に富んだものとは
  いえず、結局は大局用 CAMA 電算機(後に、CM-100 電算機システムと
  呼ばれるようになる)に、とって代わられます。
04.26

  朝、荻窪駅前で、ジムで一緒だった学生が、ダンス・パーティのちらし
  配りをしているのを見かける。 話しかけはできなかった。
  U さんを食堂で見かけ、昨日のトラブルについて話す。
  どうも、第二交換研究室の皆さんは「事務用電算機システム」について
  あまり詳しくない模様。
  Data products corporation によるディスクの説明会。
  この英語、少しは分かる。
  このところ少し忙しすぎる。
  夜、カメラ雑誌など見る。 一眼がぜひ欲しい気になる。

  どうも、小局用システムの商用プログラム(業務用アプリ)は、現場の
  業務を熟知しない人たちの手で設計されたようです。 そのため、問題
  発生時に、すぐに対処することが難しい事態に陥っていたのです。
  こうした点を危惧した通研側が、大局用システムの開発にあたっては
  私たちのような現場業務に携わっている事務系のメンバーを、開発プロ
  ジェクトに招集することになったということです。
04.27

  仙台からの訓練生の修了式。 晴れたいい日だ。
  昼食を祝賀会とする。

  午後、ソフトボール。

  国立、音楽史の講義、パッとしない。 その後、ピアノの練習。
  それにしてもここのピアノはボロだ。 部屋も独房みたい。

  仙台から派遣されていた三名の方も、小局用システムの操作研修を終え、  
  現場での中核メンバーとして職場に戻っていくことになりました。
  12月からの5か月間、本当にお疲れさまでした。

  音楽史の講義、先生が読み上げる原稿を、学生はただひたすら筆記する
  という「ひどい」授業でした。


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