04.07

  雨、11時半の吉祥寺教会でのミサ。
  話し方教室のメンバーと打合せ。 新宿、ランブルで。 五人だけ。
  来月12日、野猿峠に決める。
  イグナチオ教会でのオルガン・メディテーション。
  バッハの受難曲など。 ソプラノとフルートのアリアが素晴らしい。
  しかし、これはカトリック的ではないと思うのだが・・・

 
04.08

  一日中、引っ越し作業。
  雨が続く。 寒い。
  N響、マルティノン指揮で「幻想」など。 on the air.

  通研に新館が完成し、研究室の配置が変更になりました。
04.09

  喉頭痛、少々。 ヘンザ服用。 雨。
  大局用TIE読込ルーチンのコーディング。 面白い。
  食堂が新館に移動し、きれいになる。
  夜、郵政クラブで M9 係長の送別会。

  M9 さんは本社の同じ課の経理担当の係長でした。
04.10

  A3 さんから、システム・プログラムの講習会報告。

  夕方から、T18 君と久我山方面へ選挙運動の動員。
  まだ、喉が痛い。
  「悪の紋章」ますます面白い。 また今夜の写真は素晴らしい。

  A3 さんは、大局用システムの OS 開発担当で、多分 IBM 社の
  講習会の受講模様を紹介してくれたのだと思います。
  この日も、労組による選挙動員でした。 T18 君は学園の同期生で
  学生寮でも一年間同室でした。
  「悪の紋章」は、当時、新聞の夕刊に連載されていた橋本忍の小説。
  挿絵ではなく、モノクロ写真が毎日添えられていました。 これは
  なかなか面白い小説で、後日、映画化されています。
04.11

  電算機使用。 シミュレータを読み込むのに20分以上もかかってしまう。  
  しかし、扱い方はよく分かった。
  シミュレータの不具合で、テストはうまくいかない。

  暖かい日射しの昼休みを楽しむ。

  聖木曜日、夕のミサ。 吉祥寺教会で。
  ふと、そろそろ結婚したい気になりもすのだが・・・
  Received from brother.  
  J. カッチェンの「熱情」など。 on the air.

  いよいよ大局用システムの商用プログラムの最初のデバッグ(テスト)
  です。 この方法は独特です。 電算機そのものは開発中でまだ使用
  できません。 それで、NEC の NEAC 2203 電算機上に仮想の電算機
  モデルを展開し、その仮想の電算機上でプログラムを疑似的に実行
  させるというものです。 この仮想の電算機モデルを展開する作業が
  「シミュレータを読み込む」という作業で、これをテストのたびに
  行うのですから、効率のいいものとは言えませんが、電算機の開発と
  商用プログラムの開発を並行的に行うという「革新的」な手法でした。
  通研でのこの辺りの状況を記した資料があります。

  参考:電電公社のコンピュータ開発

     著者のおひとり 戸田巌 さんは、当時、通研の情報処理研究室に  
     在籍していた研究者です。 CM-100 として紹介されているのが、
     私が「大局用 CAMA 電算機」と記しているもので、当時はまだ
     CM-100 という名称がつけられていませんでした。

  聖木曜日というのは、復活祭の直前の木曜日。 いわゆる「最後の晩餐」
  を記念する典礼が行われます。
04.12

  T2 さんの「 NEAC-Editor 」に関する説明会。
  共済会のストで、寮の朝食なし。 昼は三鷹まで出て、すし。
  聖金曜日の典礼。 吉祥寺教会で。
  喉頭痛がひどくなり、唾液を飲み込むときに痛む。
  話し方教室のハイキングの案内状を書く。

  寮の賄いや、通研の食堂は共済会が運営していたので、そこの労組の
  ストライキで、食事の提供がなかったのです。
  もっとも、この日は聖金曜日(イエスの死を記念する日)で、大斎日。
  つまり食事制限をする「苦行」日でもありました。
04.13

  大局用プログラムのデバッグ。 やはりシミュレータがまずいらしく
  うまくいかない。
  昨日の空腹がまだ続いているようで、頭がくらくらする。
  昼食をたっぷりとって、午後は寝て過ごす。 盗汗でびっしょり。
  熱は、37.3℃ 。 夜もずっと寝てる。 体も、神経も疲れてる。

 


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